サンサンコーナー
謹賀新年
丙申歳の幕開けです
申は猿に通じ、猿は遠い昔に人間に枝分かれして現在に至っています
人と猿の違いは、最初はその差も殆どなく似たようなものだったと思われますが、今では大変な差となっています
その差は文明(都市)という形で表れ、文化という形で蓄積されています
私達は人として人間らしい社会生活を営む、そんな会社でありたいと思っています
人が人らしく生きる事ができる、そんな『清水文明』を築いていく、この申歳を事始めの年にしたいと思っています
本年もご愛顧賜りますよう、宜しくお願い申し上げます
調 亮
2016.1.7 | 13:13
都市活動家・都市研究家 宣言
私、清水亮一は都市活動家・都市研究家となる事をここに宣言致します!!
都市とは何ぞや。今まで蟻とかモグラとかがそれらしき生活圏を作る事は分かっていましたが、都市というものを作った生物は人類、人間のみです。
都市は、人種の違いがあるにもかかわらずこの地球上に同時期に、少々の差はあれ、それぞれに発展してきています。
アメリカではニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴしかり、ヨーロッパはパリ、ロンドン、ベルリンしかり、日本の東京、大阪しかり、中国では北京、上海しかり、人口一千万人クラスの都市がどんどん成長してきています。しかしこの都市には、今とても活性化しているものと衰退していくものがあり、歴史的には消滅し遺跡として残っているものもあります。都市はどうして滅んだのだろう、或いは、どうして人が集まり活性化しているのだろう、と興味は尽きません。
私は38歳でこの不動産業務に携わってから、早や31年が経過しようとしています。この31年は山あり谷あり平地ありで、いろいろな勉強・経験をさせていただきました。
その中で、我々人間が不思議にも都市という得体のしれないものを作り、繁栄してきた事実に触れることになりました。この日本においても巨大な東京・大阪という都市があり、ここ小松のように、小さくてもこじんまりとした中に11万人弱の住民が住み、色々な活動をしている都市もあります。
ここには居住あり、商売あり、工場あり、事務所あり、店舗あり、市庁舎があり、病院があり学校があり、いろいろな福利厚生施設があり、その他いろいろなものがあります。それらをつなぐ道路があり、鉄道があり空港があります。そして人と人との交流があり、経済がありでとても複雑怪奇です。
この都市の研究を通して、小松市の街づくりがどうあるべきか?将来どんな形になるのかを研究し、探っていきたいと思います。
私達不動産業の究極に、この都市問題があると言っても過言ではないと思っています。
私はこれからの人生を都市活動家・都市研究家として活動していきたいと思います。
楽しい研究成果を乞うご期待!!
調 亮
2015.11.30 | 11:25
大聖寺福の杜のはなし №3
私は40年の永きにわたって、街づくり、宅地開発を行ってまいりました。この経験を通して、街づくりとは何か、宅地開発とは何か、家づくりとは何かを常に考えてまいりました。
その結論として街は、宅地は、家は誰のためにあるか、それは住む人の為にあり、街づくりはその住む人の人生のストーリーづくりの場所の提供であると思いました。
私は、帝人さんのおかげで良い土地を仕入れ、江口組さんの造成工事で私の想い描いた街づくりを具現化する事が出来ました。
以下、この福の杜にかけた私の想いを披露したいと思います。
・住みやすいまち
・働けるまち
・訪れたいまち
これらを基本コンセプトに、公園を基点として街の一周810m。
健康のためにジョギングや歩行をされる人の目安になります。
2m巾の通路と道路が縦横に走り、殆どの敷地が道路、通路に2方向面しており、ゆとりある使用ができます。
通路は車の進入不可なので、子供達が安心して遊べ、大人達は井戸端会議、お年寄りは日向ぼっこという具合です。
道路には、信号機のない交差点ラウンドアバウトが2か所配置されています。
ラウンドアバウトの中心には、街のシンボルである欅がツインに配置され立体的なロケーションを形成しています。又、街の成長と共に欅も成長するという、柱の傷跡構想を期して、町民皆で街づくりを見守るという思いが込められています。
メイン道路は広くとり、車道・歩道はうねり、街のイベントや祭を催せるようなスペースを確保しています。
車道は街中でスピードが出ないように曲がりくねっています。歩道には山ぼうし・花みずき・つつじを植栽し、緑を楽しんで歩けるように仕掛けてあります。
公園からは深田久弥が言っているように白山が実に綺麗に見え、名勝を誇っています。桜並木は将来的には堤防に連なる桜並木と連続するように配置しました。
公園の小山には安全性を図ったすべり台を置き、子供達が楽しめるようにいろいろな仕掛けが施してあります。
遊歩道には犬・猫の足跡、鳥の足跡、クマ・ライオンの足跡、恐竜の足跡・・・その他いろんな足跡があり、どこにあるかを探すのも楽しめます。
道路の歩道はカラー舗装、通路はコンクリートの現場打ちとカラフルな色合いとなって、目を楽しませます。
全体として、日本では珍しい程の贅沢な敷地になっており、私の長年培ってきた夢を実現させた恰好になっています。
私はこのような環境の中で子供を育て、年寄りを見送り、自分の人生を充実させることができたらという強い思い入れをこの街の設計に入れたつもりです。自尊心と人生の向上の街づくりをしています。
私の熱き思い、不動産の経験を宅地開発という形で表現しました。
不動産の世界に38歳で飛び込んで早30年が経過しました。ここで売られているのは私の情熱です。どんな人がこの福の杜に住むのか!私の熱き思い、私の経験、私の見識、そして私自身が住みたい街をつくりました。
日本中を探しても、こんなにゆとりというか、無駄なスペース、
具体的には通路を施し、曲がりくねった道路、2方向通路の敷地
車の入ってこない、いつも安心なスペースで住人達が立ち話をし、子供達を安心して遊ばせることができる。そしてそこには熊の足跡、恐竜の足跡が・・・
ぜひ現地で確認してください。
調 亮
2015.10.28 | 10:35
大聖寺福の杜のはなし №2
先月号で「大聖寺福の杜」は私の理想郷を実現したものであると発表させて頂きました。
私はこの不動産業の世界に入り込んでから42年、人間の男で謂えば早や初老の厄年となりました。この厄年にあたる年に、私がずっと想い描いてきたといいますか、私自身がこの足で日本中を歩き、世界中を見て回って、都市とは何であるか何の為にあるか?住まいとは何ぞや、どうあるべきか、どう住むべきか?何の為にあるか?長い人生においてどう位置付けすべきかを常に考え、模索してきた結果、作り上げ出来上がった作品です。
どうして加賀市の大聖寺に、と思われるかもしれませんが、逆に言えば大聖寺であればこそ出来上がった作品であると言えます。
私がここに住みたいと思う、そんな夢を実現しました。
周囲は低い山並みに囲まれた小京都のような盆地で、緑の山々が重なり目に優しい色合いです。又、風を防ぎ非常に穏やかな景観をなしています。日当たりも良く非常に健康的です。
この明るい土地で子供達が走り回り、歓声が響き渡る、そんな環境で子供達を育て、年寄りに優しい家庭を築く、これこそが今の日本に必要な住環境ではないかと思います。
今、日本社会は、急激に少子高齢化社会を迎えようとしています。この事は、日本社会の価値観を根底から覆すかもしれません。でも私は、子供が育ち、年寄りが安心して住め、夫婦がゆとりを持って暮らせる、そんな地域づくりこそが、この地「大聖寺福の杜」で成されていくと確信しています。
皆様、実際その地を歩き、眼で見て、感じ取っていただければ幸いです。是非のお越しをお待ちしております。
調 亮
2015.10.1 | 14:40
福の杜のはなし
加賀市大聖寺上福田町地内で、私は「福の杜」という宅地を開発致しました。
この福の杜は、人口減少がすすむ大聖寺において、日本でも珍しいぐらいの宅地開発です。
何が珍しいのかと言えば、まず第1には、道路にラウンドアバウト交差点を設置した事です。このラウンドアバウト交差点は、これからの日本の交差点の先駆けとなるであろうと思います。今日本の交差点は、信号機による誘導が行われています。この信号機は、時間の無駄、車が通っていなくても待っていなければならない無駄。そして24時間電気を使い続けなければならない無駄。その上信号機自身の修理、管理の無駄、と数え上げればきりがない程です。一方ラウンドアバウト交差点は、最初は土地面積を広くとるので無駄なように見えるかもしれませんが、初期の投資だけであとは保守管理費用がごく僅かで済み、電気等の運用費用はゼロで済みます。これは交差点の理想と言えるのではないかと思います。このラウンドアバウト交差点が二か所配置され、その二か所に福の杜のシンボルツリーとして欅が二本植えられています。これらは福の杜の成長を見守ってくれるものと思っています。
次に何が珍しいのかと言えば、この福の杜の敷地の殆どが、ニ方向道路に面するか、福の杜の特徴である通路に面していることです。つまり贅沢と言いますか無駄なのです。でもこの無駄は、ここに住む人にとってはとても住みやすい環境を作り上げてくれると思います。車が通れない通路がある。そこで遊ぶ子供達の姿を想像するだけで楽しくなります。また、そこで隣近所の主婦たちが井戸端会議をしている光景を思い浮かべるだけでコミュニティーの仲の良さ、楽しさが伝わってきます。お年寄りが椅子に腰かけて日向ぼっこをしている姿もまわりを安心させます。
そして大聖寺川の畔に配置した公園は、当地で生まれた深田久弥が白山の眺望を称賛した素晴らしい地点です。その公園の正面から、町内一周で810mの距離があり、所々にスケール地点を設け、健康の為に歩けるように設計してあります。自分の町内を歩いて健康を維持できるなんて、素晴らしいと思いませんか。通路には蓄電ライトが設置され夜は幻想的に光を発します。そしてその通路には動物とか鳥とか恐竜?とかの足跡があり、子供たちの冒険心をあおります。
今私達が暮らすうえで、「住」の観点から何が一番必要か!日本社会においてどんなコミュニティーをつくるべきか?不動産とは何なのか?なぜ価値があるのか?世界中でいやこの地球上で福の杜は唯一つの限られた土地です。この地でお年寄りが安心して生活し、子供の成長を見守る、自分たちも生活を楽しむ、そんな意味でこの地は私の理想郷です。ただ、心残りは電柱の地中化ができなかった事だと思っています。
一度福の杜に足を運び、私の作品をご覧になって頂ければ幸いです。
そうそう、家がそろそろ建ち始めています。成長する福の杜!!
調 亮
2015.9.2 | 13:18
ネーミングの重要さ
古来より、名は体を表わす、とか名前負けをする、とかよく耳にします。我々はネーミングに対して、意識するしないにかかわらず、常に大きな影響を受けてきたように思います。
このネーミングに対して、私は最近特にすごいなと感じた事があります。それは、イラク北部というか中東において発生した「過激派組織IS」「ISIL(アイシル)」です。この「IS」は当初「イスラム国」と言っておりました。マスコミで毎日毎日「イスラム国」の動向がニュースにぼんぼん流れていました。このマスコミの宣伝?によって、ヨーロッパでもアメリカでもアジアでも、「イスラム国」に憧れて参加しようとする人が続出しました。
私はこの「イスラム国」という名称は、その目的がテロ国家であるならば、なんと素晴らしい名称を付けたものだと感心したものです。
何故なら、このネーミングによりイスラム教とキリスト教のように大きな宗教対決の構図が「イスラム国」の意志・意図にかかわらず出来上がるからです。
イスラム教の中にも、「イスラム国」に同調していない宗派がいっぱいいる訳ですが、これらの各宗派は十把一絡げにして「イスラム国」に同調しているようなイメージを作り上げていき、大きなスケールで年月が経てばたつほどその図式が鮮明になっていき、一般のそれまで無関心だった人達までも巻き込んでしまいそうで、私はなんて素晴らしいネーミング、戦略であろうと感心したものです。一般の日本のマスコミも、イスラム国イスラム国と煽り立てればたてるほど、「イスラム国」がすばらしく感じられてきたのは私だけではないでしょう。
日本のマスコミもその図式にハッと気づき、そのネーミングは「過激派組織IS」と変わりました。マスコミが「IS」を連発しても「イスラム国」ほどのインパクトを感じられなくなってきたのは私だけでしょうか?
やはり、ネーミングこそが私達には大切であり、ネーミングは全精力を注いですべきだと思います。
以前、自分の子供に悪魔と名付けたバカな親がいたと聞いていますが、言語道断だったと思います。我々の活動も一過性のものではなく、息の長い活動をするためにも良いネーミングを!!と思います
「明日の小松をデザインする会」「アスデの会」もとても良いネーミングだと思いますが後の活動は・・・・?
調亮
2015.8.4 | 10:16
私の理想の街「大聖寺福の杜」
この度、色々とご縁がありまして加賀市大聖寺に新しい街をつくることになりました。本当に新しい街です。
この「大聖寺福の杜」は、私の理想とする街づくりを具現化したものになりました。長年この仕事に携わりながら、常日頃より想い描いてきました“人が住む街、育つ街”としての私の想いを限りなく実現したのがこの「大聖寺福の杜」です。
街は住む人のためにあります。そこに住む人が生活し、子供を産み育て、子供の成長を見守りながら一生を過ごす。そんな街をイメージしながら実現した街です。
県内でも珍しいラウンドアバウト(環状交差点)、シンボルツリーとしての二本の欅、そしてヤマボウシを主とした多種の植栽。
殆どの宅地がニ方向の道路と通路に面し、車の往来の心配をしないで子供を遊ばせられる空間を持ちます
小高い山並みに囲まれ、穏やかな日当たりの良い敷地。幼稚園、小学校、買い物にも便利です。
こんなに無駄で非効率な宅地開発は私にとっても最初で最後になると思います。ここにはお金に換えられない、ゆとりという価値が満載です。日本国内でも稀な街づくりができたと思っています。私の自信作です。
さあ、あとはここに住む人が本当の街づくりをするのです。
老いも若きも一生を楽しむ。そんな街をみんなで育てていくのです。
素材は整いました。魂を入れるのはあなたです!街を愛するあなたに是非ともお勧めしたい!
調 亮
2015.7.2 | 11:20
世の中あべこべPartⅤ
すさまじい少子高齢化が日本に訪れようとしています。若者がだんだん少なくなり、老人がどんどん増え続けています。
それに応えて、老人ホームやディサービス等の施設はどんどん作られているので私達?の居場所はあるのですが、どうも普通のお店とかレストランとか喫茶店等の中で年寄りが居る場所が殆ど用意されていないというのが現実です。アウトレット等も若者向きだし、焼き肉レストラン等も若者向き、あらゆる社会のシステムが若者向きに作られているように思えてなりません。
前にも書きましたが、先日大和へ背広を買いに行った時も品揃えといい、形といい、色といい、我々の年代を対象にしたのとは全く違うのです。喫茶コーナー、レストラン、その一つ一つが私には馴染めないものに感じたのです。
戦後ベビーブーマー世代が老人の仲間入りをして、人口の3分の2が年寄りになったと言われるこの時代に、どうして老人向きに社会をシフトしないのか不思議でなりません。
年寄り向けの背広ショップ、衣料ショップ、レストラン、喫茶店etc.をどうして作らないのか・・・?少なくなった若者をターゲットにしていたのではお客はどうしても減少するのも当然ではないかと思います。
今迄のように人口が増加し、経済が右肩上がりの時は社会の構造が若者中心で良かったと思います。今や社会が変化し元気な年寄りが大多数を占めるこの時代に、老人中心に社会構造をシフトし直しする事が必要なのではないかと思われます。今これからは若者を中心とした構造ではなく、元気な年寄りが働き、消費し、活動できる社会を作る事こそが必要ではないかと思います。
元気な年寄りがショッピングできる、食事ができる、飲みに行けるetc.そんな場所作りこそが必要とされているのではないでしょうか?子供をつくりなさい、子供をつくりなさいという活動も必要ですが、少しでも元気な年寄りを作る事が活動の中心になるべきだと私は思います。
その元気な年寄りに社会を支えてもらう為に、老人割引、老人無料のサービスを止めて若者(18歳未満)無料のサービスをすべきです。兼六園の入場は年寄りからはキッチリもらい若者は無料にすべきです。食事も量の少ない美味しい料理を提供、食べ放題なんか愚の骨頂です。あくまで年寄り中心の社会にシフト替えこそが今必要ではないでしょうか!
調亮
2015.6.4 | 10:47
世の中あべこべPartⅣ
たった今市会議員候補の選挙カーが、かしがましく自分の名前を連呼して通り過ぎていきます。この原稿が紙上に出る頃には決着がついています。
ここで私が思うのは、こんな自分の名前とお願いを連呼するだけの選挙をいつまでやっているのだろうという事です。外国の人から見ると、これはとても不思議な光景に見えるらしいのです。国会も、県会も、市会も、県知事も、市長も、すべての選挙が画一的で、候補者は何を主張しているのか、何を考えているのか、市をどうしたいのか、一切具体的な事が解らなくて、ただ名前だけを知らしめていく、そんな選挙運動でいいのかと思うのです。
我々が候補者の考え方や方針を知ろうとしても、殆ど意見らしい意見は述べられておらず、抽象的な心地良い言葉の羅列で何の具体性も感じられません。一般の市民がどう考え、どうして欲しいと思っているのか、そんな事を候補者が知る場所、機会というものはどこにあるのか?と思うと殆どありません。対話というか意見を交換する機会は殆どないに等しいと言っても過言ではないと言えます。
殆どの候補者決定は、地縁、血縁、知人、友人、そして同じ出身、町内という事によってなされているのが現状です。お粗末この上ないのです。この候補者は何を考え、どういう街づくりの勉強をし、この市をどう活性化させようとしているのか?政治家としての資質をどの程度持ち合わせているのか?そのような判断を下せる資料が何一つ無く、それを公開する場所もないのです。
昔は立会演説会場というものがあって、候補者が入れ代わり立ち代わり演説をしていって、優れた候補者か、内容がある候補者か、意欲を持った候補者か比較できました。今はそれすらなく、選挙民は顔を知っている、何回握手してくれた、何回訪問してくれた、町内に選挙カーが何回来た、とかのくだらない理由で候補者を選択している現状があるのです。これで選ばれたのでは、市の状況はかろうじての現状維持、これ以上良くなるなんて思うのはおこがましいことです。その上、首長の選挙で投票率が50%を切っているような選挙で当選して、市民の意志を負託しているといえるのでしょうか?投票しないのは否定の意志表示だと考えると、全く逆の考え方になるのでは?
今私達日本人は少子高齢化という未曽有の国難に向かって急速に突き進んでいます。社会構造の激変、経済の激変が今目の前に迫っているこの時期に100年一日の如き選挙で、何のアイディアもなく、何の気概もなく、未来の展望も感じられないこの選挙を繰り返す政治家、選挙民に未来はあるのでしょうか?
日本の将来は非常に危ういのではないでしょうか?
私達の子供、孫たちはこれからつらい生活に陥る可能性が非常に強いと思われます。そんな日本に、今こそ手を講じなければならないのに、今のような選挙で選んでいて良いのでしょか?ダメだと思います。良い人を選べる、そんなシステム作りこそが必要です。これからは連呼型だけの選挙をしている人には投票しないという選挙民の意志が必要です。候補者の人格、人となり、思想、見識で選べる、そんな選挙をしてほしいものです。
具体的には、小松市議の定数も有権者7,000人に対して1人という具合に自動的に増減できるシステムにし、その減った分で市議の報酬をアップし、素晴らしい人に市議になってもらいたいものです。
世の中あべこべ!こう感じる今日この頃です。
調 亮
2015.5.14 | 17:34
世の中あべこべPartⅢ
先日久しぶりに金沢の大和百貨店へ行きました。小松に大和があった頃は、春と秋に背広を注文していました。大和が撤退して、とても不便を感じていたのですが、だんだん背広も古くなり、久しぶりに新調しようかと思い出かけたのです。
ところが、店内に入って私は大変戸惑いを感じました。何故なら、私の居場所が無いと
言っても過言ではない程に大和自身が若者向けの店になっているのです。私の目指す背広コーナーも殆ど若者向きで、いつも行っているダーバンのコーナーも小松店の時よりも小さくなってしまい、商品数も少なく、その上どちらかというと若者好みに変身しているのです。
私達は団塊の世代で、リタイア組も多くいますが、まだまだ元気な現役組もたくさんいます。それにもかかわらず、この世代が全然意識されていないのです。だから居る場所がないのです。リラックスするどころか、楽しむ場所もないような店舗づくりなのです。
一世帯のうち、3人にひとりは65歳以上と言われるこの時代において、人口比でも大きな部分を占め、資産的にも収入的にも一番余裕のあるこの世代に対してこそ、店づくりから商品ぞろえ、くつろぎスペース、その他いろいろなサービスを提供すべきなのではないかと私は思うのです。
これからは、元気な年寄り、ダンディーな年寄りを社会が育てていかなければならないというこの時期に、一切対策をしないで、昔ながらの購買層、若者、働き盛りを追っかけているマーケターの頭の中はいったいどうなっているのでしょう。世の中あべこべではないですか?
少子高齢化社会というのは、高齢化した人が増えるという事で、この市場が拡大してきているという事なのではないですか。この高齢化層に対して、いかに社会に進出させ、いかに消費を促していくかという視点に立って、マーケターは店づくりをすべきだと思います。
今までは、マスコミの論調も若者、若者の一点張りでの報道が目立ちますが、これからは日本の現実を見据え、年寄り、いや元気な年寄り、熟年(ネーミングは皆んなで考えましょう)こそが社会に働きかけ、街づくりをしていかねばならないのではないでしょうか。「若い者に負けておれるか」という気概を持って若者と年寄りのコラボこそが、今日本の社会に求められているのではないでしょうか!
世の中あべこべ。隠退するのは早いですよ
調 亮
2015.5.14 | 17:32
