サンサンコーナー
日本を愛する気持ち
今、教育に必要なのは日本を愛するという
気持ちです。日本人はとても恵まれています。こんな国はほとんど無いと思われます。
国境はしっかりとしているし、どこへ行くのも安全が確保されている治安のよい国です。最近は子供達が精神的に追い詰められて起こす犯罪が増えてきているように思えますが、それも他の国から見れば少ない件数です。
戦後の高度経済成長とバブル期を経て、日本は世界有数の富裕な国になり、日本国民の平均的生活水準は190余りの国の、つまりほとんどの国の人々より高いと言われています。国民所得から鑑みても中流意識が強く、住宅の持家率も非常に高いように思います。
福利厚生も実に整っています。医療において分け隔てなく治療を受けることができ、医療保険制度は充実しています。治療費の負担も安く、厚生年金・国民年金も充実し、世界で有数の高齢化社会、少子化社会を形成しているのです。
それに伴い空き家が全国で800万戸を超えました。各地域に空き家が増え続け、全国で空き家問題が深刻になってきています。これも実は贅沢な問題なのです。少子化の問題や人口の都市集中など色々な問題が複雑に絡み合い、空き家が増加しているのです。これが今後、地方に悪影響を与え、地方の地盤沈下が始まり、地方の経済が成り立たなくなるのではないかと心配になります。
空き家が続出してくるということは不動産の価値が下がるということなのです。このことは、個人個人の資産がどんどん目減りするということなのです。せっかく借り入れをし不動産を所有しても、その価値が減少するということなのです。そしてそれはいつしか個人ではなく地方全体にじんわりと響いてくることになるのです。不動産の固定資産評価を押し下げるということになるのです。市町村の税収の3分の1を占める固定資産税収入が目減りしていくということは、市町村の経営が成り立たなくなるということなのです。
そして今、固定資産評価が時価を上回る状況が現出しています。これはどういうことかといえば、不動産がどんどん値下がりしているのに、固定資産評価が適切適正に評価されていないからなのではないでしょうか?
これは行政が税収が減ることを恐れて、こまめに評価替えに取り組んでいないからかも? まさかそんなことはないでしょうが、行政が故意的に目をつむるか曲げているのではと思えてしまうのです。そしてマスコミも黙り込むという構図ができ上がっているように感じてしまうのです。
加えて法律が複雑、多岐になり実社会から離れてしまい、その改正が状況に応じ改正制定できなくなってきています。以前より国会議員のレベルが低下しているのか、対応しきれないようです。
今この恵まれた日本が色々な面で柔軟に対応しきれない為に“ゆで蛙現象”が起きているのではないかと心配です。この恵まれた国、日本が、日本国民自らが貶めているように思えてしょうがないのです。
私達は有事であるこの機会に根本から見直す必要があると思います。日本人は自分を見直すという自浄能力が外国人と比べて欠けているのが現状です。
もう一度見直しましょう。また子供達にそのような心を芽ばえさせる教育をしましょう。
まずは教育の改革を。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2021.6.1 | 09:53
丁度良い
丁度という言葉を調べると 《時間、分量など過不足なく一致するさま、きっかり、ぴったり、あたかも、さながら、まるで、まさしく、たっぷり、なみなみと》などの意味が出てきます。
私は最近年のせいか物事はなんでも丁度良いのが最も望ましいことであると思うようになりました。
例えばお金とか財産とかは自分が生活する上で足りなくては苦しいし、かといって余り過ぎてもいけない。お金が余り過ぎる、と聞くと世の中の人はそんな恵まれたことは無いと思うことでしょう。しかし余り過ぎるということは非常に辛いことなのです。将来的に争いを起こすこともありますし、まず子供達の教育に悪影響が出ます。どちらかというと不足しているよりもより悪影響が出てくるように思われます。まず子供達は働く意欲を持たない、無気力な子に育つ確率が高いように思います。そんな状態で成長していけば、必然的に無気力無責任な大人になってしまいます。そしてその有り余りあるお金、財産が一生涯に渡り充分であってくれればいいのですが、働く気力の無い生活を続けて、お金や財産が不足してくるともう大変です。最終的には年老いてから生活破綻となってしまいます。もしかしたら生活保護を受けている人の中にはそんな生活をしてきたような方がいるかもしれません。
今日、日本ではこの種の大人がどんどん増えてきているのではと心配されます。若者の登校拒否や引きこもり、高齢者の自宅とじこもり等、社会に対応できない人が続出し、また長期化しているようですが、これが我々の先人達が血と汗の努力で築いてきた結果だとすると大変皮肉なことです。逆にお金が足りない境遇がたくましい人を育てるとしたら何の為の努力だったのか解らなくなってしまいます。
日本は世界の諸国に引けを取らない恵まれた国だと思います。幸せです。でもその幸せがこのまま続くとはとても思えません。その原因が私達の豊かさが招いてるとしたら大問題です。今のお金、財産、豊さをどう使うのか、どう増やしていくのかということを教えるには、子供のうちに教育していく以外には解決策が無いのではないかと私は思っています。
日本の教育は暗記が中心の知識詰込み型となっていて、欧州のように考えて導き出すことを重視している訳ではありません。お金の使い方にしても、個人個人の資質に頼ってそれぞれ独自にやっているのが現状で、教育としては全然やっていないという御粗末さです。先を見通せない今のこの時代に、未来を洞察し、自分なりの答えを見つけ出すためには、やはり教育は必要だと思います。
また、私達は今の自分の収入が丁度良いと思えるように、収入に応じた生活をすることを覚えていかねばならないと思います。バブル時代は逆に支出に合わせて収入を決め、消費者金融にお世話になったという人も多かったと聞きます。ですがこれからの日本は景気も衰え、国力も衰えて下降線を辿る一方になる可能性が大です。そんな中、暗記中心の教育方針で大丈夫なのでしょうか。
どんなことも丁度が良いという考え方で、「私はお前が丁度良い」で夫婦仲を円満に、所得は「私の生活に丁度良い」、友達は「私の価値観に丁度良い」、なんでも「私に丁度良い」と思うことが世の中をうまく渡る秘訣なのではないでしょうか。《丁度良い世の中に》 過ぎたるは及ばざるが如しといいますが?
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2021.5.1 | 09:54
パンデミックは人間社会を変革する?
今、新型コロナウィルスは人間社会に大きな変化をもたらしています。まず、外へ出歩かなくなったことです。人々は外出をしなくなり、海外へはほとんど自由に渡航できなくなりました。その結果、多くの人々が生活を規制したことにより個人消費は落ち込み、経済活動が縮小されてきています。お金持ちもそうでない人も平等に制限を受けているということなのです。
おかげで世界の主要都市ではスモッグや大気汚染が緩和され空がきれいになり、観光客の減少により海や川がきれいになっています。地球環境にはとても良い影響を与えているのです。どんなに環境に良い政策でも、このパンデミック(感染症の世界的大流行)の影響にはかなわないのではと思うくらいです。パンデミックは人間社会への革命なのかもしれません。
ところで感染とは何でしょうか?鼻の粘膜にウィルスがつくと感染なのか、喉の粘膜にウィルスがつくと感染なのか?
フランスで見つかった変異型ウィルスは、鼻の奥からの検体では陰性で、呼吸器の奥からの検体では陽性だったと報道されています。
保菌していて発症しないのは、その個人が健康であり、持っている抵抗力・免疫力が強くて発症しないのでしょうが、これはとても面倒なことになると思います。発症している人は病院等に隔離され治療をしますが、発症していない保菌者は体内に菌を持ち続けているのに自由に歩き回ることができ、知らず知らずのうちにウィルスを撒き散らしていることもあり得るのです。
今の国の政策である《不要不急》の「外出を控える」「飲酒を伴う会合を控える」「大人数での飲食はダメ」というものは、コロナウィルスの感染を防ぐという意味では正解だと思います。しかし人々が生活していく上で、この状態が長く続くとどうなっていくのでしょう。人間の根本的な生活が成り立つのかといえば成り立つはずがないのは自明の理です。
前にもお伝えしましたが、新規感染者が減少傾向にあるとか増加傾向にあるとかいう政府の発表には何の意味があるのだろうかと、私は大変疑問に思っています。これは政府が一切の対策が無く無策をさらけ出しているようなものです。ですが、どうもしようがないと開き直ることは政府には出来ないでしょう。
今回の新型コロナウィルスも全員が抗体を持つようになる迄、終息はおぼつかないのではないかと思っています。
過去に3度も大流行したペスト、1800年代のコレラ、1900年代のスペイン風邪。これまでに何度も世界でパンデミックが起こっていますが、撲滅できたのは唯一天然痘だけです。その天然痘も、抗体を持ったスペイン人がインカ帝国を攻め、インカ帝国の人々は抗体が無い為に天然痘にかかり、軍事力が弱体化した為、インカ帝国の滅亡を速めたという歴史があります。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」です。しかし今は科学も発展し医療も格段の進歩を遂げています。
ワクチンの接種実績も徐々に増えてきていますが、副反応が諸外国と比べて多いように見受けられるとの声もあります。今の段階ではワクチンを体に入れることに、どうしても不安を覚えてしまいます。
一日でも早い、より安全で、より有効なワクチンの開発、治療法の発見が急がれるところです。期待しましょう。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2021.4.5 | 10:20
新型コロナウイルス
2019年12月に初めて報道されてから1年3か月。全世界で新型コロナウィルスが猛威を振るい、我が日本も例外では無く、緊急事態宣言が発令され、午後8時以降の酒の提供や午後9時以降の営業を控えることにより感染を防ごうとしています。一時より大幅に減少したものの、感染者数は下げ止まり感が否めず、劇的な効果とまでは言えないように思います。
まず感染を防ぐ方法ですが、ワクチンの開発が急務ということで、全世界でワクチンの開発が急がれています。しかしワクチンというのはいったい何なんでしょう。
辞書によるとワクチンとは「感染症に対する予防に用いられるすべての細菌性やウィルス性の製品」とあります。ワクチンには生ワクチンや不活化ワクチンなどいくつか種類があるそうです。
今回の新型コロナウィルスのワクチンは、メッセンジャーRNAワクチンという、ウィルスのタンパク質をつくるもとになる情報の一部を注射し、人の体内でこれをもとにウィルスのタンパク質の一部がつくられ、それに対する抗体ができ、免疫ができるそうです。
若くて健康な人はいいのです。しかし我々みたいな高齢者は本当に抗体が出来るのでしょうか?私は高齢者になる程難しいのではと思います。抗体ができる代わりに体調に異変が起きないか、心配になります。
それよりも私は、予防も大事ですが治療法は確立されてきているのかということの方が懸念されます。
この治療法の情報がほとんど報道されていないことで、一般の人々の心理をますます不安に陥れています。まず予防と併せて治療法の確立が急務だと思われますし、その情報の開示が必要かと思われます。
私は毎日の《新しい感染が何人》という報道は世間に不安を煽ったり、反対に数字慣れして油断する怖さもあり、何の対策にもなっていないと思います。もっと肝心な部分の報道をすべきだと思います。肝心の報道とは、例えば治療して完治した人は抗体が出来ているので以後感染しないのか、それとも再度感染するのか。もう保菌しておらず他の人に感染させる恐れが無いのかなど全然分かりません。ただ世間の人々を不安に陥れているだけなのです。
西暦1330年頃から全世界でペストが流行りました。もともとはモンゴル帝国の支配下にあった中国大陸で発生したものでしたが、全ヨーロッパの人口の3割が死滅したと言われています。ペストが終息したのは世界の人が皆罹患し、抗体が出来たときだと言われています。そうした歴史から学べば、治療法が確立されてない現状では、この新型コロナウィルスは全世界の人が罹患して抗体が出来た人だけが、ワクチンを接種した人だけが生き残り、その他の人々は死滅するということになります。
コロナウィルスの確実な治療法がまだ確立されていないということを、人々が動揺する為報道出来ないというのであるならば、このウィルスは当分終息不可能で、このままの状況が長く続くことになります。
ペストの猛威を受け、人口の3分の1が死亡したイギリスは、労働者不足に陥り穀物栽培から羊の放牧へ転換が進んだそうです。
我々の社会も大きく変化し人々の考えも、人生の価値観すらも大きく変わらざるを得なくなるかもしれません。それでも私達は本当の事を知りたい、真実を知りたいのです。
真実の報道を待っています!
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2021.3.2 | 15:58
サスティナブルな社会を目指してXVI
世の中どんどん時が経つ。偉い人も普通の人も、お金持ちも貧乏な人も、平等に時を重ねていきます。そして人間も動物も植物も、すべての生物は最盛期を迎え、やがて衰えて死に至ります。あらゆる物が古くなり、陳腐化して腐っていきます。
私達人間は自然の中でまるで王者のように振る舞っていますが、いつかは古くなる、老いるということを忘れているのではないでしょうか。
世の中は新しきを喜び、古きを忌み嫌います。しかし、この古くなる社会、高齢化社会において、ただ古さを嫌っていて良いのでしょうか?
どこかの講談家は、毒舌漫談を得意とし、中高年世代の人生の悲哀をあざけることで、笑いをとって人気を博していますが、あれは私には実に聞き苦しく、いずれは自分もそうなるのになあ…といつも感じています。またそれを聞いて笑っている観客をみると、あたかも自分は違うんだ、老いないんだという、まるで他人事、傍観者のようで違和感を覚えてしまいます。
今の社会は決して高齢者に優しくないと感じています。そして昨今のマスコミは高齢者を軽視しているところが目につきます。
例えば、書類関係の文字はどうでしょう?小さかったり、薄い色で書かれていたり、高齢者にとって非常に読みにくいものがよくあります。新聞・雑誌の字も小さく、商品の裏に書かれている説明書きも然り、まことに我々の年代には見えづらい小ささです。
私達は70歳を超えると運転免許の更新は自動車学校で実地の試験を受ける必要があり、75歳を超えると認知症の検査が必要です。
自分の足で出歩くことが困難になり、外出するのに車が必要となる年齢の人から、車の免許を取り上げようとしています。
公共交通機関が発達している都会ならいざ知らず、公共交通のサービスレベルが低下している地方圏では、(高齢者向けの)車の開発、街の都市計画等が急務であるのです。
にもかかわらず、現段階では一切高齢者に配慮されていないというのが現状です。もっと高齢者に優しい社会をつくっていく事が早急に必要だと切に思います。
今年は熊が街中に多く出没して人々を驚かせていましたが、これも元々は人間が熊の生息地を奪い、食料を無くしてしまった結果、今の状況を作り出しているのです。
人間は今まで以上に自然を知らなくてはいけない、その人間自身がまぎれもなく自然界の一部であるということに気付かなければならないと思います。人間やすべての生物はいつか年老い、古くなるという事を常に意識しなければならないと思います。
建物施設社会のシステム全てが陳腐化し、古くなっていくのです。これをどう修理し、補完していくか、それがこれからのサスティナブルな社会に向けての課題だと思います。
その中で人間はいかに自分の人生を全うしていくか、それはその人一人一人の人生観なのです。素敵な人生を!!
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2020.12.1 | 08:58
サスティナブルな社会を目指してXV
難民、なんて恐ろしい言葉なんでしょう。「難民」とは、政治的な迫害や武力紛争、人権侵害など様々な理由から、自分の命を守るためにやむを得ず国境を越えて他国に庇護を求めた人々のことです。今全世界では約8,000万人もの難民が故郷を追われ、受け入れてくれる安全な国へと逃れてきています。
一方で、難民を受け入れた国は大変な苦労を抱え込むことになります。例えばドイツ統一から30年経ちましたが、同一の人種であっても、東と西が同等となるにはかなりの年月と両国民の努力が必要でした。ましてや人種が違えばなおさらです。経済力や基礎学力、文化が違う民族が同居して、うまく国を運営していくことは至難の業なのです。
日本は世界の中でも最も難民慣れしていない国民と言えます。1万人を超える難民申請数に対し、難民認定されたのは50人足らずという、他の先進国に比べて「難民鎖国」と呼ばれるほど認定に至るのが大変厳しく、加えて申請結果が出るまでに数年かかることもあり、その間働くこともできず医療費も全額実費立替しなければならないという過酷な現状です。
しかしながらそんな日本でも、これからさらに難民が多くなる可能性は十分あります。そのような状況になった時、はたして日本の政府は対応できるのでしょうか?
現在でも全国17か所の入管収容施設に収容される難民申請者は、自殺者、自殺未遂が後を絶たず、また医療を受けられずに死亡することも多々あるそうです。それなのに益々増えていくことになれば、今の体制ではまず無理だと思います。対応は遅れる一方になるでしょう。
自衛隊についても対応できるのでしょうか?日本の自衛隊の体質を、戦争に備えることではなく、国内の維持管理を主体にする体制に変えておくべきだと私は思います。国内の災害対策、治安維持、救助対策を迅速に対応できる体制こそが、これからの自衛隊の任務とすべきではないでしょうか。
憲法第9条の改正は、従来の軍隊としてではなく、上記に述べた自衛隊にするような改正をすべきだと思います。これからは難民に対しても排外的、排他的ではなく、融和的に治安を維持しつつ、日本の良さを守っていける体制こそが求められるのではないでしょうか。
世界の人口は現在の77億人からいずれは90億人を超えると予測されています。私たちは世界から目を背けてはいけません。自分たちだけがうまくいきさえすれば良いという、そんな虫の良いことはこれからの世界には通用しなくなります。今後日本にやってくる難民は増え続けていくでしょう。常にその事を頭に入れ対策を怠りなくしましょう。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2020.11.1 | 09:37
サスティナブルな社会を目指してXIV
今、日本社会は65才以上が人口の28%を超えるという超高齢化社会を迎えています。人口も減少の一途をたどっており、このままでは日本社会が立ち行かなくなるのではと危惧されるのに、一番鈍感なのは行政ではないかと思われます。
その一番は都市計画だと思います。都市計画では用途地域を指定して建築を制限しています。今迄の社会は工場、職場と住居が分離されており、通勤をして職場で働いて終わったら家へ帰って休むという生活が通常の流れでした。特に東京近郊から都心に勤務する人などは通勤にかなりの時間をかけていました。しかし今年になって、コロナ禍の中、職・住が混在し、同居するという新しいワークスタイルが急速に増えてきています。
通勤に時間をかけたり、経費をかけることをしないで、仕事と住まいの区別がない生活にシフトしてきています。また車を運転しなくても、歩いて行動できる生活範囲に、あらゆる利便施設が整っていることが住居を決める条件になってきている時代に、建築制限を用途別に加えることによって、結果的に人々の生活を阻害することになっています。
一体何の為の都市計画なのでしょうか。社会が刻々と変化しているにもかかわらず、都市計画の考え方がそのことに順応しきれていない為に、逆に人々の生活の邪魔をする結果になっているのです。それなのに行政は法律通りに取り締まり、そのことに対して誰も責任を取る体制になっていないのです。法律に定められた通りにやったので、その結果がどうなろうと自分たちには責任が無いという人達が行政を行っている、この仕組みは如何なものでしょうか。
現在、小松市の人口は約11万人で、これからますます少子高齢化が進み、人口がどんどん減少していくと思われます。そんな中で旧態依然の都市計画、法律を守っていてよいのでしょうか。住む人のいなくなる街に人口増加の抑制、建築乱造の制限、農業をする人が減っているのに、旧態依然の農地法でいいのか?本当に市街化調整区域が必要なのか?このままでは農地だけが残って、人がいない状況になってしまいます。全く考えようとしない行政は一体どうなっているのでしょうか。
私は10年後、20年後の小松市がどうなっているのか非常に心配でなりません。皆様はどうでしょうか。そんな頃には私たちはもういないのだから関係ないわというなら、それはそれでいいのですが…。
前に質問をもらいました『都市計画道路上に新築住宅が建っている』ことについてですが、まだ計画の段階なので木造等の壊し易い建物の建築はOKです。また、取り壊しについては都市計画の予算付けがされてはじめて交渉され、立ち退きが成されるのです。
しかしこれ以上道路は必要なのでしょうか?もう…。
令和2年9月18日記述
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2020.10.1 | 10:26
サスティナブルな社会を目指してXⅢ
前号に対して読者の方からご質問をいただきました。そのうちの一つは道路幅員についてのことで、道路が一定の広さを確保できていなくて不便であるという事でした。道路の幅は開発行為の認可の場合6mの幅が必要です。その他は8mとか12mとか20mとか色々な道幅が決められています。
しかし今問題になっているのは既存道路の事だと思います。既存の道路とは昔からある道路のことで、ひどいものになると80cmぐらいの幅の道路というか、通路に近いものもあり、非常に不便です。こういった、幅員が4m以内の道路は道路中心から2m後退して、お互いが道路として提供することによって、4m幅の道路を確保しようというのが建築基準法上の道路です。しかし私たち不動産業者が宅地を開発する時、すなわち新しい道路をつくる時には、最低6m幅が必要なのです。
昔、法善寺横丁の路地幅は2.7mしかなかったのですが、火災によって焼失した店の建て直しをする際に、行政から4m以上にしなさいと指導を受けました。しかし地元は拡幅すると町並みが壊れてしまうという理由から、大反対運動をして路地幅をそのまま維持することが出来たそうです。
私は観光地の道路はあまり広過ぎるとムードが出ないと思います。やはり3mぐらいの道をギューギューに混み合って、肩すれ合って歩くのが観光地には向いているのではないでしょうか。
金沢市中心部にある木倉町は、割烹、居酒屋などの店が並んでいて観光客で賑わう人気のスポットですが、3m弱の幅しかなく、まさにそぞろ歩く感じです。それに対して小松駅前通りは人通りがさほどでもないのに、だだっ広い道路が走っています。せっかく広くした道路も、横断が出来ないため信号が多く設置され、本蓮寺の交差点から北國銀行小松中央支店の交差点迄、一体いくつ信号があるのでしょうか。あの信号通りで信号につかまらずに通れたら奇跡です。そんな道路計画をしている上、この計画に責任を取る者が誰一人いないというのはなんとも不思議です。何のためにあんなに広い道路幅をとったのでしょうか?車が通過し易いように考えたのだとしたら、あの広い短い通りに信号待ちでイライラしなければいけない今の現状は本末転倒だと思います。
私は、道路の幅はその用途に応じて計画すべきだと思います。小松商工会議所の通りは20mあり、国土交通省の規則では中央分離帯をつけなければならない規則です。しかし、あの空港軽海線に中央分離帯をつけると、車が通過する為だけの用途になってしまい、面として、街としての賑わいが失われてしまうのです。その証拠に、今既に中央分離帯がある所の沿線沿いにはほとんど店舗が建っておりません。そんな通過する為の道路への出店なんて必要ないと思うからです。街を発展させる為、街づくりをする為には道路一つとっても緻密に考えていかねばならないのです。
龍助町の無電線化にさらに舗道をつけたら最悪です。もっと緻密に考えて計画してほしいものです。都市計画は道路一つとっても大変重要なのですから。その他都市計画には色々あるのです。よく考えましょう。
久しぶりに新型コロナウィルスから離れましたが、新型コロナウィルスはなかなか良くなる兆候も見えず、確実な解決の方向は何も見えていません。毎日繰り返される「何人感染」なんていう発表よりもwithコロナについて詳しく分かりやすく伝えて欲しいと思います。
令和2年8月24日記述
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2020.9.1 | 09:16
サスティナブルな社会を目指してⅫ
コロナウィルスがまた猛威を奮い始めています。世界各国の経済も大きな被害を受け、悲鳴をあげています。
金沢や小松でも、4月の緊急事態宣言の影響がジワリジワリと我々にのしかかってきています。居酒屋やレストラン等の経営は本当に厳しくなっており、倒産、廃業が相次ぎそうな勢いです。不用不急の外出自粛の要請は、国民が街に出る習慣すら奪ってしまい、ほとんどの人が街に出ることをためらうようになってきています。このままでは国民全体が畏縮してしまい、経済が成り立たなくなってしまいます。
今は昔と違って、経済活動の規模が大変大きくなっています。そして、お金が回らないと一瞬たりとも生きて行けない世の中になっているのです。それなのに国民全体をしばって経済をストップするなんぞ政治の横暴錯覚です。
日本は今、少子高齢化という大変な問題を抱えています。数年後に街が消滅するかもしれない危機を迎えているにもかかわらず、地方の政治は一体どんな施策をしているのでしょう。全く対策していないというのが現状です。
今の社会は戦後75年という長い年月をかけて、人間ばかりでなく、法律制度そのものが古く老朽化してきているのです。
まず年金問題です。少子高齢化による受給に対する不安や、高齢者に比べて現役世代が損するという世代間格差の不満など、年金制度への不信感は拭いきれないままです。
また農業政策も然りです。米余りといって減反、米の高価買取、田んぼの売買の不自由化、百姓でないと田んぼを買えない、誰でも安易に農業に参加できない、そしてお百姓さんの高齢化によって耕作する人がいなくなってきているのに、農地を守ろうとしています。
今、都市計画では市街化区域、市街化調整区域が線引きされ、都市化すべき地域と、すべきでない地域とに厳然と分かれ、市街化調整区域では田んぼ、畑以外にはほとんど使えないように定められています。
それによって、ほとんど使用できないままの地域がどんどん増え続けているのです。この都市計画は、人口が右肩上がりに増え続けている時に乱開発を防ぐ為に設けられたものです。今は人口減少時代に突入して、これからますます空き家、空き地が増えていく傾向にあり、全国に空き家が800万戸~900万戸あると言われています。こんな時代に今の都市計画が必要なのでしょうか。このままでは国民の邪魔をするだけで、何の益ももたらさないと思われ、そんな計画は計画ではなくて、街壊しなのではないでしょうか?
その他にも古くなった法律制度は数限りなくあるのですが、何の手立ても打たれることなく、のんべんだらりとしているのです。法の改正、制度改正を考えていかねばならない時は既にきているのではないでしょうか。
私たちの地域を、私たちの手で造り上げる為、住み良い地域を作る為、効果のあるシステム改正、法の改正こそが必要だと思います。
法の改正というと、日本人はすぐ厳しく取り締まることを頭に浮かべますが、法をゆるやかにして、自由に活動できるようにするのも改正ですよ。
令和2年7月28日記述
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2020.8.1 | 09:02
サスティナブルな社会を目指してⅪ
たくましき者、それは人間か!…?
新型コロナウィルスは、これまでに196の国と地域で910万人超の感染者と47万人以上の死者を出しているにもかかわらず、いまだ感染を拡げており、大変な事態となっています。
4月に緊急事態宣言が発令されましたが、このまま継続すると経済がもたないとの危惧から、先日緊急事態宣言が解除され、宣言発令以前の生活に戻りつつあります。新型コロナ対策がさほど進んでいないにもかかわらず、経済優先で社会が回り始めています。コロナの感染者が今も毎日出ているにもかかわらずです。
これはどういう事かとよく考えてみますと、私たちは国及びマスコミに煽られて必要以上にコロナを恐れすぎているのかもしれません。
もしくは、国の対策が誤っていたのかもしれません。やはり、コロナ感染者を囲い込み、治療する検査を徹底することこそが急務だった、いや急務であるような気がします。
私は個人的には東京の人とは接触したくありません。やはり東京の人が石川県、金沢に来るのは控えてほしいと思っています。あとはゆるりと対策を練っていけばいいと思います。そして情報を正確に、政治を入れずに専門性を持って正直に発表していただきたいと思います。新型コロナは本当に人類の危機なのか、SARS(サーズ)の再来ぐらいなのか、より正確な情報提供を求めます。
今、私はこの機会を生かして世の中の仕組みを変える時期に来ているのではないかと思います。世の中を変えるチャンスなのではないかと思います。今や政治は、お金のばらまきが対策だと勘違いして、補助金をばらまいていますが、そのばらまき方も稚拙だと思います。いつまでもそれでは成り立たないにもかかわらずです。
そして公共事業こそ見直すべき時に来ていると思います。龍助町の無電柱化のように、ほとんど効果も継続性もなく、小松市内の各町内が無電柱化になるならいざ知らず、全小松市民のためになる公共事業を議会で議論すべきではないでしょうか。
この期に、税金の使い方を見直し、改善すべきは改善して無駄使いをやめてほしいと思います。今から日本経済は壊滅的な痛手を被ると思います。その対策を常に考えていかねばと思います。
たくましき者が生き残るのではない、柔軟な者がこの世界に生き残れるのだ!
適者生存こそが自然の節理です。
令和2年6月23日記述
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2020.7.1 | 09:49

