サンサンコーナー
思うままに!
雪の無い穏やかな冬が続いています。北陸の冬としては非常に結構な事だと思います。
スノータイヤなんかつけなければ良かった。
しかし、暖かい冬だと虫が騒ぐ、野菜が早く実りすぎる、桜の開花が早まる、冬物の商品が売れない、春物の商品の売れ行きが好調だ等、いろいろと影響が推測されています。それ程この冬の温暖化は私たちの目に見える出来事でした。私も60年生きてきましたが、このような事は初めてで、これも地球温暖化の影響かなと思っています。
今地球上では人間の増加、文明の発達によって急激に経済が発展し、森林伐採や二酸化炭素の増加により、温室効果ガスのバランスが崩れ、地球の温暖化が進み、南・北極の氷河が溶け出しています。科学の発達は、自然界には存在しなかった腐らない物を作り出し、人類及び生物を一発で破壊する事ができる兵器までも作ってしまいました。肌の色が違う、自分の信念に合わない、宗教観が違う等々の理由で戦争をし、テロを起こし、一方では経済的合理性を追求して、どんどん開発、消費し、ゴミの山を築いていっています。このような人類の活動はまだまだ止みそうにありませんし、これからもどんどん増大していく傾向さえあります。本当にこれでいいのか、私たち人間の生活の向上をこれ以上望んでよいのでしょうか。
今私たちの生活の中に無機質な事件が相次いでいます。一般の人は薄気味悪い、不気味と怖がっています。この不気味さとこの温暖化による不気味さは一見関係ないように思えますが、私の目には大きな繋がりがあるように思えて仕方がないのです。
私たち人間は自然の産物です。自然の中に生きて初めて生きられるのだと思います。何一つ自分では作られず、自然にある素材や理論を利用しているだけであるにもかかわらずです。そしてその利用によって自然の流れを破壊しているとしか思えません。今の状況は循環型社会から消費型社会へと移行しています。早く元の循環型社会へ戻す事こそが急務であると思います。でもその動きを阻害するのが“自分さえ良ければ”という我です。我を矯めるには教養が必要です。教養は今の教育システムで育めるかというと残念ながら今の知識偏重、記憶偏重の教育では無理だと思います。やはり今の教育には、物事の本質を見究める知恵を育てることこそが必要ではないかと思います。
環境に配慮した自然にやさしい都市計画、人々の生活、経済活動等、何事も環境第一の考え方こそがこれから必要なのではないかと思います。
地方選挙がこの春日本中で行われます。多くの候補者の方々が自分の政策を掲げてこられますが、誰がこの環境問題を捉えて主張してこられるか見ていきたいです。
政治とは理想社会の実現の一つの大きな手段です。理想を掲げたフェアーな選挙を望みます。
2007.2.26 | 19:16
小松市をコンサルする? ~都市計画課から部・局への昇格~
このサンサンコーナーで再三にわたって小松市の都市計画はおかしい、ダメだという事を述べてきました。そのダメな点が如実に表われているので述べたいと思います。
小松市では最近、小松製作所を中心とする製造業が好調で景気浮揚の原動力となっています。ここで各会社が設備の拡充と発展を目指すのは自明の理です。そこでまず求められるのが工場用地です。この用地不足が今一番の問題となっています。この事は10月の紙面で「時節を誤ってはいけませんよ」という内容で述べました。でも私の目で見ますと、どうも遅れそうなのです。今私の知るところでは市では4ヵ所を候補に挙げて努力されていますが、いずれの場所も市街化調整区域の農地、優良農地なのです。この農地、優良農地の転換が時間を遅らせる原因なのです。これは、都市政策と農地政策のせめぎ合いなのです。これが都市政策、工場用地の確保を遅らせているとしたら笑止千万です。
何故なら、政策とはどちらを優先するかという結論を出す事だからです。その結論をこそ都市計画を策定する時に出しておかなければならなかったのです。それを怠ったため、今時間がかかるのです。
私は過去再三にわたり、小松の都市計画は将来のあるべき姿を想定していない、現在あるものに対して工場があるから工業地域、店があるから商業地域という具合に短絡的に設定しただけの都市計画でそれを改正しなければ街は死んでしまう、と言い続けてきました。
何故改正かというと市民が非常に困っていたからです。今は市自身が困っています。今の都市計画では工場用地にする地域を想定していなかったからです。こんなことは小松の都市計画にはざらにあります。 他の地域から小松へ出店しようとしてもできない、工場を作ろうと思ってもできない、居住しようと思ってもできない、…etc。この都市計画が結果的に小松市民を困らせ、縛りつけています。これは小松市の目指している元気の出る、人の集まる、賑わいを求める市政とは、全く乖離していると思いませんか?
今こそ小松市の都市計画をしっかり見直し健全な都市の発展を図るべきだと思います。何故なら付け焼刃で、泥縄で工場団地を作っても、その都市はとてもいびつになるからです。都市は工場のみで成り立つ訳でなく、そこには居住が必要であり、商業が必要であり、そして安全・安心・便利・快適…が必要であるからです。
経営の世界では、今必要なものだけを売っている商売は先細りになり、消滅するかもしれません。やはり、先見性を持って将来を読みとる力なくしては生き残れません。今の緊急に必要な工場用地だけの事を考えている小松市に将来性はあるのでしょうか?早急な都市計画の改正こそが重要事項です。
調亮
追記 今本当に小松を知り、愛する専門性を持った人が都市計画を考えるべきで、都市計画課から都市計画部・都市計画局への昇格こそが望まれます。防衛庁も防衛省になったように…。
2007.1.31 | 11:04
新年あけましておめでとうございます。
平成19年の幕開けです。いよいよ団塊の世代の退職がはじまります。今までこの社会を支える大きな力となっていた団塊の世代が引退の時代に突入するのです。この影響はいたるところに出てくるのではないかと思います。
まず、この人達の需要がどこへ向くのかです。その需要が田舎へ帰って家でも買って第二の人生を楽しむか、となれば各地方の不動産業界は潤う?のかもしれません。いや世の中の先行きが分からないから預金でもしようという事になれば銀行が潤うかもしれません。株にでも投資してひと儲けを企むかもしれません。その一つ一つを取り上げても影響はとても大です。
何故こんな事を言うのかといいますと、この団塊の世代の動向が社会に大変大きな変化を与えるという事なのです。まず、リタイアメントによる労働人口の減少、それによる退職金の支払い。その退職金の使途により各市場が大きく左右されます。
でも社会への本当の影響は大きな世代が社会の第一線から引退してしまうという事です。今まで日本の経済力を含め、国力は右肩上がりに隆盛してきました。それがその頂点を極め下降に転ずるという歴史的転換点となるのではないかと思います。そういう意味で、この亥の年は大きな転換点として捉える日本にとって、とても重大な年となるのではないかと思います。つまり、その事によって物事の価値観が大きく転換する年となるのではないかと思うのです。
私達日本人はこの転換点を認識し、社会の動向を見究め、世界の情勢を見究め、私達がどのような立場に立ち、行動すべきかを見究めていかねばならないと思います。
本物を冷静に見究め、冷静に実のある行動をしていきましょう。
新年にあたり、思いつくままを書いてみました。
皆様にとって良い亥の年となるようにお祈りします。
平成19年1月元旦
調亮
2007.1.5 | 17:26
いじめ問題について
昔子供の頃、「あべこべだったかさかさまだったか?」という題の映画を見たことがあります。その映画の世界は全てあべこべであったのですが、今の世の中がまさにそうなっているような気がしてなりません。
何があべこべかと言いますと、例えばいじめはまず無くならないという事です。何故ならいじめは人間の本性であるかもしれないので、無くしようと言っても無くなるものではないからです。
性悪説(荀子)というのがありまして、人の本質は悪である、だから教育も何もしないで放っておくと悪人になってしまうという説です。悪人とは人や社会に対して悪事をする人の事を言うのですが、その悪事とは、弱い者(物)いじめをする事なのです。
江戸時代の剣豪宮本武蔵は百選百勝して生き残った人ですが、この人はまさに弱い者いじめの典型だと想います。何故なら自分より強い人とは戦わなかった、必ず勝てるという見極めがつかない限り戦わなかったと言われているからです。又孫子の兵法では「足下の敵をたたけ」と言っています。意味は自分より弱い人と戦いなさい、相手が自分より強い場合は絶対戦ってはいけない、我慢しなさいということです。だから織田信長は上杉謙信におべっかを使い、武田信玄にへりくだり、自分の力が相手を上回るまで時を稼いで、戦って勝ったわけです。こんな例は数え上げたら限がありません。何故なら、このような事は人間の性(さが)、本性であるかもしれないからです。それ故に宗教や道徳でその人間の性(さが)を良い方向へ向わそうと教育をしてきたのです。
しかし今の教育は、あべこべの方向へ向っています。つまり有るもの(人間の性(さが))を無くすという方向です。次々と生まれ出てくる人間の性(さが)であるいじめ、これが無くなるということは永久に無いことなのです。だからこそそれは教育の永遠のテーマなのです。いじめをする人を教育していじめないようにする、この教育が今本当に成されているのでしょうか。最近の教育はそのテーマから少しずれて、いじめる人ではなく、無くなるはずもないいじめそのものを無くそうとしているように思えます。そんな特効薬があるはずが無いにもかかわらずです。
私はいじめを無くす努力は勿論必要ですが、今一番必要なのは、それよりもいじめられたらどうするかを教育する事が急務だと思います。思春期の子供達は何も無くても何気なく死にたくなるものです。それを毎日毎日テレビや新聞で報道されますと、私も‥と思う若者が出てもちっとも不思議ではありません。遺書を残して結果的に学校の先生やいじめっ子をいじめ、そしてその親が教育委員会や教師をいじめ、という具合になると、もうどちらがいじめる方でどちらがいじめられる方かよく分からなくなります。
私の実感で言いますと、世の中いじめだらけです。ある国では国が国民をいじめるという実態もあるようですし、大企業が中小業をいじめるのは当たり前、だから下請法というのができています。この不景気に生き残ろうとすると相手より何か優れていないと生き残れない。これも相手(弱い方)をいじめることになります。身体の大きい人は小さい人を、足の速い人は遅い人を、頭の良い人は悪い人を、身体の強い人は弱い人をという図式は今の世の中、地球上のありとあらゆる所に蔓延しています。これを克服する為に教養を積み、徳を重ねて悟りを啓く事により、相手を痛めつけてはいけない、弱者をいたわらなければならないという「人」になるわけです。小学生や中学生、高校生でそんな聖人になれるはずもないし、世の中にそんな聖人はほんのわずかしかいません。だからこそ人間の永遠のテーマとしてあらゆる活動(教育)を通して人間作りをしているわけです。
だからそう簡単にはいじめは無くならない。それよりもいじめられたらどうするか、これは実は大人みんなが通ってきている道なのです。だからこの道を教える事はみんなでできるはずなのです。誰もがいじめの経験者、いじめられっ子の経験者なのです。だからその経験を通して一緒に考え、対応する事こそが大切なのです。でもいじめられっ子の親たちは我が子がいじめられていた事実さえ知らなくて、その知らなかったという事は恥しい事なのに堂々と教育委員会をいじめ、校長を死に追い込む、こんなことは世の中あべこべ、さかさまだと思いませんか?
いじめは人類の永遠のテーマです。いじめをするのは人間、いじめられるのは人間・動物・虫・おもちゃ‥‥。でもいじめられる事によってそれに打ち勝とうと努力して相手を上回った人も本当に沢山いるし、その人が相手をいじめ返したかというとそれは人それぞれでしょう。でもいじめを経験した人はそんな事をしない大きな人間になっているかもしれませんね。
いじめられていたら相談においでよ。話しにおいでよ。いつでも待っているよ。世の中そんなに捨てたものではないしいじめを突き抜けると面白いものが見えてくるよ。
人生60年も過ごしてくると、小学生のときに身体が大きくて乱暴者に見えた人が小さくておとなしくなっていたり、いじめられていた人がいじめ爺(じじい)になっていたりで世の中まあそんなに大した事は無いよ。世の中あべこべの意は伝わったかな?これも人生のコンサルタントかな?
不動産のコンサルタントは今回お休みです。
調亮
2006.12.9 | 17:07
今こそ真の不動産コンサルを!! PARTⅣ
前回は工業団地のお話をしました。早くしないと時期を失いますよ、というお話でした。
今回は土地利用について述べたいと思います。今では土地の所有には固定資産等、管理経費が大きくなってきて、値上りをするどころか値下がりし続けてバブル期のような土地投資ブームは去り、損益還元法による利を追求するようになってきています。それは一面においては健全な事なのですが、その利の追求というのが非常に難しい事なのです。
その難しさは、その土地の持っている性格、例えば立地、形状、大きさ、近隣の施設の状況、道路の状況、人口の密集度合い、日照、給排水、都市計画の用途、その他その土地の特殊性を考慮して何に使うか、またどのように使うかという事を考えねばならない訳です。
立地が良いとスーパーとかコンビニの業者が営業に来てくれる好運な場合もありますが、なかなかそんな良い物件は限られています。 又駐車場に向いている土地もあるかもしれません。それは小さい投資でまあまあの利を得られるかもしれません。その駐車場用地も限られてくると思います。
そうなりますと、その土地の利用法は本当に真剣に考え、コンサルを受けなければならないと思います。今の風潮は空地があるとすぐアパート、マンションを建てようとします。
しかしこれは曲者です。何故なら先程言いましたように、その土地はアパートマンションに向いているかという根本的な問題があるからです。今は住む人(お客様)の立場に立ってアパートマンションを作らねば決して満室にはなりません。よしんば埋まったとしても新しい時だけで、5~6年経過すると空室が目立つようになってきて、資金繰りが苦しくなってくるという状況が出てきているように思います。
このアパートマンション経営にはもう一つの利点と思われる事があります。それは相続対策なのです。しかし最近はアパートマンションを建てることで相続税対策をして相続税対策倒産が続出しているようです。やはりアパートマンションは経営をするという感覚が求められ、立地、誰をターゲットにするか、ファミリーか単身者か否それとも事務所と住居と兼用で使うかとか、常にお客様の要望を念頭に経営活動をしていかねばなりません。
アパート、マンションは経営なのです。入居者も無限ではなくこれも少子高齢化の波を大きくかぶりそうなのです。
だからこそ本当の不動産コンサルが必要なのです。是非どうぞ!
調亮
2006.11.6 | 10:04
今こそ真の不動産コンサルを!! PARTⅢ
今小松では鉄工、特に小松製作所が最高の利益を上げ、その関連会社も好調で皆活況を呈しています。
それに連れて不動産、特に工場用地や工場の需要が急激に増加し、小松地区において今や工場用地は殆んど無く、小松市も工業団地をつくるのに躍起になっている状況です。でも開発する場所の問題で、特に優良農地の除外に手間取り、なかなか思うように開発ができない状況にあります。
でも行政にのんびりしている猶予はありません。なぜならこの1~2年の間に完成、販売ができないと機を逸する事になると思われるからです。
今は生産が追いつかなくて工場の機械の増設を計画していますが、先行きの見通しはそんなに甘いものではないと思います。必ずこの好況の反動が来るからです。それが5年ぐらいの間に・・・と思うのは私の思い過ごしでしょか?決してそうではないと思います。
今のこの勢いの時に投資してしまっておけばまだいいのですが・・・。何故なら投資してしまってある物に対しては、経営者は必死にその物件の有効活用を知恵を絞って、いや血の滲むような努力をして目指しますから。だから2年ぐらいで開発の必要があるわけです。
いやぁ~とても2年で開発なんて無理ですよ、と役所の担当者の声が聞こえてきそうですが、それでできないのなら止めたほうが良いでしょう。また近視眼的に見るのではなく中長期的な展望を持った都市づくりを目指し、都市計画を推進していく中で、計画・開発を成していくべきだと思います。
産業の振興、それこそが行政の役目です。その役目はとても微妙でデリケートなものです。感性を豊かにして世界情勢を知り、日本の経済の行方を推しはかり、そして初めて計画を立てそれを推進していってください。
拙速こそが今は大切!!
でもそれが間に合わないようなら
深慮遠謀こそが必要です
調亮
2006.10.12 | 17:21
今こそ真の不動産コンサルを!!
今世の中は景気が上向きになって、過熱しないように日銀も金利政策を上昇の方へ政策転換をしてきています。
でも本当に景気が良くなっているのでしょうか?私達零細企業にはその実感があまりありません。私は以前このサンサンコーナーで今が一番景気が良くて、これから日本経済は全体的に見て収縮していくだろう。その大きな原因は少子高齢化による社会の急激な変化ですと言ってきました。
今もそのこと自体は変わっていません。今景気が良いと言っている殆んどの企業は海外へ物を販売する大企業です。それはなるほど日本の少子高齢化の波に影響を受けることなく、海外へ販売すればいいわけですから。そして海外は、日本国内と違って多子若年化、人口の急激な増加を招き、以前の日本の右肩上がりの状況を呈しています。
又日本は技術的にも優れ、その技術に基づいた商品を海外に輸出しているわけです。だからトヨタとかコマツさんとか海外輸出組が景気が良いわけです。
でもこの傾向もすぐ変化します。まず海外では技術をマスターしてきますからそれに似た商品を作り出し、自国で販売します。
又人口の増大は環境の汚染を招き、人口抑制をしなければならない状況に追い込まれてくるからです。と言うことは遅かれ早かれ日本が今辿っている道を辿らねばならない必然があるのではないかと思います。
と言うことは、日本の少子高齢化社会は世界の先端を走っているのかも知れません。でもミクロで日本をみると日本の繁栄がこのまま続くとは誰も信じないのでは?と思うのですが今の世の中特にマスコミ等の動向をみていますとその危機感は皆無のように思います。
次代を担うべき子供の減少そして少子化に伴う子供の甘え、幼児化そして、高齢化。この社会は人間で言えば動脈硬化そのもので、それ以外の何物でもなく、この動脈硬化型社会が皆さんが思っているような(?)景気、例えば神武景気なんかになるはずがないと思いませんか?だから日本は今が最盛期で(少し陰りが見えていますが)これからはずっと下り坂という状況がダラダラと続くのではないかと思っています。
ではそんな中で不動産をどう考えたら良いかという本論に入ろうと思ったのですが、紙面が尽きたので次回に回したいと思います。
景気が悪くても不動産は不動産、とても面白いですよ。次回に期待してください。
調亮
2006.8.24 | 16:52
ドイツW杯サッカーを見て
今ドイツワールドカップサッカーが盛んに開催され、毎日サッカー観戦に余念がないと思います。
私達日本チームは残念ながら予選を勝ち抜くことができませんでした。
私はこの日本チームの予選を見ていて感じたことがあります。まず民放をはじめNHKまでもの報道の凄まじさであります。どのチャンネルをひねっても(?)いや押してもサッカー、サッカー・・・と姦しい限りでした。
報道の過剰は実力の過剰評価となり、あたかも日本チームの実力は優勝までするのではないかという期待になり、日本中が沸騰していました。ところが結果は2敗1分で2点しか取れず、予選敗退に終わりました。
最初のオーストラリア戦で、試合の前日オーストラリアの選手は休養でゴルフ、一方日本は真面目に練習、練習、そしていざ試合でした。最初はラッキーな1点を取れたもののそれだけ。オーストラリアは自分のスタイルを執拗に貫き通し、ジリジリと日本が追い込まれていくのが手に取るようにわかり、川口の美技があったればこそ試合になっていた状況でした。そしてクロアチア戦、ブラジル戦は見たとおりの結果でした。残念です。
でもこの日本中の沸騰を見ていたときに感じたのは、アメリカに挑戦し、第二次世界大戦に突入した日本の姿を彷彿とさせました。
日本の実力を過信し、相手を過小評価し、精神論でそれを克服しようとするあの時代の錯誤はこうであったのではないかと思われます。まず、自己の過大評価は自己分析をないがしろにします。ジーコ監督はとても頑張ったと思います。彼なりのやるべき事はすべてやったと思います。でも最後の反省の「日本人の体格をあげる事が必要」というこの言葉を聴いて私は日本人に合わない監督を選んだのではないかと思いました。
日本人の気質は何事も個人技ではなく組織力で物事を成す気質だと私は思っています。そこに個人の体力に頼り、個人技に頼るサッカーのスタイルを持つジーコが合うのかといえば私は前のトルシエの方が合っていたと思います。今の日本人にロナウドとかロナウジーニョのあの動きを期待してもとても無理で、今後もあのような人を輩出するには何百年、何千年かかるだろうと思います。そのような気の遠い努力よりも日本人の特性を生かしたサッカーを目指す事こそが大切だと思います。
自国の実力も相手国の実力も知らずに無謀に戦いを挑んだこの国はこれがサッカーだったから良かったので、戦争であったら400万人の死が、国土の破壊があったかも知れません。
戦争は国民の過剰な思い込みと思い上がりと国民全体がマスコミに踊らされるというこのような原因によって起こるのかもしれません。
冷静に分析、冷静に行動。でも選手ならば自己過大、相手を過小評価して、敵を飲んでかかる事も時には必要かも知れません。
調亮
2006.8.24 | 16:50
争族問題 Part2 (2006/6作成)
前回は持ち慣れない財産を持つと地獄に落ちるというお話をしましたが、今や相続問題は争族問題となっているようです。
昔は長子相続という制度、法律があり財産は長男に相続する、そして次男・長女・次女等には世帯分け、嫁入り支度etcという具合に財産を分けていた訳です。否、全然分けなくて長男だけが独り占めしていた場合もあったかもしれません。でもその制度によって、家が成り立ちその中で人が生き、お互いに長男を中心に家の行事を行い、例えば墓を守り法事を行い、出戻りを受け入れ?独り者を養い、その他、家としてしなければならない事をそれなりにやってきて、その家が社会を形成し、世界でも有数の安全で家族愛のある社会を形成してきていた訳です。尤もその中には長男の意見が強くなり過ぎるきらいがあったかも知れませんが・・・・。
でも新法になってから個人主義がアメリカによって導入されました。
新しい民法では、お父さんが亡くなられた時相続人が奥さんと子供さん二人だとお父さんの財産の内2分の1は奥様に、残りの2分の1を二人の子供に分配するということになりました。この事は一見平等に見えるのですが私にはとても平等には見えないのです。なるほど権利は平等に分けます。負債も平等に分けます。だから平等でいいじゃないかと殆どの人は言われるのではないかと思います。でも違うんです。
何が違うかというと義務が平等ではないんです。親の面倒をみるという義務、墓を守るという義務、先祖を祭るという義務、何々家という実家・母家を残すという義務、農業後継者を育てるという義務、その他いろいろな義務が全く法律的には抜け落ちてしまっているのです。法律でそんな事を決めるのはまあ無理でしょうが、でもその事が日本の社会に多大な影響を及ぼしているのです。
そう、それは家の崩壊です。行き過ぎた個人主義です。自分さえ良ければよい、見つからなければ何をしても良い、金さえ儲かれば何をしても良い、財産さえもらえば義務なんてどうでも良い、権利ばかりを主張する社会ができあがり自分の権利の為に他人の権利を侵しても知らんぷりというのが今の社会ではないでしょうか?
私はこのサンサンコーナーで以前から再三言ってきております。法律というものは社会の制度を作っていくものであり、とても大切なものであると。
この相続問題一つをとっても、親の財産は平等にもらう、親の面倒はあなた任せでたらい回し、という現象が起きて老人施設が花盛りの世の中になってきています。お墓では無縁仏が続出?兄弟姉妹は口も利かず親や先祖の法事もできず、やれば取っ組み合いとなれば社会が良くなるはずがないのです。
今子供や弱者を狙うという犯罪が多発しています。心ある人は何となく気持ちが悪いな
、どうしてだろうと思っていると思います。でもこのような犯罪の一因に法律が加担しているとしたら大変な事です。
法律にはもっと生活に密着した思いやりのある、日本の社会の美点であった家という考えが残るような制定こそが必要です。
今、変な法律が一杯です。真面目な人のうっかりミスを罰する法律、家や社会を壊す民法、街を壊す都市計画法・・・等々。
もっと法律を身近に考えて、安定した住み良い社会を作り上げていく法律、制度こそを作り上げていかねばなりません。
相続問題が争族問題とならないように!!
調亮
2006.8.24 | 16:47
争族問題(2006/5作成)
相続問題が私達の社会でいろいろ取沙汰されています。「相続」を広辞苑でひいてみますと、引き続き起こること、前に続けること、受け継ぐこと、先代に代わって戸主となること、跡目を継ぐこと、死亡した人の財産に属した一切の権利義務を一定の親族が包括的に承継すること、となっています。私たち人間は金持ちも貧乏人も、幸せな人も不幸せな人も平等に必ず死ぬわけです。その時に自分の子孫に何かを受け継いでほしい、残したいと思うのが人の常であります。
ある人は子供に教育を施し、ある人は資産を残し、またある人はお金を残し、その他いろいろな形で残され、それにはその人の生き方、生き様があらわれていると思います。
今私たちはこの相続こそが人生最大の難事になってきているのではないかと思います。子供たちの教育に力を注ぎ相続させた時は比較的問題が少ないようですが(尤も、学校だけ出して頭でっかちな人間を作ると屁理屈人間になって始末に悪いみたいですが)会社を残す、財産を残すということになると非常な問題が発生するような気がします。
どんな問題かと言いますと、人間は持ちなれない物を持つと非常に困り、持つことによって逆に不幸になってしまうということです。
私はそのような実例を沢山見てきています。例えば親父が社長で会社の社長を相続した場合です。会社の経営能力があれば何の問題もないのですが、経営能力がなかった場合最悪です。本人は地獄へ落ちますが、その他に社員、社員の家族までもが地獄へと導かれてしまいます。そしてその経営能力というのは経済が右肩上がりの時はそれ程要求されなかったのですが、右肩さがりの経済状況のなかでは特に求められ、誰にでも備わっているものではない所に大きな問題があるのです。そしてその事は相続を受ける側と譲る側との正確な見極めがとても大切なのです。
会社は社会の公器であるという観点に立てば自分の子供であるからと言って単純に相続させても良いのだろうかと常に考えていかねばならないと思います。政治家じゃありませんがなりたい者にはさせるなと言う言葉もあるようです。でも自分の器に合わないもの、これ程本人にとって苦しい事はないと思います。だから地獄なのです。
では財産、不動産とか現金有価証券とかの相続の場合はどうなのでしょう。この場合もお金は稼ぐより使う方が難しいものです。こう言うと殆どの方は勘違いをされて、お金は稼ぐほうが難しくて使うのはた易いと反論されますが実は使う方が難しいのです。お金は自分の稼いだ分しか使えないのです。ところが自分の実力以上に収入があるのが相続なのです。この相続が毎年、毎日あれば良いのですがそう度々ある訳でなく、殆どの人が一生に1回か2回くらいの回数です。そこに不幸が始まるのです。自分が稼いだものでないばっかりにた易く使い、すぐ使い果たしてしまうとそれからが地獄です。使う癖のついた生活はた易くもとに戻りません。戻らせるにはとても強い意志がいる訳です。この意思こそが経営能力の一つでもあるのですがこの能力があれば地獄に落ちる事はありません。ところがこの能力はそう簡単には身につかないので、親から財産を相続したおかげ(?)で、生活破綻者となった人達を沢山見てきています。
「児孫の為に美田を残さず」という諺がありますが、昔から人々はその事に悩んできたのではないかと思います。この人生最大の悩みのお話は紙面が尽きたので続きは次に!!
調亮
2006.8.23 | 18:59

