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サンサンコーナー

世の中あべこべ PartⅡ

 今の世の中はあべこべだ。若者を大切にして年寄りをないがしろにしている。少子高齢化時代に突入しているのだから、年寄りを大切にして若者をないがしろに、ではないが、年寄りを大切にして長く大事に使い、若者には甘やかすことなく強く厳しく育てる事こそが大切ではないか、と前号では述べました。

 今回は格差社会の話をしたいと思います。

今日本の社会は所得の格差が出てきて、金持ちと貧乏人との差がどんどん開いてきている、という危機感をお持ちの方がたくさんおられるように思います。私も同感です。そしてこれは日本社会のみならず、全世界共通の傾向ではないかと思います。

 人間はいつの頃か富の蓄積を始めました。 幾多の動物の中で唯一、人間がその長いというか短い歴史の中で、物を蓄積するという行為と、同じ人間から搾取するという行為をやり始めました。この事により、富というものが発生し、それが蓄積され、その富自身が利を生み出し、富を持つ者と持たざる者との間に格差がどんどん広がっていっている、というのが世界的な傾向です。そして、その富がもたらす余裕が子供達を教育し、教育の格差も広がり、その富を利用できる者がさらにその富を利用して、世界を活動の場として広げていっている、というのが富の利用方法なのです。こうなりますと教育の差、活動場所の差、その他のいろいろな差がどんどんと加速度的に格差社会を形成していきます。最終的どん詰まりには、革命で世の中がひっくり返らないかぎり格差が縮まらない、というのが世界の趨勢です。

 それでは日本の社会はどうだろうと見ますと、社会主義国みたいなあらゆる重税、特に相続税の重さ等により、そんなに大きな富を蓄積する事は不可能に近く、個人が富を独占するという事は殆どありません。しかし、そんな中でも少しずつではありますが格差がついてきているように思われます。

 でも少し視点を変えれば、これくらいの格差がつかなければだめなのかもしれません。一生懸命働いた人と、働かない人、努力した人としない人の格差がないような社会では、誰も努力をしない、ぬるま湯につかっているような社会になってしまいます。

 今私は日本の若い人の動きを見ていますと、実に無気力で希望を持っていない人が多いように思われます。それが一年の自殺者が3万人とも4万人とも言われる異常な現象となって表れているのかもしれません。そんな極端な例ではなくても、若者の独立の気概が薄れているように思います。独立して起業をし、儲けて人より良い生活をしてやろうという意欲を持った若者がどんどん減って、就職するなら公務員というような風潮が若者に流れているとしたら大変です。

あべこべに格差こそが人間の発奮、努力の源であるならば、今の政策はあべこべなのかもしれません。世の中平穏に何事もなく過ごせれば良いのですが、平穏は努力によってしか継続できないのに、と危惧しているのは私だけなのでしょうか?

 日本は世界に冠たる良い国、素晴らしい国です。皆で守り続けましょう。

調亮

世の中 あべこべ

 今、日本の社会はあべこべの社会になっているように感じます。何があべこべかと言いますと、現在日本は少子高齢化社会まっしぐらです。一家族で3人の家族構成であれば、ひとりは必ず65歳以上の方がいるという程の高齢化になっているのです。

 しかし今の日本社会では、老人を大切にし尊敬するという社会風土は、殆どと言って良いくらい見られなくなってしまいました。逆に老人をバカにする、汚い物としてゴミ扱いする、さらに老人をいたぶるギャグが大うけするという具合に、年寄りを虐待するような風潮すらあります。

 それとは対照的に、若い者を育てようとするあまり、必要以上に甘やかす傾向が特に強く感じられます。そして世代交代を焦っているように感じられるのは私だけなのでしょうか。

 私はこの高齢化社会においては、年寄りは従来のようにそんなに早く引退する必要がないのではないか、させてはいけないのではないかと思うのです。何故なら、今の日本社会においては、元気な年寄りを生かす、そういうシステムが必要になってきていると思うからです。つまり、従来の定年制をさらに引き延ばすようにすべきではないかと思うのです。 そして従来の老人と言われる人たちに対する優遇、例えば年金の支給、乗物券、入場券とかの老人割引、医療費の免除等の特典優遇を一切無くして、そのようなところこそ、若い人たちを優遇する必要があるのではないかと思うのです。まるでやっている事があべこべです。

 なぜなら、今は老人の方がお金持ちだからです。今までの考え方をまるで方向転換して、年寄りが働ける年齢をアップし、現役に長い間留まってもらうための社会システムこそが求められると思います。

 人間は引退するととたんにボケるからです。人間は現役でいると以外にボケません。

 今は高齢化社会の到来と言って、将来に不安を持っています。そしてどんどんボケ老人を量産しています。これは時代の急激な変化に社会が対応できていないからだと思います。

 今こそ私達はあべこべの発想を持って、元気で頭のクレバーな年寄りが社会貢献できる社会システムを作っていかなければならないと思うのです。そんなに早く年金を払わなくても良い、貰わなくても良い社会システム、80歳定年制?ぐらい謳ったらどうでしょうか。政治家諸君、80歳は無理ならせめて75歳ぐらいはどうでしょうか?

 少子化が進み、子供がいなくなるわけですから、少しでも現役で働ける期間を長くしなければ、働き手がいなくなってしまいますよ。その上年金を払う量も少なくなり、税収も増えて、介護される人も少なくなり、一挙両得ではないでしょうか。

 今の社会は老人を大切にして大事に使う事こそが大切です。大切にするという事は引退させるということではないのですよ。

調 亮

謹賀新年

未の歳の幕開けです

羊が多数群れてその中に人が住む という生活スタイルがあります

この遊牧民の生活スタイルと定住地を持ち農業を営む生活スタイルが 世界の歴史を作ってきたと言っても過言ではないと思います

農業と遊牧の戦いこそが繰り返されているのです

私達日本人は平和の中に埋没していて良いのでしょうか?

世界情勢を見据え 力強く生きる術を羊のように身に付け 逞しく生きていく年にしたいと思います

今年も変わらぬご愛顧の程宜しくお願い申し上げます

 平成27年 正月  調 亮

円安と円高

 最近アベノミクスの影響なのか、円安が急速に進んでいます。一時的には120円台を窺うような勢いです。

 安倍首相は、円安が日本の景気を良くし、デフレを脱却してインフレを促進させるという信念で政策を取りました。今年4月に消費税を8%に値上げし、来年の10月には10%にする予定でした。しかしこれを1年半延期して、国民にその信を問うという事で解散総選挙にうって出たのですが何か一つ割り切れません。国民に何を問うのかよく理解できないのです。消費税アップの1年半延期で国民の信を問うとすれば、こんな事は信を問うような内容でしょうか?消費税を廃止、ならば理解できるのですが…?

 では円安は本当に国民にとって良いのでしょうか。

まず円高のメリット・デメリットを探ってみますと、円高だと輸入をする物は安く輸入できます。我々国民、国内に生活する者にとっては安く生活できます。例えば、ガソリンは安く買えます。また海外に原材料を求めるものにとっては安く求められます。特に日本のように海外に食糧を求める者、原材料を求める者にとっては原価を抑える事ができ非常なメリットがあると思われます。

又海外旅行する者にとっては非常に円に価値があり、使い出があります。

 ところが、円安になるとガソリンは上がる、食料品は上がる、製造コストは上がる、と最悪です。我々低所得者の可処分所得は完全に目減りします。でも、円安になると海外に輸出する企業には大変なメリットがあります。1円円安になると何百億の利益が増えるという事です。又海外からの旅行者は日本に旅行をし易くなり、たくさんの観光客が日本に訪れるでしょう。海外の投資家が日本に投資し易くなり、土地等の不動産も海外の人は買い易くなりそうです。

 円安でメリットを享受できるのは主に大手企業ばかりで、中小零細企業にとっては、製造原価は上がるけれどそれを販売価格に転嫁できず、とても大変みたいです。

今は円安と言っても117円ぐらいで、まあこの間まで120円であった事を考えてみると逆に円高だった時はどうやったんや、黙って儲けていたんかな、と疑いたくなります。

客観的にみても円安よりも円高の方が一般国民にメリットが多くあると感じるのは私だけでしょうか?

 昔は1ドル360円の固定の時代がありました。私の子供の頃です。それが日本の国力がついたという事で76円まで円高になり、今は117円です。この価格はひょっとして日本の実力なのか?それとも相場によって成り立っているのか?我々にとって解りにくくなっている最近です。どこら辺りが日本の実力なのか解りにくくなっています。今のアベノミクスの根底にある理論は古くなりつつあるケインズの理論に偏っているように感じてなりません。

 いずれにせよこの解りにくい今こそ、政治は国民の方に目を向け政策をとることを願いたいと思います。一部の人の企業の利益ではなく、何が本当に国民、日本国のためになるのかを真剣に考え政治の舵をとってほしいと思います。

調 亮

私の南イタリア・ドバイ・アブダビ旅行記 Part8 最終回

 ドバイは砂漠であるという事で、大変暑くて乾燥している所だろうと想像しがちです。我々が行ったのは冬だったので気温は20度前後と過ごしやすく湿気もあまり無く穏やかな気候でした。しかし春から夏はとても暑く、気温は40度を超え、湿度は95%ぐらいになるという事で、夏にドバイへ来るのはとても耐えられない。そんな時に来る観光客は日本人ぐらいだとのお話でした。

 でもさすが石油成金国、エアコンはガンガンかけてあり、上着なしではとても過ごせません。このドバイから今日はアラブ首長国連邦の首都への旅です。

 往復約4時間程度の距離、5車線の高速道路は皆車速が速くて怖いくらいです。

サービスエリアで休憩をとりながら、まず近代造りイスラム寺院の見学です。

 このイスラム寺院は最近建てられたもので、総工費300億とか500億とか言われ、インドのタージマハールに匹敵する規模です。白い大理石造りなので青空に白い建物がコントラストを描いてとても幻想的です。廊下は同じ大理石に金をあしらってあります。聖堂の中に入ると大シャンデリアが輝き、大絨毯の上を素足で歩くのはとても気持ちの良いものでした。そこはイスラム教の聖堂ですからとても厳かで、全国から信者が来て礼拝している姿はとても素敵でした。なんで戦争なんか起こるのだろうと思いました。

 この聖堂を後にして、アブダビダウンタウン?というのか、ビル群に向かいます。そのビル群が砂漠の中に浮かび上がってきました。  王宮のように豪華な建物を前景にしてあるのは、エミレーツパレスと言われる超豪華なホテルで、横の廊下の長さが1㎞もあるという超デラックスな建物です。世界各地から建築資材が集められ、イタリアの大理石等様々な国の特産品の展示会みたいです。金沢の金箔が使われた天井もありました。我々はそのロビーで喫茶するのみです。私はゴールドティー(金箔入り)を飲みました。各自はそれぞれに高価な飲み物を注文して楽しみました。

このホテルはアラブの首脳達が会議をして泊まるホテルで、1泊430万もする超豪華な部屋もあるという事にまたびっくり。なんと「世界一大好き」国民の面目躍如たるものがあるなあと改めて感じた次第です。

 この旅を通して、イタリアとアラブ、この古くて新しい国の対照的な事でも、たった3000年ぐらいしか差がなく、このドバイ、アブダビの新しいビル群もすぐに古くなってしまうのだなあと改めて感じました。でもこのビルは3000年ももつのかなあ?そうすると昔の人と今の人、どちらが偉いのか、比較しても殆どあまり差がないように感じます。いや昔の人の方が・・・?

 でも人間の営みは延々と続きます。技術は進歩するが人間自身は進歩しないで、より悪くなっているような気がしました。

 あらためて日本の良さ、穏やかさ、世界一ではなくてもこの落ち着いた国民性をより大切にしたいと思いつつ帰国しました。

帰ってきて一安心!!

調 亮

私のイタリア・ドバイ旅行記part7

ドバイ旅行記

 さて、ローマのフィウミチーノ空港からアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ空港へ向かいます。ドバイは有名ですがUAEの首都ではなく、アブダビが首都です。

 UAEの人口は約1200万人。そのうち800万人が現地の人で残りの400万人ぐらいが移民です。 現地の800万人すべてが国家公務員で、住宅は支給され給料は安定しているので、UAEの人たちは全てが温和な顔つきで、とても砂漠の民とは思えません。

 何故こうなったのかと言いますと、やはり石油のおかげです。何十年か前に油田が発見されたのですが、時の国王はこれを家族で独り占めにしようと計りました。しかし王の弟がそれではいけないと、革命(無血革命らしいですが)を起こして王になり、その石油の利益を国民全員に配分する政策をとったのです。それが800万人全員が公務員という、異常な優遇政策となったのです。

 今は石油が豊富にありますが、これは有限なもので、いつかは枯渇してしまいます。為政者はこれをわかっていますから、世界一大好き人と言われる程に設備投資をしています。それは「世界一」を見物してもらおうという、将来の観光立国を目指していると思います。

 まず、ドバイ空港の大きさ広さ、そして10畳以上もあるエレベーター、空港からすぐそばの建築群、いずれも我々日本人から見たら馬鹿げていると思えるほどです。広くて大きい道路には、イタリアの小っちゃな車とは違って、デッカイ豪華な車が時速160キロで走っています。それにパトカーがフェラーリとくればもう何をか言わんやです。何もかもがバカみたいにデカくて新しいのです。

 さあタクシーに乗ってダウンタウンへ。

我々のホテルへひとまず寄ります。それから近所の散策。この辺りは人も少なく、でも面白い建物がいっぱいです。

 いよいよ夕食です。夕食となって初めてここはイスラム国家だという事を思い知りました。今回は全然アルコールの気もない食事です。「何とかビールを」とあがく我々の仲間も全然ダメです。 今日はひとまず睡眠。明日は世界一高いタワービル、ブルジュ・ハリファに登ります。

 翌朝、早起きをしてドバイのダウンタウンへ砂漠の中をまっしぐらに走ります。ラクダが歩いています。車の車輪のようなまるいビルが見えます。何という無駄、無効率、殆ど全面ガラス張り、あれで耐震構造?風が吹いたら走り出すのではと心配になります。そうこうするうち、向こうにビル群が見えてきました。ねじれたようなデザインのビル、真ん中が抜けているようなビル、全面鏡張りで反射するビルと、あるわあるわ、よくこれだけ効率の悪い、無駄の塊のような建物を造ったものだと感心しきりです。

 ようやくタワービルに到着。トムクルーズのミッションインポッシブルの映画にも出てきた世界一高いビルです。ここで世界一高いフィーを払って長い長い順番を待って、世界一速いエレベーターに乗って130階だったか(忘れてしまったが)の展望台に昇ってドバイを見下ろすのです。そこでは中国語、韓国語、我々の日本語その他の言語も入り混じった中で砂漠の中の都市開発を俯瞰するのです。 新しく造るという事は、資金さえあれば何と簡単な事だ、という事を証明しています。でも、これもいつかは古くなっていくのだと思うと、継続とはすごいことなんだと思います。

 今回はこの展望台の上で一休みして、次回へと回したいと思います。

私のドバイ。南イタリア旅行記part6

   ローマ旅行記5

 ♫~夢見るは母の姿よ 帰れソレントへ今こそ~と、カンツォーネの一節をバスの中で歌いながら、今日はソレント、アマルフィーへの観光です。

 ガイドさんは、イタリア人と結婚して現地でガイドをされている日本人でした。

私達の‘帰れソレントへ’を聞きながら皆は笑いの渦に巻き込まれ、私達のバスは一路ソレントへ向かっています。

 海辺の小さな島には要塞があります。何のための要塞かというと、対岸のアフリカからの海賊から国を守るためのものだという事でした。対岸はイスラム教の国、こちらはキリスト教の国。お互いに一神教で自分の神は絶対だと信じて、お互いの国民を奴隷にするために侵略して、この2000年というもの戦いの連続です。今はアフリカからの難民を見張るように変わってきているようです。

 さて期待したソレントは‘帰れソレントへ’と歌われる程のものではなく、近くにソフィア・ローレンの別荘が―海辺の白い建物がそれなのですが―あり、瀟洒な家がポツリポツリとあるだけで何の変哲もない村でした。でも故郷というのはその人にとっては特別なものなのかもしれません。

 そこからアルマフィーの街へ。大きな教会がありその周辺に街並みができています。そこにイタリアの高校生達が、修学旅行か何かで来ているのか、ペチャクチャとうるさいこと、うるさいこと。古い街並みを静かに散策なんて全くダメです。平均年齢62歳?の我々も、高校生に負けずにペチャクチャやりながらワインとビールです。

 ソレントといいアマルフィーといい、街並みとしては石畳でとてもきれいなのですが、今現在の産業としては何があるのだろう。

農業・漁業で昔は栄えたようですが、今は昔。栄えた名残りの観光こそが主な産業だなと感じました。その古い街並みを観光に訪れたお客様をもてなし、その為のワインであり、菓子であり、果物であり、民芸品であり、昔の人はすごい財産を現代のイタリア人に残したものだと感心した次第です。

 でも、これも平和で安全であればこその観光業で、平和・安全は私達人類の永遠のテーマだと思います。それにしてもイタリアは、全世界からの観光客を迎える為に、迎える心を磨かねばならない、磨くべきだと感じたのは私だけでしょうか?

 イタリアの旅は今回のソレント、アマルフィーと終え、ナポリで泊まって明日はローマ、フィウミチーノ空港からドバイです。

ナポリからローマの空港までにもいろいろトラブルがありましたが、それは旅慣れた私達の感性で解決して、一路アラブ首長国連邦ドバイ、アブダビへの旅です。

 いよいよ我々の旅も終わりに近づいてきまして次回が最終章です。お楽しみに

調 亮

私のドバイ・南イタリア旅行記part5

ローマ旅行記4

 その日の宿泊はナポリ駅前のウナホテルナポリです。高級ではないがナポリの中心街に位置し、ナポリの繁華街へ出るにも、食事の場所を探すにもとても便利な場所にあります。もちろん今日はイタリア料理の店で夜の食事です。まずワインを注文し、前菜、メインディッシュとお決まりのコースを。食べきれないのでみんなでシェアするのは旅慣れた?我々の定番です。

 賑やかな食事も終わり街への散歩です。ここでTさんが帽子を買いたいと言い出し帽子屋さんへ。Tさんはソフト帽がよく似合う方で私も興味を持って帽子専門店へ同行しました。この店では種類の多さ、量の多さ、サイズの多さ、日本のお店の比ではありません。 ここでイタリア人の店主と私達の珍問答が始まるわけです。一方はイタリア語のみ、他方は殆ど日本語のみという会話ですが、これがいつもとても楽しいものなのです。人と人というのは何となく通じるものです。我々の好みもすぐに心得てくれて次から次へとまるで日本語で会話しているようにスムーズにT氏の帽子は決まりました。私もついでに格好いいソフト帽を買いました。明日からはその帽子姿でイタリア観光です。街の商店をいろいろ冷やかしながらウナホテルナポリで就寝です。

明日は石の家並みのアルベロベッロです。楽しみです。

 翌朝いよいよ出発です。この石の家は噂では聞いていましたが、どんな家だろうと期待に胸を膨らませて向かいます。

 さあアルベロベッロの街です。殆どが平屋の家が建ち並んでいるだけで一見そう変わっているとは見受けられないのです。でもよく見ると全部の家が石造りなのです。その石はといえば、畑を耕していたら出てくるような石ばかり。それも礫岩で平べったい石ばかりです。畑の中から取り出した石で家を建てたという感じで、よくこんな素材で建てたものだと感心するぐらいです。しかも一棟とか二棟とかの数ではなく、村、町の単位で石造りなのです。街路も石造り、屋根も壁も全部灰色がかった石造りなのです。内容は大したものではないとしても、これだけの量が集合するととても壮麗で面白いものになっているのです。こんなものが街づくりとして成り立つのか?と驚きを持って見学しました。おそらく世界でこんな変わった事をしたのはこのアルベロベッロだけだから観光客が寄ってくるのだと思います。ある意味において街づくりの原点がここにあるのかもしれません。そこに工芸品があり、民芸品があり、食べ物があり、硝子細工があり、色々なお土産やさんが並んでいます。こんな所で生活が成り立つのかと心配になりますがそんな心配は無用のようです。

 でも私は住みたくないなというのが本音のところです。アルベロベッロの観光は以上で終わり。明日はソレント、アマルフィーです。これは次回にまわしたいと思います。

調 亮

私のドバイ。南イタリア旅行記part4

ローマ旅行記3

 ローマは1日の滞在で翌朝はナポリへ。ポンペイの日帰り観光です。

 ポンペイは歴史の冷凍庫と言われていまして、まさに2000年前のローマ人の生活がそのままに残されている貴重な遺跡です。

本当にポンペイの街は都市計画がきっちりと成されていて、車道と歩道が区別され、石畳で舗装されていました。敷石には馬車の(わだち)の跡がくっきりと残り、当時を(しの)ばせます。2000年前の人々が行き来した様子が目に浮かぶようです。

 建物は、今は外壁だけが残っています。屋根は木造等であった為に残ってはいないのですが街並みは今の商店街のように軒を連ねていました。そこにはパン屋さん、美容院?、

バーとかが有り、2000年前の人々も今も殆ど変わりがないなと思いました。

ポンペイはフランス王が発掘をして、金貨のような金目のものは全てフランスへ持って行ったようです。そこには人々の生活用具、そこに埋もれた人々、そして鎖に繋がれた一匹の犬が石膏として展示されていました。なぜ石膏かと言いますと、発掘の時に鉄棒で突っつきガサリと入り込んだ所に石膏を流し込み、型を取って火山灰を取り除いたからなのです。

だから犬型、人型はしていますが骨や身は燃えてしまって無いわけです。人の型はいっぱいあるのですが犬一匹というのは・・・。その犬は鎖に繋がれていたので逃げられなかったのです。

 そしてその住居跡にはローマ人の好きな風呂屋さんがあり、そこが人々の社交場でもあったようです。その上トイレはあの当時にして水洗です。何人かが隣同士で話ながらしているという様子が目に見えるようでとても面白かったです。

 現在のヴェスヴィオ火山はポンペイから8㎞離れた所にあるようで、ポンペイからよく見えます。高さは現在1600mぐらいですが、当時は富士山と同じくらいの3800mぐらいあったようなのです。その姿が遺跡の壁画に残されています。それが火山の爆発によって2200mも吹き飛ばされたのですから、さしものポンペイもあっという間に埋まってしまったのも、無理からぬ事だと実感しました。

 しかし逃げ場所、手段を持っている貴族と言われた人たちの多く、また一般市民の方でもかなりの人は逃げられたようです。あまり危機意識が無く、何とかなるだろうと思っていた人々が埋まってしまったようです。古代にも現代と同じ様相が垣間見られて興味が湧きます。

 街全体を見ていますと、居酒屋があり、そこでワインを飲んで会話を交わす。朝パン屋さんに行ってパンを買う。まさに歴史の冷凍庫とはよく言ったものだなと思います。

 発掘されているのは7割程度です。あとの3割は私有地にかかり、国が高い値で買い上げてくれるのを待っているようで、どこかの国と同じだなと思いました。このポンペイの街は後程行く現代の街ドバイとの比較において後で述べたいと思い、次号に譲ります。

                 調 亮

私のドバイ・南イタリア旅行記part3

 さあいよいよ夜のローマの散策です。

“夜のローマ”なんと素敵な言葉の響きでしょう。“永遠の都ローマ”“世界の都ローマ”etc.etc.… ローマを賛美する言葉は多々あります。でも“夜のローマ”は私たち観光客にとって何とも言えない響きです。

夕日が落ちて、古い教会のシルエットを浮かび上がらせるコロセウムでの古代ローマ人の歓声やどよめきが聞こえてくるようです。

ローマ法王が住んでおられるバチカン、ここであの暗黒の宗教裁判を指示した法王、神の代理人たる法王が「神がそれを望んでおられる」と言って起こされた十字軍、いろいろな西洋の歴史の主役である法王がお住まいのバチカン、その前をテベレ川が緩やかに流れています。キリスト教がローマを支配する事によって古代遺跡を異教徒の偶像であると破壊して投げ込んだというテベレ川、今でも古代の遺跡が多数発見されるというテベレ川に沿って歩いていきます。 今日のローマの案内人は日本人のお母さんとイタリア人のお父さんを持つイタリア人の女性です。

名前は忘れてしまいましたが、ハーフは優性遺伝をするという証明のように本当に綺麗な人でした。イタリアに住んでいて、日本にはあまり行ったことがないとは言いながら、日本人と変わらぬような日本語を操り、私達の夜のローマの散策に色を添えてくれました。

 そこからマリアインコスモディの天使ミアエル像を仰ぎ見てぶらぶらローマの空気を吸いながらトレビの泉へ向かいました。

泉の前では教会を背にして若い恋人達がコインを投げています。私達も恋人同士ではないですが、合算すると130何歳という年で、何を願っているのか、孫の進学のこと?でも願っているのか、神妙にコインを投げています。

歴史とは不思議なものだとつくづく感じます。

小さなこんな泉水に世界各地から老若男女が集まり、泉を背にしてコインを投げる、こんな泉水ぐらい世界中のどこにでもありそうなものですがこのトレビの泉は特別なのです。そろそろ願い事も尽きてくれば後は食事です。このあたりでの美味しいイタリア料理店をガイドさんに教えてもらい、そこで食事です。ガイドさんもご一緒にとお誘いしたのですが、慇懃に断わられ、イタリア語が全く分からない我々が料理の注文です。こんな時は店の人のリコメンド(これは英語)を聞き、隣で食べている人の美味しそうなものを見てあれは何かと問い、8人で4人分ぐらいを注文してシェアリングをする。あとはいつもの宴会です。

 食事を楽しんで、ホテルIQまで歩こう。方向感覚抜群の不動産やさんのこと、無事にホテルに到着です。あとは自由行動。明日は列車でナポリに向かいます。夜のローマはふけていきました。ナポリは次回に…。

                                           調 亮

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