サンサンコーナー
争族問題(2006/5作成)
相続問題が私達の社会でいろいろ取沙汰されています。「相続」を広辞苑でひいてみますと、引き続き起こること、前に続けること、受け継ぐこと、先代に代わって戸主となること、跡目を継ぐこと、死亡した人の財産に属した一切の権利義務を一定の親族が包括的に承継すること、となっています。私たち人間は金持ちも貧乏人も、幸せな人も不幸せな人も平等に必ず死ぬわけです。その時に自分の子孫に何かを受け継いでほしい、残したいと思うのが人の常であります。
ある人は子供に教育を施し、ある人は資産を残し、またある人はお金を残し、その他いろいろな形で残され、それにはその人の生き方、生き様があらわれていると思います。
今私たちはこの相続こそが人生最大の難事になってきているのではないかと思います。子供たちの教育に力を注ぎ相続させた時は比較的問題が少ないようですが(尤も、学校だけ出して頭でっかちな人間を作ると屁理屈人間になって始末に悪いみたいですが)会社を残す、財産を残すということになると非常な問題が発生するような気がします。
どんな問題かと言いますと、人間は持ちなれない物を持つと非常に困り、持つことによって逆に不幸になってしまうということです。
私はそのような実例を沢山見てきています。例えば親父が社長で会社の社長を相続した場合です。会社の経営能力があれば何の問題もないのですが、経営能力がなかった場合最悪です。本人は地獄へ落ちますが、その他に社員、社員の家族までもが地獄へと導かれてしまいます。そしてその経営能力というのは経済が右肩上がりの時はそれ程要求されなかったのですが、右肩さがりの経済状況のなかでは特に求められ、誰にでも備わっているものではない所に大きな問題があるのです。そしてその事は相続を受ける側と譲る側との正確な見極めがとても大切なのです。
会社は社会の公器であるという観点に立てば自分の子供であるからと言って単純に相続させても良いのだろうかと常に考えていかねばならないと思います。政治家じゃありませんがなりたい者にはさせるなと言う言葉もあるようです。でも自分の器に合わないもの、これ程本人にとって苦しい事はないと思います。だから地獄なのです。
では財産、不動産とか現金有価証券とかの相続の場合はどうなのでしょう。この場合もお金は稼ぐより使う方が難しいものです。こう言うと殆どの方は勘違いをされて、お金は稼ぐほうが難しくて使うのはた易いと反論されますが実は使う方が難しいのです。お金は自分の稼いだ分しか使えないのです。ところが自分の実力以上に収入があるのが相続なのです。この相続が毎年、毎日あれば良いのですがそう度々ある訳でなく、殆どの人が一生に1回か2回くらいの回数です。そこに不幸が始まるのです。自分が稼いだものでないばっかりにた易く使い、すぐ使い果たしてしまうとそれからが地獄です。使う癖のついた生活はた易くもとに戻りません。戻らせるにはとても強い意志がいる訳です。この意思こそが経営能力の一つでもあるのですがこの能力があれば地獄に落ちる事はありません。ところがこの能力はそう簡単には身につかないので、親から財産を相続したおかげ(?)で、生活破綻者となった人達を沢山見てきています。
「児孫の為に美田を残さず」という諺がありますが、昔から人々はその事に悩んできたのではないかと思います。この人生最大の悩みのお話は紙面が尽きたので続きは次に!!
調亮
2006.8.23 | 18:59