サンサンコーナー
グランドデザインを描けない日本人PartⅤ
参院選は自公の圧勝に終わりました。選挙の前から、圧勝するだろうと予想はされていたのですが、予想通りの圧勝で何か間が抜けたというか、符に落ちないと言うか、何か納得できないものが残りました。
それは何かと考えて見れば、今の選挙だけではなくいつもの事なのですが、ほとんどムードだけであったように思います。私自身、候補者を全然知らないのです。どんな性格の方で、どのような考えを持ち、はたして上に立つ素質を持っておいでなのか?どんな勉強というか、どのような方面にお強いのか?全くといって良い程地方区も比例区も知らないのです。その上その他の党の候補の事も、それ以上にわからないのです。アベノミクスというムードに完全に乗せられて、党内でどんな意見を言うのか全く解らない、顔の見えない候補者を我々は選んでいるという事が、第一に納得できないことです。
その次に今の国政は色々な問題をかかえています。特に原発問題です。しかし、何でも反対というように原発反対だけを訴える党というのもどうなのでしょうか。私も、反対は反対なのですが、政治はそんなもんじゃないでしょう。ともあれ、政治というものはもっとバランスのとれた党に担ってもらいたいものです。ここで選挙の結果、原発反対の党が伸びなかったからといって、みんな原発に賛成したのかと言われますと否、ノーと言わざるを得ません。
次に憲法問題です。この問題については、自分の国の憲法がアメリカ主導で作られた。日本人の総意として作られたものではない、とされている事については大変な問題があると思っています。やはり国の成立と言う考え方において、日本人が日本人としての総意に基いた憲法を戦後67年たった現在、真剣に考えてみる時期に来ていると思うのですが、それに対してはほとんどの党が沈黙…?
次に税金の問題です。もう国家財政が破綻に近い状況になっているにもかかわらず、誰も国民に厳しい事を発信せず、税金は安く、雇用は充実、医療費等の負担はゼロ、etcと国民に迎合するような甘い話ばっかり。でも、それではやっていけないと皆んなわかっているのに…?いや解っていないのかな?でも誰もそんな事を言わない。
特に年金問題を上げれば誰もこのままやっていけるなんて信じていないのに、この問題に正面からぶつかる政治家はいなかったように思います。いやそれは国民が悪いのかも。何故ならその問題は、国民にとって耳のいたい事になるからそんな事を言う政治家に投票しないという国民の愚かさにあるからです。政治生命が絶たれるという事になれば誰も、それに立ち向かうはずが無いですよね。かくして将来大変な事になるであろう、問題を先送りして国民に甘い事ばかり提示する、変な選挙が成されていっている訳です。
でも、こんな国民相手にでも、政治に立とうとする人や、グランドデザインを描ける政治家集団が出て来ても良いのではないかと思います。
変な事は、まだまだ色々あると思います。そして今回の結果で、気になる事は又も、ムードで大振れした事です。この大振れは大きなゆり戻しが、必ず来るという事です。これは民主党が経験しています。この大揺れする日本人とはいったい何だろうという事については、紙面が尽きましたので次回に回したいと思います。
調 亮
2014.2.17 | 22:19
私のグランドデザイン
今世の中は確実に移り変わっていっています。それも急速にです。世代交代も急速に行われています。
小松という狭い地域に限って見ても、我や先、君や先という小さな変動はありますが、大きな流れでは確実に世代交代が進んでいっています。
若い頃勇ましい事を言っていた方も、段々元気も無くなり、亡くなってしまうという状況が私のまわりでも顕著になってきています。
私ももうすぐ67歳。人生の黄昏時にさしかかっています。体力をつけ、教養を身につけ、芸を身につけ(?)いろいろな素養を身につけ、友人の輪を広げ、たくさんのお客様にかわいがって頂き、人生を楽しませてもらっています。そして着実に変化を続けているのです。
そんな中で、私の人生のグランドデザインはどうなのかと言いますと、まだまだはっきりとは描けていないというのが正直なところです。
私たちは自分の人生にどんな意義を見出すのでしょうか?
人生は生病老死の言葉通り、山あり、谷あり、病あり、子供が生まれ、子供を育て、そして、後に引き継いでいく。我々の先祖が延々と、何代にもわたって続けてきた、その結果が今日の私という存在を作っているのです。こう考えた時、私はこの後のグランドデザインをどのように描いていくのかの方向が少し見えてきたような気がします。
それは、人を育てることではないか?
自分の子供は勿論の事(自分の子供を育てるのが最も難しいのですが・・・)人、特に社員に、また私に関わり合う若い人達に!
たまには同世代、年配の人にでもいいか? そして自分自身が共に育つ、そんなグランドデザインを描く事こそを、これからの私の人生の理念にしていきたいと思います。
ひとりの人間として、誇りを持てる人間
日本人、小松人として誇りを持てる人間
そんな人間を育てる そんな人づくりこそをしたいと思う今日この頃です。
先月、私は若い友人を亡くしてしまいました。少し人生というものに対し感傷的になってしまったかもしれませんが、思いつくままに書いてみました。
調 亮
2014.2.17 | 22:18
グランドデザインを描けない日本人partⅣ
自民党が政権与党を奪回し安部さんが首相となりました。アベノミクスと呼ばれる現象がおき、為替は1ドル100円を超え、株はダウ15,000円を超え、世の中一見景気が良くなっているような気がします。金融投資は儲かり、人々はあぶく銭を享受しているようにテレビでは報道されています。円安により、海外の輸出企業は軒並み好調なようです。しかし輸入業者はヒィーヒィー言って、100円均一のお店が大変だとか、ガソリンは値上げしないとやっていけないとか、小麦も値上がりだとか、円高の時より円安の今の方が我々庶民にとっては影響が大きそうです。
しかし今、私たちは景気が良くなったという実感は全くありません。特に地方に住む我々にとってそうではないかと思います。
それは何故かというと、ムードばかりが先行していて、実際の景気回復の対策は、従来の公共事業に投資する予算を拡大しただけで、後は殆ど手つかずの状態だからなのです。
少子化対策、高齢化対策、年金医療問題、地域過疎化問題、国債問題、税金問題、東北の復興問題等々数え上げればきりがない程問題を抱えているにも関わらず、何ら打つ手が無い、アイディアが無いという状況です。このままでは将来の子孫の財産を食いつぶし、挙句の果てには借金を子供たちに担がせようとしています。国民はこの景気は本物だろうか、いつ迄もつのだろうかと不安を持ち続けているので、ちょっとした情報にも大きく揺れ動くという際どいところに今いるのだと思います。
今私たち日本人は、世界でも有数に恵まれた国に住んでいると思います。経済的にも十分力を持っています。この余力のある時に、グランドデザインをしっかり描き、将来の不安の解消をこそ目指すべきギリギリの時期に遭遇していると言っても過言ではないと思います。それには経済の活性化以外に日本がとるべき道はないと思います。税を重くするというのは、経済の活性化に全く逆行するものであり、安易な道の選択ではないかと思います。しかし、今の政治は歳入を増やすには増税の道しかないと言う。これではあまりに政治の貧困ではないか、アイディアを持った政治家はいないんかい?将来を見据えた手を打てる政治家はいないんかい?行革をして経費削減ができる政治家はいないんかい?投資育成して世界に羽ばたける人材を育てる政治家はいないんかい?こんなグランドデザインを描ける政治家はいないんかい!・・・?
今が日本のギリギリのチャンスですよ!!
調 亮
2014.2.17 | 22:16
グランドデザインを描けない日本人Ⅲ
小松の都市計画Ⅱ
今の小松の都市計画は計画ではなく、昭和50年の現状をそのまま写しただけのもので何ら未来を描いたものではない、と前回述べました。では、具体的に道路を例にとってみましょう。
今は『20mを超える道路は中央分離帯をつけなさい』となっています。しかしこの中央分離帯というのは実にクセモノなのです。
車社会の現代において交通事故は永遠の社会問題です。この交通事故防止の為に中央分離帯をつけるのですが、これがその地域の面的な繁栄を阻害する一因になっているのです。 今中央分離帯がついた地域は殆ど発展していません。それは交通の便を著しく阻害し、人々が生活する上で非常な不便を醸し出しているからなのです。それで路面店舗等は大変営業しにくく、新しく店舗展開する場合には中央分離帯が無いところというのが絶対条件になっています。
何故なら、一方通行だけでは非常に生活しにくいという事なのです。それで小松商工会議所前の空港軽海線は中央分離帯が廃止されました。その結果は一目瞭然でしょう…?
また廃止したことによって交通事故が多発したという事実もないようです…?
次に車道と歩道の関係です。
今は開発行為を行う場合は最低6m幅の道路が必要とされているのですが、これが住居地域においても商業地域においても同じ考え方なのです。その結果、住居地域においての6m道路は住民間の会話をなくし、子供たちが安心して遊べない道路になってしまうのです。その事は地域のコミュニケーションをなくし、老人、若者、子供との共生できる場所を奪い、とても危険な道路にしてしまうのです。
何故なら、道が狭ければ車はスピードを落として走るのですが、6m幅の道路だと車はビュンビュン走り、歩行者はゆっくりと立ち話もままならない、そんな空間になってしまうのです。
その上『街中の道路に歩道を設けると縁石を設置しなければいけない』というマニュアルの為に街中の歩道に縁石をつけ、車の乗り入れ、交差が実に不便でいつもタイヤのゴム跡がついて見苦しいことになっています。その不便さを目で実感する為には、私の事務所の前の道路と市役所前の通りを比べて見れば一目瞭然です。どちらの方が使い易いか交通の便が良いか見比べて欲しいのです。
この事は如何に無駄で不便な事に大きな費用と労力を費やしているのかという事の証明なのです。
グランドデザイン、市民が安全で生活し易く、活性化する為にどうあるべきかを我々小松市民は検証すべきです。
そして検証し、正していくシステム作りこそが必要と思います。
パフォーマンスではなく、実地に基づいて、10年20年かけてより良い方向へ行くシステム作りが今こそ必要なのではないでしょうか!
その為に市政にグランドデザインを!!
調 亮
2014.2.17 | 12:52
グランドデザインを描けない日本人Ⅱ
グランドデザインが描けないと言えば、私が15年前から常々言い続けている小松の都市計画がまさにそれです。
都市計画とは、都市を如何に造っていくかという、まさにグランドデザインなのですが、小松の都市計画にはそれが全く描かれておりません。将来のあるべき姿、ありたい姿を一切デザインしていない都市計画です。小松の都市計画を策定した時に、将来の小松をこうしよう、こういう風に発展させようと夢を語る人がいなかったので、その作業に携わった人が工場があるから工業・準工業地域に、商店があるから商業・近隣商業地域に、住宅があるから住居地域にという具合に、計画というより現況に合わせた現況図というべきものを作成したとしか言いようのないほど酷い都市計画なのです。
でも一旦これが法律で決まってしまうと、それに基づいて町づくりが動き出し、30数年間この酷い都市計画を守り続けているのです。
その結果、小松工業・小松商業・小松市立女子高(現小松市立高校)は郊外へ移転し、街中から数多くの高校生が姿を消しました。警察署は八号線(現305号線)へ、商工会議所は園町へ、住居は西軽海団地、国府台団地へと、まさに郊外へ移転しました。
大型店舗を郊外に新設し、道路はあまり全体を考慮しないで独自に通しているので、その周りは殆どが建物を建てられない、利用できない市街化調整区域。ただ通過するだけの通路と化した道路には誰も歩かない立派な歩道をつけて無駄の限りを尽くしています。
また、この小松の都市計画を実施するために、結果的に将来の見通しや展望がないが為に、無意味に努力する多くの人員があり、それは逆に現在の三日市・八日市等の商店街の寂れの大きな原因を作っているのではないかと思われます。そして単発的に活性化の為と称して、補助金という名のカンフル剤を注ぎ込んでいます。しかしその効果は殆ど見られないように私には思われます。
私は、やはり小松の都市計画にはグランドデザインを描く必要があると思います。その為、これからの小松はどうあるべきなのか、どのように発展させるべきなのかという理念・コンセプトを「市民総意」で作るべきだと思います。
しかしこの「市民総意」というのが実は曲者なのです。今の都市計画は殆どがその「市民総意」という経緯をたどって作られたような気がします。だからこそレベルの低い都市計画になってしまったのだと思います。
やはりグランドデザインは、小松・能美を良く知り、理解し、勉強しているプロに頼まなければならないと思います。でもどこかの大学の都市計画の教授レベルでは事なかれの何の意味もない、今と同程度の都市計画になってしまうのではないかと懸念されます。やはり本当のプロを我々市民が探さねばなりません。
町づくりというのはカンフル注射で何とかするものではなく、10年20年いや100年と、長い年月をかけて我々が一つの方向を向いて作り上げていくものなのです。その為に優れたグランドデザイン、優れた都市計画が今こそ必要になっているのです。
皆で小松の事を考えましょう!!
調 亮
2014.2.17 | 12:50
グランドデザインを描けない日本人
今世界は急速にグローバル化が進んでいます。モバイル通信の進歩は言うに及ばず、それによる情報の一元化と言いますか、あらゆる情報が飛び交っていて、アメリカの情報が一瞬の内に日本に、日本の情報がヨーロッパにという具合に地球全体が非常に狭くなってきている感があります。
しかし、情報には受ける情報と発信する情報があり、その情報が正確なものか、不正確なものか、又その情報はどういう意図で発信されたのか、と言う事を常に判断する、判断できる状況を持たなければならないと思います。その為には、データー、発信者の状況、世界の状況を常に頭に入れておかなければなりません。
例えば尖閣諸島の問題です。島の所有者から依頼されて、石原氏が強硬な発言をする、それに国が過剰反応をして、それを個人から国が買い取る、ここまでは日本国内の問題です。その次からは国際問題です。日本が国有化した為に中国が強硬に所有権を主張する。そして民間人同志の島の訪問、占拠、挙句の果てに自衛隊の出動、中国軍の出動、レーダーで照準をあてたとかあてないとかの一触即発の状況が続いています。そして一番日本の弱点である、軍同士の争いに発展しています。
今の日本は、戦争をする力など殆ど無い状態で、唯一日米安全保障条約によってのみ守られている、というこの状況を理解しているのでしょうか?
さらに、アメリカが日本と中国との二国間問題に対して、命を懸けて日本を守ってくれるのでしょうか?日本人が日本を守ることに命を懸けるのを忌避しているのに、アメリカ人が命を懸けて日本を守るという事が安全保障条約という約束だけで守られると信ずる事がどうなのでしょうか?
対アメリカとの関係においてもそうです。お互いの国にメリットがなければ、条約を守るという信義はたやすく破られてきた、という過去の歴史から、私たちは学ばねばなりません。
そうしますと尖閣問題は、今の日本の立場としては、うやむやと、有るような無いような、もやっとした中に置いておいた方が良かったと思えるのです。それを「正義の声は大きく」と大きな声を上げたばかりに今のような大きな問題になり、泥沼化しているわけです。
正義と正義がぶつかり合うのが戦争です。
正義であると主張する者は必ず相手は不正義であると確信しているのです。しかし相手も正義であると思っているわけですから、これは泥沼化するのは当然です。やはり正義の声は小さく言うのが世の中うまくいくのです。
そういう意味で、この情報をこうすればこうなるというグランドデザインが描けてないばかりに、グチャグチャなデザインになってきているのです。こう発言したらこう相手が反応し、それに対してどう対応して、落としどころはここにしよう、そして損得はどれくらいか、その影響はどれくらいかというグランドデザインを描いている人が今の日本のトップにいるのでしょうか?甚だ疑問です。
平和にしようと言っていれば平和になるのではない。平和を守るグランドデザインを描き、実行していく中で初めて平和が実現されるのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
調 亮
2014.2.17 | 12:48
今年はどんな年に?
昨年12月、民主党政権から自民党政権に変わりました。それによって78円から90円台に、円安ドル高になり、日経ダウは上昇し、経済の見通しは明るくなってきたように感じます。何の対策も実行も無いのに安部政権の前向き発言、方向付けによってこれ程ドラスティックに変化するものだろうかと思える程に世の中の空気がガラリと変わりました。
これは一体どういう事なのでしょう。実態が伴わないのに実際経済が変わるという不思議…。本当に不思議。夢かまぼろし、狐につままれたようなこの感触、実に気持ちが悪いものです。でもどこかでこの夢は現実に引き戻されるでしょう。いや必ずや…です。
今、日本社会は世界の先頭を切って少子高齢化社会へと突入しています。この事は日本全体から見れば国力の低下、あらゆる事の低下を招いていきます。さらに物の老朽化、法の老朽化、システムの老朽化がますます進んでいきます。今各家庭で65歳以上の老人が2人以上、我が家でも3人家族のうちの2人が65歳以上という状態です。町内でも総会をすると3分の2以上が65歳以上のように見受けられます。このように日本では、世界がまだ経験した事がない高齢化社会が現出しようとしています。
そんな中で年金はどうのとか社会保障がどうのとは、もう問題外の案件でしょう。それにもかかわらず、税金をあげるという対策以外に一切対策をできない政治。製造業が壊滅状態に追い込まれているにもかかわらず、補助金以外の対策は何ら打てない。日本国という国を愛さない日本国民を生み出す教育システムに何ら対策をできない政治。景気を良くするという甘言が政策としてまかり通る選挙。この国はどうなっているのでしょう?
私は歴史が好きでいろいろな国の栄枯盛衰を見てきましたが、今の日本の現況を見ると全く何と言ううべきか、国が凋落するときの兆し、大きな兆しが見えているとしか言いようがありません。恐ろしい事です。20年後、30年後、今の日本からは想像もできないくらい没落した日本の姿がそこにあるでしょう。
何故なら、凋落の原因がハッキリと見えているにもかかわらず、その原因に目をつむり、又情報を公開しないでその対策を打とうとしないからです。もしかしたら、その原因を直す能力の無い人達が国の舵取りをしているのかもしれません。
今日本人は世界でも珍しい甘ちゃん人間になってきているのです。アルジェリアの事件に違和感を覚えた人が日本人の中に多数いるのではないでしょうか。その違和感こそが、日本人の世界常識からずれたところかもしれません。
いずれにしろ高齢化社会が訪れているにもかかわらず、老人中心の社会形成がなされていません。そろそろ方向転換して、老人中心社会にシフトするぐらいの政治家が出ても良い頃でしょう。
老人に仕事をしてもらう、老人に税金を納めてもらう、老人ホーム、ケア施設作りを止める、ぐらいの方向転換ができないのか、さもないと老人の介護が国の一大産業になってしまいますよ。せめてNHKの紅白歌合戦ぐらいは老人中心にする、というように社会システムを変えるような取り組みをなさい!!
調 亮
追伸
今は円安なのではない、円高なんだ
円の実力はもう全然無いんですよ
120円台ももうすぐですよ!!
3年後は…。
2014.2.17 | 12:46
謹賀新年
本年は癸巳 (みずのとみ)年 (どし ) です。
「新しき事への挑戦の種を蒔く年」であるといわれています。
私たちはどんな新しい種を蒔くべきでしょうか?
今日本は少子高齢化社会を迎え、経済は縮小、社会構造は働き手不足の時代となってまいります。
そんな中、本当に何が必要か、何が不必要かを問われる時代です。
私たちは社会に必要とされる不動産業を目指して、新しい種を蒔き育てていこうと決意を新たに致しております。
今年もよろしくお願い申し上げます。
2012.12.29 | 15:47
住みよい都市計画を!
不動産業というものは、地域に密着し、地域の活力の上に成り立つ商売です。
最近、地方の元気の無さがとても気になりませんか?東京等大都市ばかりが発展し、他の地方都市はどんどん衰退していっているように思います。
その大きな原因の一つは、日本の少子高齢化社会への突入にあると思いますが、これは人口増加を待たなければ何とも解決できません。私はもっと大きな原因として、全国一律の都市計画が挙げられると思います。
昭和43年に都市計画法が制定され、それに基づいて各地方が都市計画を施行しました。
我が小松も御多分に洩れず昭和50年に施行されました。しかしそれは、都市計画をすると都市計画税が取れるぞという安易な考え方?に基づいていたのではないかと思うくらいお粗末なものでした。つまり、将来の小松をどう造るのか、小松の特徴をどのように生かして町づくりを進めるのかという展望のないものでした。小松市民はもちろん、小松の行政に携わる人々からさえも町づくりの展望についての意見は明確には聞こえてきません。これは何とも不思議な事です。
その上この都市計画は国が基本を決めた為に、全国一律、金太郎飴みたいな計画なのです。だから全国どこへ行っても同じような町ができて、地方の特徴がどんどん失われていくという今の状況になってしまったのです。
これではいけないという事で町づくりの運動というものがあちこちで盛んになりましたが、残念な事にそれらの間に連携がなく、それぞれが単独に活動するので、もう混沌としています。特にこの人口11万人ぐらいの都市が、全国一律何の変哲もない町に成り下がっているのです。
今や世の中は非常な変化を遂げ、自然環境に対する考え方も変わってきています。しかし、この都市計画には一切自然環境に対する配慮はなされていません。
例えば、道路は全国一律に6m幅で造られています。そこに地域という考えは殆ど無いに等しいのです。そしてこの都市計画は、基本的には全然無知で将来の展望も何も考えていなかった小松市民が、国の指導のもとになされたのです。しかも40年近く経つのに、その計画は頑なに守られ、基本的な部分への修正は一切加えられずに実行させられていくのです。こんなバカな都市計画というのがあるでしょうか?
江戸時代の昔、前田の殿様が小松に隠居城を構えられました。そして鍛治町、細工町、大工町、小馬出町等々、特色のある町づくりをされました。そのことによって、糸や鉄の産業が盛んになってきたのです。加賀藩独自の都市づくり、町づくりで発展しました。
そうして日本の各都市が独自の特色をもって発展したのです。金沢も前田の殿様のおかげで面白味が十分残っていると思います。せっかく残っている特色を今は都市計画という名の凶器でドンドン壊しているのかも・・・?
私は、今ここで都市計画というものをしっかり見直すべきだと思います。それは小松独自の特徴を生かす、又将来どんな小松にしようかという、市民レベルのコンセンサスこそが必要だと思います。地方が元気になる為には、その都市計画づくりを通しての「市民づくり」こそが必要なのです。何が出来上がるのか誰も知らない、何の専門性も感じられない金太郎飴みたいな全国一律の都市計画なんて糞喰らえ、という地方反乱の中から地方の活性化が始まるのではないかと思います。
元気を出そう小松!元気を出そう北陸!!
こんなに災害が少なく、食べ物が美味しい町は全国どこへ行ってもないのですから。あとは住みよい都市計画こそが今必要です!!
調 亮
2012.12.29 | 15:44
フェアorアンフェアPartⅣ
世の中が公平であるか不公平であるかと捉えれば、不公平な事が非常に多いと思います。
それは個人の間においても、会社においても、国の間においてもそうであると思います。
例えば、自分より実力がないのに昇進が早い。それは出身学校が良いので学閥で引き上げられる、上司に気に入られたので・・・。
いや立ち回りがうまいので、とかいろいろあると思います。ではその自分が思う実力とはいったい何なのでしょうか?
営業力、社員の統率力、経営能力、人当りの良さ、数字に強い、正義感に溢れている、気遣いが抜群、その他いろいろ。 数え上げればきりがありません。そしてこれらのどれかを捉えて人を評価する訳ですが、その条件の全てを満足させる人なんかいるわけがないのです。
ですから、上司はその一部分を捉えてその強いところ、弱いところを評価した上で昇進を考える訳です。これは比較的フェアな評価だと思われます。しかし、その評価を下す上司のレベルによって、ひとつの評価は極端な話、全く正反対になる事が多々見受けられます。それは評価人の考え方、哲学によって大きく左右されるからなのです。
私は人の噂というものは一切信用しません。自分で見て、会って話をしてみて考え方を知り、行動を見てその人の評価をします。何故なら人の噂というものは、その噂を流した人のレベルでしか見られないからです。器の小さい人が自分の器以上の人を評価した時、全くの勘違いが生じてしまう恐れがあります。昔から天才は常に不遇であったのです。天才は一般の人から見ると異常に見えるのです。だから「天才と何とかは紙一重」と言われたのです。それ程、人の評価はそれをする人のレベルによって違ってくるのです。
本題のフェアかアンフェアかに戻りますと、何がフェアなのでしょうか?このフェアは評価された方の受け取り方にかなり左右されるのだという事がわかると思います。何故なら、人の事をそれ程緻密に観察し、心の中を慮ってくれる人なんてそんなに多くはないからです。でも世の中は評価の大はやりです。昇進問題、給料問題、営業成績等々。多種多様にわたって評価されています。でもそれがフェアかどうか?
如何ですか、世の中アンフェアな事ばかりと皆さん思っておいでなのではないでしょうか?そのアンフェアを正そうとする努力こそがアンフェアな世の中を正す原動力なのではないかと思います。
神は人間に大きな何かをさせる時、その大きさに応じた多難を与えると言われています。
今大きな問題を抱えているあなた、今の多難は神があなたに与え賜うた試練で、大きな仕事をさせる前兆と捉えれば、人生は又楽しいものかもしれません。人生そんなにアンフェアではないのかもしれませんよ。
今世界の人々から見れば、日本ほど恵まれている国は他にはないのかもしれませんよ!
調亮
2012.11.13 | 09:45