サンサンコーナー
東日本大震災に思う partⅤ
何回も東日本大震災のことを書いています。
書く度に非常に心が重く、ペンも重くなります。これで最後にしたいと思いますが、いろいろと思いが多すぎて止められるかどうか分かりません。
やはり大震災の被害は福島原発の被害です。他の被害は、苦しいけれども人力で、人の協力で何とかできるように感じます。しかし、原発の被害は当初予想した悪いシナリオ通り、広範囲に長期間にわたり甚大な影響を及ぼしつつあるように思います。放射能汚染だけは人力では如何ともしがたく、ごみの処理においてすら、汚染されている場合は簡単には事は運びません。
例えば汚染牛肉のことです。これは肉牛に与えた餌が汚染されていたために、それを喰った牛が汚染されてしまい、それを知らずに流通経路にのせて市場に出てしまいました。その数は相当数にのぼり、それがほとんどは食べてしまったという事らしいのです。
この責任はいったい誰が誰に対してとるのでしょう。まず牛の生産者に対しては国が補償すると言っています。その補償は汚染された牛の価値に対してされるのか、それともその生産者の一生を保障するのか、国がそんなことをするとはあり得ないと思いますが…?
その次に牛肉が風評被害で売れなくなった、その分は誰が面倒見るのか?国が…?冗談でしょう。次に肉を食べてしまった人に対してどう補償するのか、考えただけでも大変です。
被害者の特定、被害額の決定、こんな事誰がどうやってするのでしょう。国がなんて思っている人はいないでしょうね。無理無理ということは、国民への頬かぶり、国民の泣き寝入りしかないのかもしれません。どこかで「確実にそうなるよ」という天の声が聞こえてくるようです。特に放射能汚染の影響は10年20年と長い年月をかけてジワジワと出てくるでしょう。この被害に対してどう保障していくのか?これも頬かぶりになるんだろうと思いますが…?
今原発の必要性が云々されていますが、全面的に廃止から絶対必要まで、いろいろな意見が出されています。今ある原発をすぐ全面廃止はとても難しそうですし、今のまま運用するのも怖いということになれば、例えば今の地震は1000年に一度という規模の地震で、津波の高さが想定外であったということならば、その津波の高さ以下の原発は即刻廃止、それ以上の高さにある原発は20年以内に廃止の方向、さらに地震帯の地域にある原発も廃止というような具体的な指針を作れば、脱原発も現実化してくるのではないかと思います。
各原発で100キロ圏内汚染―中国の黄砂は何百キロも飛来して日本に蓄積しています―ということになれば、三機程原発事故が起きたら日本人が日本に住めなくなる時が来るのかもしれません。
大地震が起きて被害は甚大でも人々の力で復興できます。でも原発はそう簡単には、また短期間では復興できません。何百年というサイクルが必要となるのです。
東電が、国がどう責任をとるのですか?
追記 単純な疑問
牛の食べるワラだけが汚染して、そのほかの野菜とか果物とかがどうして汚染していないのか不思議でなりません。そしてそれらを食べた人も…!
2011.11.14 | 18:12
東日本大震災に思う partⅣ
東日本大震災の事を思う時、避けて通れないのが福島原発の事ではないでしょうか?
この問題は、災害対策で短期間に解決できるというような問題ではありません。人間は、短期間で結果が表れるものに対してはすぐに対応できるのですが、ゆるゆる、じわ~ときいてくるものに対しては大変反応が鈍いように思います。今回の事故が人体に与えてくる影響がどんなものになるか全く分からない中、その担当者も、行政も、その責任を回避する傾向がとても強く、またその被害者もその被害を科学的根拠に基づいて証明する事がとても難しく、または証明できないかもしれません。こんな事では誰も責任を取る必要がないという事で、責任逃れをしているのではないかと思うくらいです。
水俣のカドミ汚染の例でも分かるように、それを証明するのにとてつもない時間と経費と労力がかかります。その上、人と人との憎み合い、人間関係の歪みの上にやっと現在の状況になっているというのが現況です。それでもとても満足のいく内容ではないと思いますが…。
チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故においても、100㎞圏内におけるガンの発症率が通常の30%も増加したとか、甲状腺ホルモンの異常が30%も増えたとか、というデータを見ると、これを個別にどう対応していくのかと考えただけでも寒気がします。
またこれによる風評被害もばかになりません。真実を伝えない事により、憶測を生み、その憶測が独り歩きして風評となり、外国から観光客が来なくなり、近辺の農作物は一切売れなくなり、肉も牛乳も・・・あらゆる商品がほとんど売れなくなったとしたら、これはもう震災の被害なのでしょうか?
もうそうではないでしょう。これを東電の社長が、国の担当大臣、否総理大臣が責任をとるという問題なのでしょうか?もう責任をとれるような問題ではないのではないでしょうか?
誰も責任をとれるものではない事を我々は推進してきたのです。私達は便利さを求めて、この危険極まりないパンドラの箱の蓋を開けてしまったのかもしれません。この箱は半永久的期間、浄化できないかもしれないのです。そういう点から我々はこのパンドラの箱「原子力」というものを、遅いかもしれませんが、基本、根本から考えてみる事をこの東日本大震災が教えてくれているのかもしれません。
ピンチをチャンスに切り替えましょう。
2011.11.14 | 18:10
東日本大震災に思う partⅢ
現在でも東北地方、関東地方では日常的に余震が続いているそうです。マグニチュード9という地球規模でも、歴史上ビッグ10に入る程の巨大地震であったのですから、その余震も強く長く続いているのかもしれません。
地域の方々に、心からお見舞い申し上げます。心を強く持って頂き、日々の生活を送られん事をお祈りしております。
私達の人生において「禍福はあざなえる縄の如し」と言われています。良い事の裏には必ず悪い事がついて回り、良い事はいつまでも続かないし、悪い事もいつまでも続かない、という意味です。人間はいつもこのような災難に行き当たり、それを乗り越えてきたのです。いつまでも月の夜ばかりではない、と自らを戒め、いつまでも闇夜ばかりでもない、と希望を持ってきました。
そうです、この希望こそが再生の原動力であるのです。希望を持たないで現実に打ちひしがれ、マイナス思考に陥った人はそれに負け、希望を持って現実に立ち向かった人々だけが生き残ってきた、のではないでしょうか?
今回の大地震は、被災地の方々の生活を根こそぎ奪いました。これを悪ととらえて落ち込んでしまうと、そこからなかなか立ち上がれません。ここは気力を振り絞って前向きにとらえ、新しい街づくりを始めるチャンス、住み良い都市計画ができるチャンス、地震・津波に強い家づくり・街づくりを真剣に考え計画するチャンス、ととらえて行動する事が人間の底力を目覚めさせることになるのではないでしょうか。人間は逆境におかれた時にこそ、その真価を発揮する動物で、その逆境こそが、人間を成長させるのだと思います。今をピンチととらえるか、またはチャンスととらえるかによって、その効果はまさに雲泥の差となって表れるのではないでしょうか。
今、日本人はこの東日本大震災によって、“喝”を入れられ、平和ボケした根性を叩き直す時期にきているのかもしれません。
私達石川県人は、災害の少ない、否これまで少なかった事に感謝すると共に、一丸となって物心両面で東北地方の復興に力を注ぎましょう。それがまた、石川県の地域活性化にも繋がる事なのかもしれません。
日本は一つ、世界は一つ!
2011.11.14 | 11:55
東日本大震災に思うpartⅡ
毎日続く余震にもうこんな所には住んでいられない、と住居を物色される方、放射能不安がしばらく落ち着くまでアパートを借りようとされる方、この石川県小松の地域にも少なからず影響が出始めてきました。私達不動産業者も誠心誠意これに対応しなければならないと思っています。
私達は日頃「不動産」と軽く言っていますが、この「不動産」とは一体何なのだろうと改めて考えさせられます。まず福島原発の半径20㎞圏内が立入禁止になりました。この禁止期間は原子力の汚染が解消されるまでですから10年とか20年、いや50年100年かかるとも言われています。ではこの20㎞圏内の立入禁止期間における不動産の価値は一体どうなるのでしょう。人が入れないとすれば価値はゼロとなるでしょう。そうすると例えば、住宅ローンが残っていた場合は返済する負債だけが残るという事になり、担保価値ゼロによる個人負担のみが残るという事になります。これにより金融機関への返済が滞れば金融機関の業務を圧迫する事になります。
そして市の重要な収入源である固定資産税はどうなるのでしょう。評価はどうなるのでしょう。そこでは人も住めないのですから無価値となり、評価ゼロとなるのでしょうか。また、地盤が沈下して排水ができなくなっている地域も同様なのでしょうか。
このように考えてくると不動産の価値というのは実にもろいものだと痛感させられます。
これが東京であったなら、銀座の土地評価はどうなるのでしょう。思っただけでもゾッとします。
今回のこの巨大地震は壱千年に一度のものと言われています。人生100年と言われている(?)最近の状況に居てさえもこれに対応する対策をする事に何らかの意味があるのでしょうか?建物を耐震構造にという事でいろいろ法整備も騒がれているようですが、現在の建築物の寿命自身が50年~60年という中で建物に耐震の意味がどこまであるのか私には解りません。そしてその効力があるのか、あるとしてどれだけの震度に耐えられる建物を造れば良いのか、もっともっと研究をし、コンセンサスを得て法律化しないと自己満足になるだけで需要家(一般消費者)にのみ負担をかけるということになってしまいかねない要素がいっぱいあります。もっとたくさん議論しましょう。
今回は地震によって噴出した一つの問題、不動産の価値について書いてみました。
2011.11.14 | 11:51
東北関東大震災に思う
先日東北関東地域に、日本史上に例のないマグニチュード9という驚くべき地震が起きました。亡くなられた方々、被災された方々、その縁者の方々に対しまして、心からお見舞い申し上げます。
この地震は平和な日本、豊かな日本、整備された日本を直撃しました。多数の死傷者を出し、住居や工場、事務所等の建物、道路、水路、田んぼ、送電施設、水道施設等のインフラをことごとく破壊し、地元の人々を奈落の底に突き落としました。そしていまだに行方不明者が多数という大惨事です。
ここに今人間の作り上げてきたもののもろさが、人間が作り上げた都市というもののもろさが、そしてそのシステムのもろさが露呈したと思います。
国、地元は自衛隊、消防隊等を投入して、その道路網の回復、電気水道の復旧に躍起となっています。とてもご苦労様で、その働きには頭が下がります。また災害を受けなかった各自治体が応援し、受け入れに躍起となって日本国民一丸となってその復興に力を注いでいます。これは危機における日本人の一致団結力の強さを示すものだと思います。また日本人の資質の素晴らしさが出ていると思います。これを見ていると、日本というのはいいなあとつくづく感じます。
しかしここでその良さばかりに眼を向けているわけにはいかない事になってきました。平穏な時には何気なく見過ごされた事が、この危機に直面し如実に表面化してきた事があります。それは原子力発電の問題です。
原子力発電は、「絶対安全です」という神話によって各地に造られてきたのです。私も以前原電施設の見学に行った時に質問したのですが、担当者は「絶対安全です」と断言しておられました。私は絶対安全なら、なぜ東京のど真ん中に造らないのですかとさらに質問すると、東京は地価が高いからと答えられました。
経済的な問題なら、毎日福島から東京へ送電するコストの方がより高くつくはずですよと言うと、担当者は黙ってしまって他の話題に変えてしまわれました。
私はこの世に「絶対」という事はないと思っているのですが、原電の担当者は「絶対」と言っていました。ところが今回は「想定外」であったといとも簡単に「絶対」を翻しています。
原電の事故、否これは事故ではなく人災なのです。この問題は私達が簡単に電力を求め消費してきた結果なのです。でも私にとって今度の災害は想定外の事ではなく想定の範囲なのです。私は政治や経営は未来に対する想定をし、国民に安心を与える事だと思うのです。実行には必ずリスクが伴うのです。この今の原電のリスクを国民に知らしめて判断を下していたのなら、国民はそのリスクを受けなければならないと思います。しかしこれが「絶対安全」というウソによって造られたとしたら、国民は騙されたと思うでしょうし、東電の社長は逃げ隠れしなければならないでしょうし、この責任を取らねばならないでしょう。でも一企業がそれを賄えるとはとても思えません。被害は地震の問題から原子力の問題へと変わっていっているのです。
また毎日放射線のレベルの発表がありますが、影響がとても大きいという事で正確に報道されているのかとても心配です。今の報道の状況は第二次世界大戦の頃にとても似ているような気がするのです。どれだけのレベルだから人体に影響ありません、乳児に対しては危険だが成人には大丈夫ですと政府の担当者が作業服を着て言っているが、本当に専門家でもない者が適当に言っているのではないだろうな、御都合学者が適当に「絶対大丈夫」と言っているのではないやろかとか、いろいろ疑心暗鬼になります。
報道する側からすると、本当の事を言うと国民が動揺するからと少しのウソを発表する。とこんな事になるともうこれはどうなるんやという事になるわけです。しかし国民の側にも冷静に対応する能力があるかというと、買い占め行動などを見る限りこれもまた問題です。これはもうドロ沼という事で、紙面も尽きてきましたのでこのドロ沼に浸かったままで次回に回したいと思います。
2011.11.14 | 11:49
ブランディングⅣ 拙速
空港軽海線の細工町から 城南町 の通りが、ようやく完成します。本当に“ようやく“です。着工したのは24年前というから四半世紀かかった事になります。周辺の住民は勿論のこと、我々 小松市 民には迷惑なこと極まりありません。沿線の商店等は本当に大変だったろうとお察し致します。
完成が遅れた原因は何かと探っていけば、地元民の「総論賛成、各論反対」で用地買収の難航とそれに伴う行政の取り組みの集中度が鈍ったことによるというのですから全く何をか況やであります。中国の孫子が、巧遅より拙速を重要視したのもうなづける事ではないかと思います。
この四半世紀を費やした工事もいよいよ完了する訳ですが、おぼろげに全体像を見ていますとこの空港軽海線の広さが気にかかります。
まず、直線でこの広さですと車のスピードが上がり、右折しようとすると非常に危険になるのではないかと心配されます。
その上スピードを出すと、沿線の商店等へはよほどの駐車スペースを設けて入りやすくしておかないと車は入れないのではないかと思います。工事中の方が車が入りやすかったよ、という皮肉な事になるかもしれません。
その上交通事故防止と称して中央分離帯などができたら、面としての街は最悪の結果になるでしょう。もっともそれは今回はなさそうですが・・・?
また、この広い道路を横断するのに年寄りは大丈夫かな、また一度の信号で渡りきる事が出来るのかなと心配になります。信号の時間を長くすれば良いのでは、とも思うのですがあの広い道に長い信号、思っただけでもゾッとします。何の為の広い道なのかというジレンマに襲われるのは私だけでしょうか?
ただでさえ南北に長い小松の街なのにそれを真ん中で真っ二つに切ってしまったのが空港軽海線という事になってはいけませんね。
ここで仏作って魂を入れねばなりません。それが、交通ルール作り、交通信号機の設置等の交通マニュアル作りだと思うのですが、従来のパターンでは大きな期待はできそうにありません・・・・・よね?
ブランディングとは、他と差別化を図る事だと皆さん理解しているのですが、具体的に何を差別化するのかは考え方によると思います。他と同じ事しかできないようでは差別化なんてできる筈がないじゃありませんか。おもしろい通りにしたいものですね。
少子高齢化社会なのに年寄りが通れないような道ばかりを作っていてどうするの?若い人に聞いてみる・・・!
2011.11.14 | 11:42
ブランディングⅢ
前回は小松のブランディングの1つ“小松うどん”について話しました。
今回は我が業界、不動産業界におけるブランディングについて考えてみたいと思います。石川県には不動産業を営む会社が約1000社あります。その内小松・能美地区には100社余りあります。これらがそれぞれ何々不動産としてブランディングを行っている訳です。
何々不動産と言えばお客様に信頼していただき、購入依頼、販売依頼、賃借依頼、賃貸依頼その他不動産に関する仕事をさせて頂く訳ですが、その信頼とは一体何なのでしょう。 私はこの「信頼」にこそブランディングの本質といいますか影響があるのではないかと思います。お客様の信頼を得ることこそがブランディングを進めることであると言う事であれば、信頼を得るとは具体的にはどういう事でしょう。
まずはお客様に安心を与えることです。安心を与えるとは、物件を知り物件に対する知識(法律―民法・都市計画法・建築基準法等)を得、その情報を正確にお客様に伝えることが第一ではないかと思います。
第二にお客様のニーズを的確にとらえ、迅速に答えるようにする。このニーズというものはお客様個々に個性があり、一人ひとり違うのでそれらを的確に知る事は本当に大変なことだと思います。
次に売り手(貸し手)と買い手(借り手)の利害の調整です。これらは常に反対です。売り手は常に高ければ高い程良く、買い手は常に安ければ安い程良いという全く反対の利害関係なのです。この売り手と買い手の合意を成すにはどうしたら良いか、そこにその物件の適正な価値評価が必要となってきます。
この物件を評価する事こそが私達不動産業者が常に求められることなのではないでしょうか。しかもこの評価は常に一定ではなく、その社会情勢、景気の動向によっても大きく影響を受けますし、その物件自体の形状、間口、奥行、方向、近隣の生活利便施設、近所の居住の方々の性格、町の雰囲気、天候、地盤、地質、道路状況、教育環境その他いろいろの状況を勘案して評価します。そしてその物件の人気度(とても抽象的ですが)も評価に大きな影響を及ぼします。
そして常にお客様を裏切らない誠実さ、プロとして、人間としての誇りをもった活動こそが不動産業のブランディングに繋がるのかもしれません。
しかし物事には常に表と裏、良い面と悪い面があります。例えば人が多く集まる所は賑やかで、生活も便利というプラス面があり、その反面騒がしい、うるさいというマイナス面もあります。便利さは別の不便さを現出させます。その事をお客様に納得していただくことが大切です。バブル時の営業でお客様に良い事ばかりを伝えて不都合な事を一切言わないで後でトラブルになるという事がありましたが、これは信頼ではなく不信頼という逆のブランディングかもしれません。私達不動産業者はとてもデリケートな業種でハードというよりソフトこそがブランディングの要因かもしれません。そのデリケートなブランディングされたソフトによって土地建物といったハードが出来上がり、それを安全、安心に喜んで所有していただく、これこそが私達不動産業界のブランディングであると思っています。
2011.11.14 | 11:39
謹賀新年
いよいよ2011年の幕開けです
『天の監督を仰がざれば 凡人堕落
国民監督を怠れば 治者為盗』
「天(自らを律す・神ともいう)に監督をしてもらわないと全ての人(国民)は堕落する。国民が監督していないと政治家、官僚達はドロボウをしますよ」という意味で、明治の人、田中正造の言葉です
世の中はその通りに暗い世相です。
しかし、着実に世代交代は進み、顔ぶれが変わっていっています。
地位にしがみつき欲望を満たそうとする人も、着実に老い、引退へと導かれていっています。自然の摂理がここでも働いているのです。
そんな中で私たちはどう努力し、いかに行動するかを常に考え、真摯に受け止め、真摯に社会に働きかける事が必要だと思っています。
不動産業は生活産業です。皆様が生活の中でどう不動産を生かして幸せな人生を送ることができるか、より良いお手伝いができるように努力してまいります。
皆様にとりまして、今年が良い年でありますようにお祈りします
平成23年元旦
2011.11.14 | 11:36
ブランディング PartⅡ
今回は地域ブランドについて話したいと思います。
最近町おこし、地域の見直し、町中再生etc.の活動が盛んに言われているようです。という事は逆に考えれば、地方の町がいかに衰退してきているかという事を象徴しているのではないかと思います。わが町小松もその例外ではないのですが、その地域の活性化の手段としてブランディング化を目指すのもひとつの方法かと思います。まず小松らしさ、全国どこにもなく小松だけにあるものの発掘、残念ながら今はそんなものはないようですが、それを探し求めるという努力こそが運動、町おこし運動につながると思います。
そういう点で、小松うどんの発掘はひとつの運動の方向としてはとても良いのではないかと思います。しかし、うどんは讃岐うどん、氷見うどんを筆頭にいろいろな地域の特産になっているようですから、小松うどんの特徴をより強めていく必要があると思います。
なるほど私は小松うどんが一番美味しいと思いますが、これは小松に生まれ育った私の舌がなじんでいるのと、地元の欲目?なのかも知れません。いずれにしろ小松うどんのブランディング化は今発信されたばかりです。 ブランディングの一要素、よく知られる知名度という点では讃岐うどん等の比ではないのは明らかでしょう。この知名度アップの方法はいろいろあるでしょう。プロパガンダ、広告、チラシ。テレビ広告、デモンストレーション等々いろいろあります。これは町おこしも民間企業も同じだと思います。そして、これは何年も何年も息長く続けていかねばなりません。その為には、その商品がそれに耐え抜く質があるかどうかです。その商品をベストに作りあげていく、たゆまぬ努力が、運動が必要なのです。
最も効果の上がる広告は、口コミです。小松うどんを食べた人が生の声で「小松うどんは美味しかったよ!」と知り合いに話してくれる事なのです。これが一番なのですが、最初はエコヒイキかも知れませんが地元の人が知り合いに口コミで発信する事が必要だと思います。地元の人が、まず歩く、話す広告塔となって宣伝することが必要なのです。その為にはまずみんなで小松うどんを食べてみるという行動こそが必要なのではないでしょうか。そこで美味しいという評価を得ない限りはブランド化なんて・・・。
でも小松人には地元のブランディングの為に行動することが強く求められるでしょう。
百の議論よりまず小松うどんを食べてみましょう。その上で議論しましょう。小松うどんのブランディング化のために・・・!!
2011.11.14 | 10:41
ブランディング
パリなどへ遊びに行くと、ルイ・ヴィトンの店なんかに群がっているのは大体が日本人で、最近は中国、韓国の方々も多いようです。街を歩いていたり、東京で電車に乗っていたりすると、自信満々な顔でヴィトンのカバンを持っている人をよく見かけます。私の目にはビニロン?に印刷してあるだけで、そう大した素材を使っているわけでもない、どう考えてもコピー商品との値段の差ほど質的に著しい差があるとは思えません。しかし娘の話によるとどうもそうではないらしいのです。まず縫製がしっかりしている、作りも全く違う、見た目はコピー商品とそっくりでも、中身は全く違うというのです。そこでこのブランドについて考えてみようと思います。
そもそもブランドとは一体何なのでしょう。ブランドとはレッテル等で示された商品の品種、品質、等級、銘柄、商標であり、ブランド力とは安全、信用、安心力です。つまり知名度があり、商品は差別化、識別化され、オリジナリティーがあり、独自性、愛着度が高いことを言うらしいのです。
このブランド品を身につける理由としては、誰が見てもよく分かる格好良さを追求している、あるいは値段が想像できる、等々いろいろあるようです。私などは、自分に自信がないからブランドで身を飾るのだ、とすぐ斜に構えた見方をしてしまうのですが、それだけではないのかも知れません。
しかし、ブランド物であるという事ですぐに受け入れてもらえるとしたら、逆に供給する立場になった場合には、これ程楽な事はありません。こう思うのはきっと私だけではないと思います。なぜなら、我々が常々営業活動をするに当り、大小の差こそあれ、このブランド力を身につけようと日々努力しているのに他ならないと思えるからです。
私の会社のブランド力。清水不動産サービスに行けば、不動産に関する事に対しては絶対にお客様を裏切らない、良い事も悪いことも、プラス面もマイナス面も正直に全て言ってくれる信頼できる会社だという評判を取ったならば、それは清水不動産サービスのブランド力なのです。これは私が起業してから25年間、ず~っと目指してきていることなのです。という事はブランド力には長い年月の積み重ねが必要であるという事で、その上他社とは違うのだという差別化(個別化)が必要であり、さらにはそれを身につけると(それを手に入れると)箔が付くという格好良さが必要でしょう。またこういう事を知ってもらう知名度も必要でしょう。ブランド力というものは我々企業家にとって、日々努力する企業の究極の目標となるのではないかと思います。
このブランド力こそが、我々に必要な事で、人によって作られたブランド力で守られるのではなく、自分で作ったブランド力で身を守る事が必要なのだと思います。
このブランド力は面白いので、引き続きこのコーナーで述べてみたいと思います。ご期待下さい。
2011.11.14 | 10:38

