サンサンコーナー
ドイツW杯サッカーを見て
今ドイツワールドカップサッカーが盛んに開催され、毎日サッカー観戦に余念がないと思います。
私達日本チームは残念ながら予選を勝ち抜くことができませんでした。
私はこの日本チームの予選を見ていて感じたことがあります。まず民放をはじめNHKまでもの報道の凄まじさであります。どのチャンネルをひねっても(?)いや押してもサッカー、サッカー・・・と姦しい限りでした。
報道の過剰は実力の過剰評価となり、あたかも日本チームの実力は優勝までするのではないかという期待になり、日本中が沸騰していました。ところが結果は2敗1分で2点しか取れず、予選敗退に終わりました。
最初のオーストラリア戦で、試合の前日オーストラリアの選手は休養でゴルフ、一方日本は真面目に練習、練習、そしていざ試合でした。最初はラッキーな1点を取れたもののそれだけ。オーストラリアは自分のスタイルを執拗に貫き通し、ジリジリと日本が追い込まれていくのが手に取るようにわかり、川口の美技があったればこそ試合になっていた状況でした。そしてクロアチア戦、ブラジル戦は見たとおりの結果でした。残念です。
でもこの日本中の沸騰を見ていたときに感じたのは、アメリカに挑戦し、第二次世界大戦に突入した日本の姿を彷彿とさせました。
日本の実力を過信し、相手を過小評価し、精神論でそれを克服しようとするあの時代の錯誤はこうであったのではないかと思われます。まず、自己の過大評価は自己分析をないがしろにします。ジーコ監督はとても頑張ったと思います。彼なりのやるべき事はすべてやったと思います。でも最後の反省の「日本人の体格をあげる事が必要」というこの言葉を聴いて私は日本人に合わない監督を選んだのではないかと思いました。
日本人の気質は何事も個人技ではなく組織力で物事を成す気質だと私は思っています。そこに個人の体力に頼り、個人技に頼るサッカーのスタイルを持つジーコが合うのかといえば私は前のトルシエの方が合っていたと思います。今の日本人にロナウドとかロナウジーニョのあの動きを期待してもとても無理で、今後もあのような人を輩出するには何百年、何千年かかるだろうと思います。そのような気の遠い努力よりも日本人の特性を生かしたサッカーを目指す事こそが大切だと思います。
自国の実力も相手国の実力も知らずに無謀に戦いを挑んだこの国はこれがサッカーだったから良かったので、戦争であったら400万人の死が、国土の破壊があったかも知れません。
戦争は国民の過剰な思い込みと思い上がりと国民全体がマスコミに踊らされるというこのような原因によって起こるのかもしれません。
冷静に分析、冷静に行動。でも選手ならば自己過大、相手を過小評価して、敵を飲んでかかる事も時には必要かも知れません。
調亮
2006.8.24 | 16:50