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いじめ問題について

昔子供の頃、「あべこべだったかさかさまだったか?」という題の映画を見たことがあります。その映画の世界は全てあべこべであったのですが、今の世の中がまさにそうなっているような気がしてなりません。
何があべこべかと言いますと、例えばいじめはまず無くならないという事です。何故ならいじめは人間の本性であるかもしれないので、無くしようと言っても無くなるものではないからです。
性悪説(荀子)というのがありまして、人の本質は悪である、だから教育も何もしないで放っておくと悪人になってしまうという説です。悪人とは人や社会に対して悪事をする人の事を言うのですが、その悪事とは、弱い者(物)いじめをする事なのです。
江戸時代の剣豪宮本武蔵は百選百勝して生き残った人ですが、この人はまさに弱い者いじめの典型だと想います。何故なら自分より強い人とは戦わなかった、必ず勝てるという見極めがつかない限り戦わなかったと言われているからです。又孫子の兵法では「足下の敵をたたけ」と言っています。意味は自分より弱い人と戦いなさい、相手が自分より強い場合は絶対戦ってはいけない、我慢しなさいということです。だから織田信長は上杉謙信におべっかを使い、武田信玄にへりくだり、自分の力が相手を上回るまで時を稼いで、戦って勝ったわけです。こんな例は数え上げたら限がありません。何故なら、このような事は人間の性(さが)、本性であるかもしれないからです。それ故に宗教や道徳でその人間の性(さが)を良い方向へ向わそうと教育をしてきたのです。
しかし今の教育は、あべこべの方向へ向っています。つまり有るもの(人間の性(さが))を無くすという方向です。次々と生まれ出てくる人間の性(さが)であるいじめ、これが無くなるということは永久に無いことなのです。だからこそそれは教育の永遠のテーマなのです。いじめをする人を教育していじめないようにする、この教育が今本当に成されているのでしょうか。最近の教育はそのテーマから少しずれて、いじめる人ではなく、無くなるはずもないいじめそのものを無くそうとしているように思えます。そんな特効薬があるはずが無いにもかかわらずです。
私はいじめを無くす努力は勿論必要ですが、今一番必要なのは、それよりもいじめられたらどうするかを教育する事が急務だと思います。思春期の子供達は何も無くても何気なく死にたくなるものです。それを毎日毎日テレビや新聞で報道されますと、私も‥と思う若者が出てもちっとも不思議ではありません。遺書を残して結果的に学校の先生やいじめっ子をいじめ、そしてその親が教育委員会や教師をいじめ、という具合になると、もうどちらがいじめる方でどちらがいじめられる方かよく分からなくなります。
私の実感で言いますと、世の中いじめだらけです。ある国では国が国民をいじめるという実態もあるようですし、大企業が中小業をいじめるのは当たり前、だから下請法というのができています。この不景気に生き残ろうとすると相手より何か優れていないと生き残れない。これも相手(弱い方)をいじめることになります。身体の大きい人は小さい人を、足の速い人は遅い人を、頭の良い人は悪い人を、身体の強い人は弱い人をという図式は今の世の中、地球上のありとあらゆる所に蔓延しています。これを克服する為に教養を積み、徳を重ねて悟りを啓く事により、相手を痛めつけてはいけない、弱者をいたわらなければならないという「人」になるわけです。小学生や中学生、高校生でそんな聖人になれるはずもないし、世の中にそんな聖人はほんのわずかしかいません。だからこそ人間の永遠のテーマとしてあらゆる活動(教育)を通して人間作りをしているわけです。
だからそう簡単にはいじめは無くならない。それよりもいじめられたらどうするか、これは実は大人みんなが通ってきている道なのです。だからこの道を教える事はみんなでできるはずなのです。誰もがいじめの経験者、いじめられっ子の経験者なのです。だからその経験を通して一緒に考え、対応する事こそが大切なのです。でもいじめられっ子の親たちは我が子がいじめられていた事実さえ知らなくて、その知らなかったという事は恥しい事なのに堂々と教育委員会をいじめ、校長を死に追い込む、こんなことは世の中あべこべ、さかさまだと思いませんか?
いじめは人類の永遠のテーマです。いじめをするのは人間、いじめられるのは人間・動物・虫・おもちゃ‥‥。でもいじめられる事によってそれに打ち勝とうと努力して相手を上回った人も本当に沢山いるし、その人が相手をいじめ返したかというとそれは人それぞれでしょう。でもいじめを経験した人はそんな事をしない大きな人間になっているかもしれませんね。
いじめられていたら相談においでよ。話しにおいでよ。いつでも待っているよ。世の中そんなに捨てたものではないしいじめを突き抜けると面白いものが見えてくるよ。
人生60年も過ごしてくると、小学生のときに身体が大きくて乱暴者に見えた人が小さくておとなしくなっていたり、いじめられていた人がいじめ爺(じじい)になっていたりで世の中まあそんなに大した事は無いよ。世の中あべこべの意は伝わったかな?これも人生のコンサルタントかな?
不動産のコンサルタントは今回お休みです。

調亮

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