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サンサンコーナー

『矛盾』

 

対と絶対が対決すると争いや戦争になると前回号で言いましたが、中国故事に面白い話がありましたので取り上げます。それは、『矛盾』という言葉です。

「矛」はホコといい武器の一種です。

「盾」はタテで防具の一種です。

昔、中国の楚の国に矛と盾を売る者がいて、「自分の矛はどんな盾をも破ることができ、自分の盾はどんな矛も防ぐことができる」と誇っていました。まさに、絶対と完全の戦いです。そして、お客が「お前のその矛でその盾を突いたらどうなるか?」と言われ答えられなかったという故事でまさに『矛盾』です。絶対と完全が対決すると解決のしようがないという事なのです。絶対と完全は事と前後が整わないことであり、つじつまが合わないことContradictionなのです。

また、同一の命題が肯定されると同時に否定されることがあります。「命題」と「否定」の連語です。現実のうちにある両立しがたい相互に排除しあうような事、物、傾向、力などの関係なのです。

「矛盾概念」「矛盾原理」「矛盾対当」「矛盾律」「矛盾冷覚」等の言葉がありますが、

まさに絶対と絶対の対決なのです。

しかし、人間は絶対に相手の絶対は認めません。特に考え方や宗教において相手を認めないのです。その事により、人間は戦争を繰り返しているのが世界の歴史なのです。

なんと愚かなのでしょう。この世の中には矛盾があるという事が歴史的にも証明されているのに残念です。絶対神と絶対の神との争いが今の世界です。

日本人の多くは比較的に仏教徒が多く、国民の大半を占めています。そんな日本人に対して、絶対主義の宗教の中では日本人は無宗教だと言って軽蔑した見方をする人が多いと聞いています。これは大きな間違いだと私は思います。この戦争の多い地球上に今必要なのは、この日本人の宗教観ではないかと思うのです。あらゆる物、石ころのような鉱物にさえ神が宿る八百万の神の信仰こそが今必要なのではないでしょうか。山川草木悉皆成仏こそが現代に求められる宗教なのではないでしょうか。今、絶対神は科学によって矛盾がつまびらかになってきています。矛盾が出てきているにも関わらず、盲信しているとしか思えないほど信じています。そして、その上に他の絶対を批評しているのです。戦争にならない訳がないのが不思議です。これは相手を認める度量が求められます。その上この世は八百万の神を信じ、この物や山や川にも神が宿り、太陽にも神が宿る、八百万に神が宿り、相手や自然を大切にし、物を大切にする思想・宗教こそが今求められているのです。絶対なんかあり得ない、完全なんかあり得ない、人間なんて実に不完全なものです。失敗をする動物なのです、その失敗こそ人間を成長させる糧なのです。失敗を恐れず、失敗のない社会を目指すのです。失敗は人間がいる限り無くなりません。失敗をした時にどう対処するかが人間の価値を作るのではないでしょうか。

 

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

絶対とは何か?

私は絶対正しい、原子力は絶対安全だ、今世の中で絶対という言葉が蔓延しています。この絶対という言葉は一体どういう意味なのでしょうか?

広辞苑によると、他に並ぶもののないこと、他との比較対立を絶していること、一切他からの制限拘束されないこととなっています。

絶対の使われ方ですが、絶対の地位を保つ(専制君主等)、絶対の心理、決して断じて、どんなことがあっても必ず、絶対に間違いはない(自信)、絶対に許さない(復讐)、絶対安静、絶対安定、絶対安定多数、絶対音楽、絶対音感、絶対温度、絶対概念、絶対君主政体、絶対敬語、絶対権、絶対視、絶対者、絶対主義、絶対上昇限度、絶対精神、絶対単位系、絶対知、絶対値、絶対的、絶対的観念論、絶対的剰余価値、絶対的否定性、絶対等級、絶対に、絶対年代、絶対評価、絶対量、絶対震度、絶対対決等々、絶対とつく言葉は30以上あり、様々な場面で使われています。

なんと人間は絶対という言葉が大好きなのでしょうか。大好きなのはその言葉なのか?その意味なのか?どちらなのでしょう。私はこの絶対という言葉が実に限定的なことに驚かされます。絶対というと一つしかないのですが、この世は一つだけで生きていけるのでしょうか?例えば一神教です。神は絶対なりと信じてしまうと、その神以外を認めないことになります。しかし、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教等、世界にはいくつもの宗教が存在しています。それらの宗教それぞれに絶対神が存在するとして、その神々が同じことを言えば争いは起こらないですが、違うことを言えば当然争いが起こります。自分が信じている神が正しい、いや我々の神の方が正しいと主張し合えば、必然的に争いが起こり、戦争になります。その信者が心の中に自分の思いを秘めておけば平和は保たれますが、一度主張し始めると、絶対と絶対がぶつかり、相譲ることなく、相寄ることなく戦いが続くのです。それが5千年以上1万年以上続く人間の歴史なのです。人間は愚かであるとつくづく思います。

ある宗教では、右の頬を打たれたら左の頬を出しなさいと言いますが、やっていることと言えば、右の頬を打たれたら左の頬を打っています。これは報復の概念です。絶対と絶対が争う皆殺しの概念が出てきます。昔、十字軍の遠征で、キリスト教徒がイスラム教徒を皆殺しにしたらしいですが、やられたらやり返すという考えのもと、歴史が繰り返されています。目には目を!のもとに。

宗教ばかりでなく、原子力の件でも絶対が盲信されています。以前志賀町の原子力発電所へ見学に行ったのですが、施設を案内してくれた北陸電力の方が、原子力は絶対に安全ですと言うのです。私は絶対安全なら何故東京の近くに発電所を作らないのか聞くと、東京の地価が高いからだと答えました。しかし送電コストのことを考えると近くの方がいいでしょうと言うと、返事が返ってきませんでした。結果的に絶対安全でなかったのは、福島の原発事故で一目瞭然です。そして浄化には、数千年の月日が必要だと言われています。

この絶対は大丈夫なのでしょうか?私は絶対に!!人間は間違いを犯す動物だと思っています。間違いを犯さない完璧な人間などいないと思っています。人は間違いを犯してそれを正すことによって成長する動物なので、ミスを犯さない人などいないと言っても過言ではないと思います。必ずミスを犯します。

それが絶対間違いを犯さないなんて…?いうのは電力会社か政治家だけなのでしょうか?

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

あけましておめでとうございます。

辰年は、陽の気が動いて活力旺盛に成長する年と言われています。

弊社は私が38歳で起業して、早や40周年を迎えようとしています。私の全精力を注ぎ込んだ40年であったと言っても過言ではありません。

「皆様の為に店は有る」をモットーに会社経営に勤しみ、気が付いたら私も78歳と大変な歳になったものです。

その中で私の誤算は、自分が歳を老いるという事です。常に若手、若手、と言われながら活動していたのがいつの間にか長老になってしまいました。

小松地区に清水不動産サービス、清水都市開発株式会社、金沢地区にアールエス都市生活株式会社と3つの会社を経営するに至りました。不動産業を生活産業と捉え、人の生活一般の事は全て関連し、お客様のご要望に応えるべく努力してきました。そして、これからも努力して参る所存です。

「人・自然・街づくりを考える総合不動産業」として、弁護士や会計士、司法書士等との協力のもと不動産全般に関するあらゆる業務(売買・媒介・賃貸管理、運用等)をやってきました。法律や社会の慣習等を把握し、社会にどう貢献できるか?を考える哲学が求められます。その為に、自分自身を磨き、常にお客様の為に良き判断やアドバイスをできる資質が求められます。今後も、人の生活のあらゆる事に対応できる能力を備えた会社作りをしていきます。そして、もうひと踏ん張り80歳の声を聞く私の人生の締めくくりが必要だと思っています。

2024年輝ける辰年に期待し、地域のための住みやすい街づくりに邁進して参ります。

どうぞ皆様のご協力を賜りますようお願い申し上げます。脱炭素、自然環境の改善こそが大切です。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

代表 清水 亮一

北欧の旅 part3

 さあ、いよいよフィヨルド・ノルウェーの船旅です。「フィヨルド」とは何と素敵な言葉でしょう。言葉の響きもいいですね。

「フィヨルド(ノルウェー語:fjord)とは、陸地の奥深く入り込み両岸が急傾斜で、横断面が一般にU字形をなす入江で、氷河谷に氷河の後退後に海水が入り込んで形成されました。スカンジナビア半島南米南端など、高緯度地方に見られるフィヨール。峡湾峡江。」と辞書に出ています。

この山峡は大昔に氷河谷を削り取って、その後に海水が入り込み、氷河が切り取った谷は実に深く、そこを何万tもの船が出入りをしています。今回は豪華客船での移動でした。船中は部屋が豪華なうえ、レストラン・バーやシアターを利用してのあっという間の一泊でした。

私達の北欧の旅は、スカンジナビア半島を横断する旅でしたが、飛行機や船、バス、電車の移動で1ヶ月ぐらいかけてゆっくりと観光するのも良いと思います。日本人の性格ではその国をゆっくり味わうことができないのかもしれません。

北欧の国民性は裕福で、社会保障等も整っているせいか、ゆったりとした生活を送っているように思えます。また、環境に対しても敏感で電気自動車が全体の5割以上を占めているようでした。北海油田も経営していて、その利益は使わず社会保障に全て回しているとのことで、それで社会保障の基金は潤沢で、世界中に不動産を保有し、投資に対しても貪欲であり、この仕組みなら年金も安心なのでしょう。そのため国民にもゆとりがあり、預金をして老後に備える必要がないようで、日々の生活に消費しているようでした。国民の税金負担率が52%の国です。夫婦も共稼ぎで、合わせて1,600万以上(800万×2人)の収入があり、男女格差が無いように感じました。「クオータ制」で女性の登用があり、市会議員等の男女割合も半数のようです。

さらに、日本と比べて「専業主婦(夫)」が少なく、国民の大半が働いているようです。働かざるもの喰うべからずと言う感じでした。そして、仕事はガツガツ働くのではなく、休日はもちろん、営業時間も早く店を閉めたり、お客様がいても店を閉めるという、北欧人の大らかさがありました。いずれにしても、人口が少なく国民全員に仕事があり裕福な暮らしをしているのだなと感じました。

さあ、いよいよノルウェー上陸です。街並みは非常に綺麗で、赤瓦にベージュの壁と北欧らしい色合いでした。私達は上陸してから、まだ残っている氷河を見に行きました。氷河は昔日本にもあり、ノルウェーも標高の高い所に残っているようです。地球温暖化の影響か、随分山の上まで退化していて、谷狭から見える氷河は淡いコバルトブルーで素敵でした。氷融け水が滝となり流れ出ていて、日本の「那智の滝」のような滝が幾百本と流れ出ている景観は壮観でした。でもこんなに氷河も後退していては、地球温暖化の影響が心配になります。こんなところにも環境汚染が憂慮されているのに、人間は戦争をやめずにいまだに続けています。戦争は最大の汚染だというのに…?北欧に来て改めて環境に対する配慮と、ロシアからの影響の強さを感じました。人の愚かさが人類を滅ぼすのかもしれません。では、次号。乞うご期待!

 

ラブ小松! 不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

北欧の旅 part2

まず直行便で関西空港からヘルシンキへ往き13時間の旅です。若い頃はエコノミークラスでの旅でしたが、今回はビジネスクラスにしたことで、旅費は高額になりました。その一因は円安にあります。一時期1ドル75円でしたが、現在は1ドル149円で、約2分の1の価値に下がりました。私は日本の国力もずいぶん下がったものだと心配になります。しかし、私の感覚では日本の実力は120円ぐらいが妥当ではないかと思っています。

この行き過ぎた円安の要因は、日本の政策にあると思います。今の内閣は、円安に対して何ら政策を施していません。わずかな見せかけの減税、人気とりとしか思えない政策ばかりで、根本的な政策は何らできていないのが今の政治です。民主主義は愚民政治に沈んでいると言われていますが、まさにその通りになってきているのではないでしょうか?

そのうえ旅費の高騰の要因に、ガソリンの値上げが大きな影響を与えていると思います。レギュラーガソリン1ℓあたり170円という価格は日本経済に多大な影響を与えてきており、これからもジワジワと日本の社会に影響を与え続けるでしょう。

また、これから日本人は海外旅行に行けなくなるのではと心配になります。反対に海外の人が日本に来やすくなります。今、金沢にも外国人があふれています。インバウンドと言いますが、これも円安の影響かと思われます。そのうえ日本の不動産がどんどん買われていて、近い将来外国の領地として旗が立つ日がくるかもしれません。昔は、戦争により領地を確保しましたが、これからは外国人が戦争ではなく、お金で不動産を買う時代になってきています。それも、円安がその手助けをしているという訳なのです。そのうえ、日本の法律では100%の所有権を持てます。しかし、日本以外の国は49%の所有権しか持てないようにして、51%を自国民が所有するようにしています。この49%と51%の差は大変な差なのですが、これはあとに譲り、北欧の旅の話に戻りたいと思います。

ヘルシンキの空港に降りたって驚いたことは、昔は日本メーカーのナショナルやソニー等の看板が常設されていたのに、そのような看板が一切なく、中国や韓国企業の看板がちらほら見えるようになったことです。ここにも日本の衰退が伺え寂しい限りです。

そして、すぐにトランジェットでヘルシンキからコペンハーゲンへ飛びます。約2時間で着き、初日は一日中移動でした。飛行中の睡眠も若い頃と違ってあまりとれないままコペンハーゲンに到着し市内観光をしました。このスケジュールで寝ずに観光ができるなんて若い証拠なのかもしれませんね?

コペンハーゲンの街並みは静かなで落ち着いた雰囲気です。信号機が少ないからなのかもしれません。また、北欧の街中は15度~17度ぐらいで、暑い日本の夏と比較しても湿気が少なく、今が実に過ごしやすい気候でした。そして、これからが寒い冬の季節を迎えるそうです。

さあ、これから船旅でフィヨルドへ向かいます。乞うご期待!!

ラブ小松! 不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

北欧との街並みの差

令和5年8月24日から9月4日の12日間、久しぶりに海外旅行に行ってきました。コロナ禍以来の海外で、行き先は北欧4ヶ国、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマークです。北欧は日本の猛暑に比べて涼しく、6~17度ぐらいの気温で、湿気が少なく過ごし易さは抜群で、12日間は、移動の2日を除くと実質10日間の旅でした。   4ヶ国とも人口が日本より少なく、スウェーデンで、約1,000万人で、首都に100万人程が集中しているようです。

ヘルシンキの空港に降り立つと、日本の町並みのようにコセコセ、ガサガサしていなくて、実に落ち着いた良い街並みでした。最初は、人口が少なくて広々とした敷地がそう感じさせるのかと思ったのですが、旅をするうちに政策の大きな違いに気付きました。それは、幹線道路が広すぎないことです。

また、交差点が十字路ではなく、ほとんどが信号機のないラウンドアバウトのため、信号待ちせずに、ノンストップで通行できることです。

北欧4ヶ国すべてが同じで、車の流れがスムーズで、バスも早く目的地に着けたようです。交差点の交通信号機は設備投資が非常にかかり、1交差点につき1千万円以上と言われます。そのうえ、ランニングコストの、修繕費、電気料(1年間に全国で120億円のデーターがあり)が必要です。ラウンドアバウトを設置するには、敷地が多く必要です。日本の交差点のように敷地があまり広くないところは、信号機設置の方が最初は良いように思われますが、ランニングコストは比較にならない程です。将来人口が少なくなった時のランニングコストは誰が負担するのだろうと心配になります。

そのうえ、車が停止、発進することにより、排気ガスが通常運転よりはるかに多くなるため、環境には非常に悪いです。排気ガス規制で車の改善も不可欠ですが、交通網の整備も必要だと思います。また、信号待ちの時間がかかります。我々は国内では慣れてしまい気にしていないようですが、私はイライラして、ストレスが溜まります。そのうえ信号機がローテーション化されて、交通渋滞が少しでも緩和されると良いのですが、そこまで至っていないのが現状です。交通事故が起こるたび、地元の陳情により警察庁交通局が許認可している状況です。安全性のみを考え、車の流れはおざなりになり、経費のかかる信号機ばかりの道路ができています。

小松駅前の道路を見れば一目瞭然だと思います。道路幅のみが広くなり、信号機がないと渡れなくなって、お年寄りが横断歩道を渡りきる前に信号が変わってしまい、道路の真ん中で右往左往している姿が見受けられます。これにより、街歩きができなくなり、生活圏を分断しています。私は、駅前の道路にもラウンドアバウト設置が可能だったと思います。ラウンドアバウトを設置できるにもかかわらず、設置しない交通行政に異議を唱えます。将来子どもたちが大きな負担を強いられる行政を私は反対します。この事態に危機感を持っているのは私だけでしょうか?海外へ行ってみてください。環境重視のほとんどの先進国はラウンドアバウトですよ!

私は北欧4ヶ国を旅して、どの国の人々も実に落ち着いた国民性だと思いました。社会保障制度が充実しているのが理由だとも思いますが、そればかりではなく、交通システムが充実しているのも一要因かなと思います。北欧4ヶ国の旅行記は次回以降に譲ります。乞うご期待!!

ラブ小松! 不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

小松市に八つあたり

小松市の道路行政について、以前も意見を申し上げましたが、再度、指摘したいと思います。

本折町から龍助町の道路が、歩道を分離して新造されましたが、あれが改良と言えるのでしょうか?住民にとって非常に使いにくく、また、我々通行人にとっても実に通行しにくい改良、いや改悪と言われる改造だと思うのです。

まず、道路の無電柱化です。どうして本折町から龍助町間だけが無電柱化されるのか?何の基準によって成されているのか、これから街中は全て無電柱化されるのか?どんな流れになっているのか?とても興味があります。

次に歩道です。縁石をつけたばかりに、道路に面した家は、アプローチがしにくい状況になっていると思います。特に車庫への車の出し入れはしにくいと思います。また、縁石の歯抜けのようなガタガタさは実に使いにくいものです。

ところで、歩道の縁石は必要なのでしょうか?歩いている人が危険だからなのでしょうか。もし危険だとしたら、他の地域は危険ではないのでしょうか?事故が起きる可能性があることは分かります。ほとんどありませんが。しかし、縁石があることにより、けつまずいたり、車が交差しにくい状況になっていることも事実です。

私は、街中の歩道には縁石は必要ないと思います。国道や県道など、車のスピードが出やすい道路には、歩道が必要かもしれませんが、街中を走る道路には必要ないと思います。逆にスピード規制をすればよいのではないかとさえ思います。

私は、都市計画において縁石の必要がないと決めるべきではないかと思います。設置されることで、生活しにくくなるような縁石は不要だと思うからです。試しに私の事務所(小松市小馬出町)の前の通りと、龍助町の通りを比較してみれば、一目瞭然です。行政マンは、もっと真剣に道路行政に取り組んでほしいと思います。

私は事業をしていて、常に投資と効果について意識しています。一つの例ですが、自社で開発した宅地(大聖寺の福の杜、85区画分譲地)の交差点では、信号ではなくラウンドアバウト(環状交差点)を取り入れました。行政から許可が下りるまで、一年もかかりました。ラウンドアバウトでは事故が起こりやすいのではないか、という杞憂からです。しかし、信号を設置しない交差点にと工夫した一時の投資で、非常に効果があったと思います。是非一度見にきてもらいたいと思います。今では、そこを利用する大聖寺の住民はすいすい通行しているようです。イギリス、ドイツ、アメリカなどの欧米諸国では、ラウンドアバウトが広く普及しています。初期投資は大きいですが、ランニングコストがほとんど必要なくなり、便利です。

小松市の行政マンも、ここに投資をしたら、その効果はいか程だろう、この投資は市民の為になるのだろうか?少しでも市民の生活がし易くなるのだろうか?等を常に考えていかねばならないと思います。担当者が真剣に検討し、他の優良地域を視察し、研究し、良い事柄をどんどん採用していく見識が求められます。そして悪しき事業を廃止し、良い事業を取り入れる街づくりをしていかねばなりません。その柔軟性こそが求められ、常に改善をしていく為に行政マンの能力を高めねばなりません。お互い頑張って小松の町を良くしましょう。(左:龍助町、右:小馬出町)

 

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

親友の死に接し

先日、私の幼馴染の親友が亡くなりました。彼とは小学校から一緒で、中学は別でしたが、高校は同じで、青春時代を共に過ごした仲です。一緒に語り合い、酒を飲み交わし、仕事もし、実に頼もしき友でありました。

自分の同級生が亡くなるというのは実に寂しく、自分も死をとらえる年に近づいているという思いが、ひしひしと感じられました。自分の生き様はこれでいいのか?自分らしく生きているのか?と、つくづく考えさせられました。

日本人の平均寿命は、女性は88歳、男性は82歳です。その上健康寿命というものがあり、女性は75歳で、男性は72歳と言われています。この健康寿命というのは、自分の頭で考え、自分の体を使って通常の生活を送れる期間のことだそうです。

私は76歳で、健康寿命を過ぎています。最近、物覚えが悪くなっています。子どもの頃ならスッと頭の中に入っていたことが、今では何回も繰り返すことで、やっと覚えられる次第です。また、話す上で言葉が次から次へと出てこない時、あれ何やったろう、と時間をかけると、やっと出てくることがあります。

これも年齢のせいかな、とも思いますが、私は、脳の引き出しが多くて、その引き出しを探すのに時間がかかっているからだと思うようにしています。年齢による脳の衰えのせいにせず、世の経験の積み重ねが多いせいだと。

しかし、確実に時代は変わっています。ちょっと前まで頑張っていた方が、最近は顔を見ないなと思うと亡くなっていたり、世の中の構成がどんどん変化しているような気がします。亡くなった親友も、社会の一線で大活躍され、3年程前から顔を見ることが減り、気遣っていたところ、突然の訃報でした。その人その人がそれぞれの人生で積み重ねてきたものが、突然この世から消えてなくなるのです。次の世代に、その思いは引き継がれていくものの、遺された人の人生が始まり、故人に対する記憶は次第に薄れていき、二代程経るとなくなり、故人が精一杯生きた人生は全くなくなってしまうことになるのです。人間の歴史は、何千年、何万年とその繰り返しです。その人の学歴、人生、財産等もすべて雲散霧消してしまうのです。後に遺されたものが、どう使うかによって、生きるか、生かされるか、死ぬかしてしまうのです。

要するに、財産等は遺された人によって、どう生かされるのか、どう遺していくべきなのか、ではないかと思います。そう考えると、物ではなく、自分がどう生きたかという意志がとても大切であり、伝えるべきことではないかと思います。

遺された私達は、その意志を後世に伝えていくことが、この世に生きるということではないでしょうか?昔こんな年寄りが、先祖がいたんや、と語られることが大切かもしれません。

今の世の中は非常に早く進み、人々の記憶も早く薄れがちです。しかし、何世代にわたって語り継がれていけば幸いです。今回、親友の突然の訃報に接し、少し感傷的になり、人生、死というものについて改めて考えてみました。死を覚悟することは、忌避すべきでなく、死は誰にでも平等に訪れ、避けることのできない人生の一大一幕です。常に死を意識した悔いのない生き方をしましょう。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

悪人顔のおもしろなさ!

「のう越後屋、お主も悪よのう」この一節は、ドラマ水戸黄門の悪徳商人が越後屋に向かって言うセリフで、越後屋とは江戸時代の豪商です。どうも日本人というと、清廉潔白が理想で、商売というと何か悪いことをして儲けているようなイメージが強いようです。昔から士農工商といって、社会的に商人は一番低い地位にありました。しかしお金の力で世の中はだんだんと変化し、その結果、明治維新という大きな社会変化となって現れたのです。越後のちりめん問屋、越後屋、鴻池(こうのいけ)家等は江戸時代の豪商ですが、飢饉の際は米の買い占め、火事になれば材木の買い占め等を担当官僚等と癒着して行い大儲けをしたため、庶民は商人に対し良いイメージを持っていなかったようです。いずれにしろ今も昔も悪い人達がいたようです。

しかし最近は、テレビドラマの悪役をする人の顔がどうも悪役をする顔でなくなってきているように思います。我々の子どもの頃の悪役の顔といえば、本当に悪いことをしそうな顔をしていたものです。今のドラマを見ていると、ほとんどがイケメンで、背が高くて足が長く、顎がなくてラッキョウ顔で、小顔でスタイルのよい人ばかりです。えらが張って、目がギョロリとして、鼻が大きく横に拡がり、胴が長く、足が短くて悪知恵が働きそうな悪役はどこへいったのでしょう。いつからか皆同じような顔つきになり、人を殺したりお金を盗んだり悪事を働くのは普通の顔の人で、精神的におかしいと思うような人が増えたように思います。

昔は貧しくて食べる物がない為に盗みをしたようですが、今は贅沢をする為に盗みを働くようです。それも普通の顔で。昔は平生の行いが顔に出たものですが、それは今も変わらず、自分の行いが顔に現れると思います。罪を犯すと、常に精神鑑定をしなければいけない今の世の中を見ると、これまでの教育は正しかったのかと心配になります。

私が言いたいのは、悪人のことではなく、悪役をする人が実に少なくなり、悪役がよくないドラマは見ていても全然面白くないのです。まるで全く味が無い、さび抜き寿司を食べているような味気無さが残るのです。やはりドラマを面白くするには悪というさびが必要なのかもしれません。

善がなければ悪がなく、その背景に深い深い思惑がひそんでいなければ何の面白味もありません。

最近の日本人の平準化の要因が、平準化された教育にあるとすれば大変なことではないでしょうか?個性を育てない、自分で思考しない、教えることのみが多く、学ぶことが少ない、友と交流することが少ない、教育が必要なのでしょうか。一律の平均的人間しか育てられない教育、学歴だけが物を言う教育が、はたして必要なのでしょうか。ある大学を出たら評価する、その人が持っている資質を評価できる日本人がいかに少ないか。学歴だけで相手の実力を評価するのではなく、その人の実力を正しく評価することのできる人になれるよう自分を高めましょう。

悪人顔から教育の話になりましたが、人生百年いかに充実させ楽しい人生を送るか、それは自分で考え、それを実行して自分らしく生きることしかないのではないでしょうか。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

私の母校 板津中学校

小松市の北の方、梯川を渡ったところにある現在の美原町に私の母校、旧板津中学校の校舎はありました。木造平屋建ての一部弐階建てで、田んぼに囲まれた非常に日当たりの良い校舎でした。

当時の板津校下は、梯町、梅田町、島田町、松梨町、御館町、大島町、蛭川町、犬丸町、長田町、高堂町、平面町、一針町、野田町、千代町、能美町等で構成され、私たちの学年は4クラス約190人が在籍していました。中学2年生の時には、全校生徒数は600人前後だったと記憶しています。

先生方は石髙寛氏、北村利子氏、新井睦子氏、小西一郎氏、中野鯰氏、前氏、正寺氏、南氏、加納氏、蓮井氏、校長先生と私の父と同窓生の荒木氏等の多志才々の先生方が活気にあふれ頑張っていました。

また、クラブ活動も活発で私が2年生の時には県の優勝旗が7本も学校に飾られていたことが記憶に残っています。私も野球部に所属し、加南地区新人大会では辻佳久投手の活躍もあり優勝しました。時の顧問は後藤長兵衛氏でした。野球を全く知らなかったにも関わらず、うまくチームをまとめあげられていました。先生が本来教示される長唄浄瑠璃の技術が活きていたのかもしれません。

とにかく先生と生徒のハーモニーが素晴らしく、非常に文武両道に励み、生徒は伸び伸びと学業にも勤しんでいました。それは何故かと言うと、梅田町は会社員の子ども、他の町は主に農家の子どもが多く、伸び伸びと育ち、そのバランスは素晴らしいものがありました。私の恩師達もあの頃の板津中学校は楽しかった、面白かった、勉強もできてクラブ活動が素晴らしかったという思い出話を聞くと、改めて素晴らしい中学校だったなと思います。

私が小学生の時は担任の先生と気が合わずあまり学校が楽しくなかったのですが、板津中学校に入学してからは、実に伸び伸びとした学校生活を送りました。今の人間形成が出来たのもこの3年間であったと言っても過言ではありません。

この板津中学校の雰囲気はどのようにして作られたのかと考えると、生徒の人数が教育に適していたのだと思います。1クラスは約40人の男女比は半々で、とてもバランスが良かったです。その板津中学校を板津、丸の内、安宅と合併しマンモス化を目指したのは、私からすれば大失敗に終わったように思います。純朴な板津、街風の丸の内、漁港の荒々しさを持った安宅の合併により、何とも言えない校風ができあがったのです。それが元の中学校に分割するという不手際です。今のそれぞれの中学校の校風は分かりませんが、昔に戻っているのでしょうか?戻っていないと思います。ちなみに私は板津中学校14回(昭和37年3月)卒業生で旧板津中学校最後の卒業生です。たった14年しか旧板津中学校は存在しなかったのです。

最近、JRの電車に乗るために明峰駅に行く途中で現板津中学生に出会うのですが、その挨拶が非常に気持ちよく、先輩の私としては嬉しい限りです。昔の板中の雰囲気が戻ってきているのではないでしょうか。

また、自然の恵みといえば白山の雄姿が望めますが、悩みがある時や行き詰まった時に白山を見ると落ち着き、常に白山に助けられ今でも白山を見るのが大好きです。

そんな自然に恵まれ、地域に恵まれた板津中学校時代の思い出は、今も私の胸の奥深くにしまわれています。やはり中学校の適正規模というものがあると思います。適正人数は何人程度か、常に研究すべきだと思います。未来の子供たちの為に素晴らしい中学校を作りましょう。

学校教育でどの時代に生徒が伸びるのかは、それぞれの時期に出会う先生との縁でしょう。教育の大切さを今更ながら思うばかりです。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

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