サンサンコーナー
北欧の旅 part2
まず直行便で関西空港からヘルシンキへ往き13時間の旅です。若い頃はエコノミークラスでの旅でしたが、今回はビジネスクラスにしたことで、旅費は高額になりました。その一因は円安にあります。一時期1ドル75円でしたが、現在は1ドル149円で、約2分の1の価値に下がりました。私は日本の国力もずいぶん下がったものだと心配になります。しかし、私の感覚では日本の実力は120円ぐらいが妥当ではないかと思っています。
この行き過ぎた円安の要因は、日本の政策にあると思います。今の内閣は、円安に対して何ら政策を施していません。わずかな見せかけの減税、人気とりとしか思えない政策ばかりで、根本的な政策は何らできていないのが今の政治です。民主主義は愚民政治に沈んでいると言われていますが、まさにその通りになってきているのではないでしょうか?
そのうえ旅費の高騰の要因に、ガソリンの値上げが大きな影響を与えていると思います。レギュラーガソリン1ℓあたり170円という価格は日本経済に多大な影響を与えてきており、これからもジワジワと日本の社会に影響を与え続けるでしょう。
また、これから日本人は海外旅行に行けなくなるのではと心配になります。反対に海外の人が日本に来やすくなります。今、金沢にも外国人があふれています。インバウンドと言いますが、これも円安の影響かと思われます。そのうえ日本の不動産がどんどん買われていて、近い将来外国の領地として旗が立つ日がくるかもしれません。昔は、戦争により領地を確保しましたが、これからは外国人が戦争ではなく、お金で不動産を買う時代になってきています。それも、円安がその手助けをしているという訳なのです。そのうえ、日本の法律では100%の所有権を持てます。しかし、日本以外の国は49%の所有権しか持てないようにして、51%を自国民が所有するようにしています。この49%と51%の差は大変な差なのですが、これはあとに譲り、北欧の旅の話に戻りたいと思います。
ヘルシンキの空港に降りたって驚いたことは、昔は日本メーカーのナショナルやソニー等の看板が常設されていたのに、そのような看板が一切なく、中国や韓国企業の看板がちらほら見えるようになったことです。ここにも日本の衰退が伺え寂しい限りです。
そして、すぐにトランジェットでヘルシンキからコペンハーゲンへ飛びます。約2時間で着き、初日は一日中移動でした。飛行中の睡眠も若い頃と違ってあまりとれないままコペンハーゲンに到着し市内観光をしました。このスケジュールで寝ずに観光ができるなんて若い証拠なのかもしれませんね?
コペンハーゲンの街並みは静かなで落ち着いた雰囲気です。信号機が少ないからなのかもしれません。また、北欧の街中は15度~17度ぐらいで、暑い日本の夏と比較しても湿気が少なく、今が実に過ごしやすい気候でした。そして、これからが寒い冬の季節を迎えるそうです。
さあ、これから船旅でフィヨルドへ向かいます。乞うご期待!!
ラブ小松! 不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2023.11.8 | 13:55
北欧との街並みの差
令和5年8月24日から9月4日の12日間、久しぶりに海外旅行に行ってきました。コロナ禍以来の海外で、行き先は北欧4ヶ国、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマークです。北欧は日本の猛暑に比べて涼しく、6~17度ぐらいの気温で、湿気が少なく過ごし易さは抜群で、12日間は、移動の2日を除くと実質10日間の旅でした。 4ヶ国とも人口が日本より少なく、スウェーデンで、約1,000万人で、首都に100万人程が集中しているようです。
ヘルシンキの空港に降り立つと、日本の町並みのようにコセコセ、ガサガサしていなくて、実に落ち着いた良い街並みでした。最初は、人口が少なくて広々とした敷地がそう感じさせるのかと思ったのですが、旅をするうちに政策の大きな違いに気付きました。それは、幹線道路が広すぎないことです。
また、交差点が十字路ではなく、ほとんどが信号機のないラウンドアバウトのため、信号待ちせずに、ノンストップで通行できることです。
北欧4ヶ国すべてが同じで、車の流れがスムーズで、バスも早く目的地に着けたようです。交差点の交通信号機は設備投資が非常にかかり、1交差点につき1千万円以上と言われます。そのうえ、ランニングコストの、修繕費、電気料(1年間に全国で120億円のデーターがあり)が必要です。ラウンドアバウトを設置するには、敷地が多く必要です。日本の交差点のように敷地があまり広くないところは、信号機設置の方が最初は良いように思われますが、ランニングコストは比較にならない程です。将来人口が少なくなった時のランニングコストは誰が負担するのだろうと心配になります。
そのうえ、車が停止、発進することにより、排気ガスが通常運転よりはるかに多くなるため、環境には非常に悪いです。排気ガス規制で車の改善も不可欠ですが、交通網の整備も必要だと思います。また、信号待ちの時間がかかります。我々は国内では慣れてしまい気にしていないようですが、私はイライラして、ストレスが溜まります。そのうえ信号機がローテーション化されて、交通渋滞が少しでも緩和されると良いのですが、そこまで至っていないのが現状です。交通事故が起こるたび、地元の陳情により警察庁交通局が許認可している状況です。安全性のみを考え、車の流れはおざなりになり、経費のかかる信号機ばかりの道路ができています。
小松駅前の道路を見れば一目瞭然だと思います。道路幅のみが広くなり、信号機がないと渡れなくなって、お年寄りが横断歩道を渡りきる前に信号が変わってしまい、道路の真ん中で右往左往している姿が見受けられます。これにより、街歩きができなくなり、生活圏を分断しています。私は、駅前の道路にもラウンドアバウト設置が可能だったと思います。ラウンドアバウトを設置できるにもかかわらず、設置しない交通行政に異議を唱えます。将来子どもたちが大きな負担を強いられる行政を私は反対します。この事態に危機感を持っているのは私だけでしょうか?海外へ行ってみてください。環境重視のほとんどの先進国はラウンドアバウトですよ!
私は北欧4ヶ国を旅して、どの国の人々も実に落ち着いた国民性だと思いました。社会保障制度が充実しているのが理由だとも思いますが、そればかりではなく、交通システムが充実しているのも一要因かなと思います。北欧4ヶ国の旅行記は次回以降に譲ります。乞うご期待!!
ラブ小松! 不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2023.10.5 | 10:12
小松市に八つあたり
小松市の道路行政について、以前も意見を申し上げましたが、再度、指摘したいと思います。
本折町から龍助町の道路が、歩道を分離して新造されましたが、あれが改良と言えるのでしょうか?住民にとって非常に使いにくく、また、我々通行人にとっても実に通行しにくい改良、いや改悪と言われる改造だと思うのです。
まず、道路の無電柱化です。どうして本折町から龍助町間だけが無電柱化されるのか?何の基準によって成されているのか、これから街中は全て無電柱化されるのか?どんな流れになっているのか?とても興味があります。
次に歩道です。縁石をつけたばかりに、道路に面した家は、アプローチがしにくい状況になっていると思います。特に車庫への車の出し入れはしにくいと思います。また、縁石の歯抜けのようなガタガタさは実に使いにくいものです。
ところで、歩道の縁石は必要なのでしょうか?歩いている人が危険だからなのでしょうか。もし危険だとしたら、他の地域は危険ではないのでしょうか?事故が起きる可能性があることは分かります。ほとんどありませんが。しかし、縁石があることにより、けつまずいたり、車が交差しにくい状況になっていることも事実です。
私は、街中の歩道には縁石は必要ないと思います。国道や県道など、車のスピードが出やすい道路には、歩道が必要かもしれませんが、街中を走る道路には必要ないと思います。逆にスピード規制をすればよいのではないかとさえ思います。
私は、都市計画において縁石の必要がないと決めるべきではないかと思います。設置されることで、生活しにくくなるような縁石は不要だと思うからです。試しに私の事務所(小松市小馬出町)の前の通りと、龍助町の通りを比較してみれば、一目瞭然です。行政マンは、もっと真剣に道路行政に取り組んでほしいと思います。
私は事業をしていて、常に投資と効果について意識しています。一つの例ですが、自社で開発した宅地(大聖寺の福の杜、85区画分譲地)の交差点では、信号ではなくラウンドアバウト(環状交差点)を取り入れました。行政から許可が下りるまで、一年もかかりました。ラウンドアバウトでは事故が起こりやすいのではないか、という杞憂からです。しかし、信号を設置しない交差点にと工夫した一時の投資で、非常に効果があったと思います。是非一度見にきてもらいたいと思います。今では、そこを利用する大聖寺の住民はすいすい通行しているようです。イギリス、ドイツ、アメリカなどの欧米諸国では、ラウンドアバウトが広く普及しています。初期投資は大きいですが、ランニングコストがほとんど必要なくなり、便利です。
小松市の行政マンも、ここに投資をしたら、その効果はいか程だろう、この投資は市民の為になるのだろうか?少しでも市民の生活がし易くなるのだろうか?等を常に考えていかねばならないと思います。担当者が真剣に検討し、他の優良地域を視察し、研究し、良い事柄をどんどん採用していく見識が求められます。そして悪しき事業を廃止し、良い事業を取り入れる街づくりをしていかねばなりません。その柔軟性こそが求められ、常に改善をしていく為に行政マンの能力を高めねばなりません。お互い頑張って小松の町を良くしましょう。(左:龍助町、右:小馬出町)
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2023.8.28 | 11:04
親友の死に接し
先日、私の幼馴染の親友が亡くなりました。彼とは小学校から一緒で、中学は別でしたが、高校は同じで、青春時代を共に過ごした仲です。一緒に語り合い、酒を飲み交わし、仕事もし、実に頼もしき友でありました。
自分の同級生が亡くなるというのは実に寂しく、自分も死をとらえる年に近づいているという思いが、ひしひしと感じられました。自分の生き様はこれでいいのか?自分らしく生きているのか?と、つくづく考えさせられました。
日本人の平均寿命は、女性は88歳、男性は82歳です。その上健康寿命というものがあり、女性は75歳で、男性は72歳と言われています。この健康寿命というのは、自分の頭で考え、自分の体を使って通常の生活を送れる期間のことだそうです。
私は76歳で、健康寿命を過ぎています。最近、物覚えが悪くなっています。子どもの頃ならスッと頭の中に入っていたことが、今では何回も繰り返すことで、やっと覚えられる次第です。また、話す上で言葉が次から次へと出てこない時、あれ何やったろう、と時間をかけると、やっと出てくることがあります。
これも年齢のせいかな、とも思いますが、私は、脳の引き出しが多くて、その引き出しを探すのに時間がかかっているからだと思うようにしています。年齢による脳の衰えのせいにせず、世の経験の積み重ねが多いせいだと。
しかし、確実に時代は変わっています。ちょっと前まで頑張っていた方が、最近は顔を見ないなと思うと亡くなっていたり、世の中の構成がどんどん変化しているような気がします。亡くなった親友も、社会の一線で大活躍され、3年程前から顔を見ることが減り、気遣っていたところ、突然の訃報でした。その人その人がそれぞれの人生で積み重ねてきたものが、突然この世から消えてなくなるのです。次の世代に、その思いは引き継がれていくものの、遺された人の人生が始まり、故人に対する記憶は次第に薄れていき、二代程経るとなくなり、故人が精一杯生きた人生は全くなくなってしまうことになるのです。人間の歴史は、何千年、何万年とその繰り返しです。その人の学歴、人生、財産等もすべて雲散霧消してしまうのです。後に遺されたものが、どう使うかによって、生きるか、生かされるか、死ぬかしてしまうのです。
要するに、財産等は遺された人によって、どう生かされるのか、どう遺していくべきなのか、ではないかと思います。そう考えると、物ではなく、自分がどう生きたかという意志がとても大切であり、伝えるべきことではないかと思います。
遺された私達は、その意志を後世に伝えていくことが、この世に生きるということではないでしょうか?昔こんな年寄りが、先祖がいたんや、と語られることが大切かもしれません。
今の世の中は非常に早く進み、人々の記憶も早く薄れがちです。しかし、何世代にわたって語り継がれていけば幸いです。今回、親友の突然の訃報に接し、少し感傷的になり、人生、死というものについて改めて考えてみました。死を覚悟することは、忌避すべきでなく、死は誰にでも平等に訪れ、避けることのできない人生の一大一幕です。常に死を意識した悔いのない生き方をしましょう。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2023.8.28 | 11:00
悪人顔のおもしろなさ!
「のう越後屋、お主も悪よのう」この一節は、ドラマ水戸黄門の悪徳商人が越後屋に向かって言うセリフで、越後屋とは江戸時代の豪商です。どうも日本人というと、清廉潔白が理想で、商売というと何か悪いことをして儲けているようなイメージが強いようです。昔から士農工商といって、社会的に商人は一番低い地位にありました。しかしお金の力で世の中はだんだんと変化し、その結果、明治維新という大きな社会変化となって現れたのです。越後のちりめん問屋、越後屋、鴻池(こうのいけ)家等は江戸時代の豪商ですが、飢饉の際は米の買い占め、火事になれば材木の買い占め等を担当官僚等と癒着して行い大儲けをしたため、庶民は商人に対し良いイメージを持っていなかったようです。いずれにしろ今も昔も悪い人達がいたようです。
しかし最近は、テレビドラマの悪役をする人の顔がどうも悪役をする顔でなくなってきているように思います。我々の子どもの頃の悪役の顔といえば、本当に悪いことをしそうな顔をしていたものです。今のドラマを見ていると、ほとんどがイケメンで、背が高くて足が長く、顎がなくてラッキョウ顔で、小顔でスタイルのよい人ばかりです。えらが張って、目がギョロリとして、鼻が大きく横に拡がり、胴が長く、足が短くて悪知恵が働きそうな悪役はどこへいったのでしょう。いつからか皆同じような顔つきになり、人を殺したりお金を盗んだり悪事を働くのは普通の顔の人で、精神的におかしいと思うような人が増えたように思います。
昔は貧しくて食べる物がない為に盗みをしたようですが、今は贅沢をする為に盗みを働くようです。それも普通の顔で。昔は平生の行いが顔に出たものですが、それは今も変わらず、自分の行いが顔に現れると思います。罪を犯すと、常に精神鑑定をしなければいけない今の世の中を見ると、これまでの教育は正しかったのかと心配になります。
私が言いたいのは、悪人のことではなく、悪役をする人が実に少なくなり、悪役がよくないドラマは見ていても全然面白くないのです。まるで全く味が無い、さび抜き寿司を食べているような味気無さが残るのです。やはりドラマを面白くするには悪というさびが必要なのかもしれません。
善がなければ悪がなく、その背景に深い深い思惑がひそんでいなければ何の面白味もありません。
最近の日本人の平準化の要因が、平準化された教育にあるとすれば大変なことではないでしょうか?個性を育てない、自分で思考しない、教えることのみが多く、学ぶことが少ない、友と交流することが少ない、教育が必要なのでしょうか。一律の平均的人間しか育てられない教育、学歴だけが物を言う教育が、はたして必要なのでしょうか。ある大学を出たら評価する、その人が持っている資質を評価できる日本人がいかに少ないか。学歴だけで相手の実力を評価するのではなく、その人の実力を正しく評価することのできる人になれるよう自分を高めましょう。
悪人顔から教育の話になりましたが、人生百年いかに充実させ楽しい人生を送るか、それは自分で考え、それを実行して自分らしく生きることしかないのではないでしょうか。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2023.7.7 | 11:55
私の母校 板津中学校
小松市の北の方、梯川を渡ったところにある現在の美原町に私の母校、旧板津中学校の校舎はありました。木造平屋建ての一部弐階建てで、田んぼに囲まれた非常に日当たりの良い校舎でした。
当時の板津校下は、梯町、梅田町、島田町、松梨町、御館町、大島町、蛭川町、犬丸町、長田町、高堂町、平面町、一針町、野田町、千代町、能美町等で構成され、私たちの学年は4クラス約190人が在籍していました。中学2年生の時には、全校生徒数は600人前後だったと記憶しています。
先生方は石髙寛氏、北村利子氏、新井睦子氏、小西一郎氏、中野鯰氏、前氏、正寺氏、南氏、加納氏、蓮井氏、校長先生と私の父と同窓生の荒木氏等の多志才々の先生方が活気にあふれ頑張っていました。
また、クラブ活動も活発で私が2年生の時には県の優勝旗が7本も学校に飾られていたことが記憶に残っています。私も野球部に所属し、加南地区新人大会では辻佳久投手の活躍もあり優勝しました。時の顧問は後藤長兵衛氏でした。野球を全く知らなかったにも関わらず、うまくチームをまとめあげられていました。先生が本来教示される長唄浄瑠璃の技術が活きていたのかもしれません。
とにかく先生と生徒のハーモニーが素晴らしく、非常に文武両道に励み、生徒は伸び伸びと学業にも勤しんでいました。それは何故かと言うと、梅田町は会社員の子ども、他の町は主に農家の子どもが多く、伸び伸びと育ち、そのバランスは素晴らしいものがありました。私の恩師達もあの頃の板津中学校は楽しかった、面白かった、勉強もできてクラブ活動が素晴らしかったという思い出話を聞くと、改めて素晴らしい中学校だったなと思います。
私が小学生の時は担任の先生と気が合わずあまり学校が楽しくなかったのですが、板津中学校に入学してからは、実に伸び伸びとした学校生活を送りました。今の人間形成が出来たのもこの3年間であったと言っても過言ではありません。
この板津中学校の雰囲気はどのようにして作られたのかと考えると、生徒の人数が教育に適していたのだと思います。1クラスは約40人の男女比は半々で、とてもバランスが良かったです。その板津中学校を板津、丸の内、安宅と合併しマンモス化を目指したのは、私からすれば大失敗に終わったように思います。純朴な板津、街風の丸の内、漁港の荒々しさを持った安宅の合併により、何とも言えない校風ができあがったのです。それが元の中学校に分割するという不手際です。今のそれぞれの中学校の校風は分かりませんが、昔に戻っているのでしょうか?戻っていないと思います。ちなみに私は板津中学校14回(昭和37年3月)卒業生で旧板津中学校最後の卒業生です。たった14年しか旧板津中学校は存在しなかったのです。
最近、JRの電車に乗るために明峰駅に行く途中で現板津中学生に出会うのですが、その挨拶が非常に気持ちよく、先輩の私としては嬉しい限りです。昔の板中の雰囲気が戻ってきているのではないでしょうか。
また、自然の恵みといえば白山の雄姿が望めますが、悩みがある時や行き詰まった時に白山を見ると落ち着き、常に白山に助けられ今でも白山を見るのが大好きです。
そんな自然に恵まれ、地域に恵まれた板津中学校時代の思い出は、今も私の胸の奥深くにしまわれています。やはり中学校の適正規模というものがあると思います。適正人数は何人程度か、常に研究すべきだと思います。未来の子供たちの為に素晴らしい中学校を作りましょう。
学校教育でどの時代に生徒が伸びるのかは、それぞれの時期に出会う先生との縁でしょう。教育の大切さを今更ながら思うばかりです。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2023.5.25 | 16:03
地球温暖化と少子高齢社会を生きる覚悟
人間が生物の生活空間を奪っているとしたら大問題です。特にCO2排出量増加による被害だとしたら人間の未来もお粗末なものになるでしょう。
我々は独りで生きているのでなく、取り巻く自然、物、動植物等との関わりの中で生かされており、その一つでも欠けると深刻な影響を受ける恐ろしさをこれから実感しなければなりません。効率や経済の発展を優先し、儲かりさえすれば良いという考え方は、自然を破壊し循環型のサイクルを狂わせます。さらに、サスティナブル(持続可能な発展)な自然の循環が出来ず、カーボンニュートラル(温室効果ガス)を蓄積させ、地球の温暖化をまねいています。温暖化による気候変動により集中豪雨を引き起こし、洪水等の被害が多発しています。また、地球上の氷を融かし海面上昇をまねいています。北極や南極では氷が急激に消失し、白熊等が住めなくなってきています。また、逆に全く降雨がなく砂漠化が進んでいる地域もあります。その影響は様々な所に及んでいます。実際に50年以上前との違いをひしひしと感じます。
- 太陽の光線が強すぎることです。日焼けをするとよく分かります。
- 北陸地域の積雪量が減っており、昔は25cm~50cmだったのが、最近は殆ど積もらず、少々積もってもすぐに融けてしまいます。
- 猪の北限も段々北上し、今迄はほとんど石川県に生息していなかったが、被害が年々甚大になってきています。
- 虫の数、特に蝉の数が極端に減少し、つられて雀の数が減りカラスの数が異常に増えているように思います。
このように温暖化は、動植物の生息などに重大な影響を与えます。自然がどんどん破壊され動植物が少なくなっていくことがとても心配です。私の友人が梯町で農業を営み、試しに10年程前からみかんを植え始めました。当初はカスカスでしたが、今ではとても美味しくなったそうです。北海道は寒冷で米作が出来なかったのが、今や米作の一大産地となっています。
また、近年は一級河川の指定による河川改修が盛んに行われ、綺麗に整備されたことで流れが早くなり、洪水を発生させ易い環境を自ら作り出している例もあります。梯川も例外ではなく、昔に比べて水量ははるかに多くなり、少しの雨でも洪水被害が心配されます。
次に、少子高齢化の進行です。昔よりも子どもの数が少なくなりました。私が子どもの頃は、梅田町だけで小学生以下の子どもが100人以上いて、子ども達の声で溢れ活気がありました。私の同級生は22名いました。沢山の友人とふれ合うことは人の成長につながります。高齢者ばかりで子どもが少ない日本は大丈夫か。また、私たち人間を含む動植物は必ずいつかは生命が尽きます。どんな人も動物も植物も平等に訪れる死というものはなんとドラマティックなのでしょう。私たちは常に死というものを意識し、人生設計をすることが必要です。しかし、日本人はどうも死というものを意識せずいつまでも健康に生き続けられると思い込みがちです。
スティーブ・ジョブズいわく、死とは一つの大きなすばらしいパフォーマンスだと言っています。誰しもが一人で生まれて一人で死ぬのです。人はいつか訪れる死を意識してどう生きるかが大切なのではないでしょうか。
私の母は現在99歳の白寿です。足腰や頭はしっかりしており、家族と買い物へ行き食事の用意をしています。そして、週1~2回喫茶店でランチをし、食後のコーヒーが何よりの楽しみです。もちろんどこへ行っても最年長です。母のように年を重ねられたらと思います。同時に親孝行できる幸せをかみしめています。高齢者と同居し世話をする機会がある場合は、一切を施設や他人に任せて苦労を放棄してしまうのは考えものかも知れません。100歳まで生きる覚悟をもつには、自分のことは自分でできる体力と頭脳を持ち、周囲の人との交流を大切にしていくことが必要なのではないでしょうか。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2023.5.25 | 16:01
時鳥(ホトトギス)から子規へ
昔といってもそんなに遠い昔の話ではないが、私の家から時鳥の鳴き声が遠くから聞こえました。「キョ・キョキョ」、「ピピピピ」という鳴き声はとても澄んでいて、心が洗われたものでした。それは隣町の梯町の大きな木の上から聞こえていました。
もう聞こえなくなって久しいのですが、私の庭に椿の木があった時は、時鳥も鶯(ウグイス)も来ていたのですが、あまりに虫がひどいので切ってしまったら寂しいことに、もう雀と烏(カラス)だけになってしまいました。
時鳥は別名が、杜鵑、霍公鳥、郭公、子規、
杜宇、不如帰、沓手鳥、蜀魂と複数あります。カッコウ目カッコウ科の鳥で、カッコウに似ているが小形で、山地の樹林に住み、自らは巣を作らず、ウグイス等の巣に産卵し、抱卵、育雛を委ねます。鳴き声は極めて顕著で、「てっぺんかけたか」、「ほっちょんかけたか」などと聞こえ、昼夜ともに鳴きます。古来より夏鳥として、日本の文学、特に和歌に登場し、文無鳥(あやなしどり)、沓手鳥(くつてどり)、卯月鳥(うづきどり)、死出の田長(しでのたおさ)、魂迎鳥(たむかえどり)、夕影鳥(ゆうかげどり)、夜直鳥(よただどり)など様々な別名・異名が存在します。万葉集に、「暁に名告り鳴くなる時鳥」
とあるように、非常に名の知られた鳥です。
私が今、愛読しているペンネーム子規子も、この子規からとっていて、34年の生涯を駆け抜けた生き様とは、こんなに素晴らしいものかと毎日感動しています。子規全集全25巻のうち、12巻まで読み終えました。
俳句に対する考え方は素晴らしく、私も俳句を作れるのではないか、いや作らねばならない、作りたいという意欲が盛り上がってきており、こんなに簡単に作れるのかと感動しています。乞うご期待!
正岡子規は松山藩の出で、夏目漱石、河東碧梧桐、高浜虚子など多くの友人がいます。その友人たちは、子規が結核にかかって罹病する恐れがあるにもかかわらず(実際に罹病した人もいるそうです)、子規が死ぬまで俳句談義を重ねました。子規もその中で俳論を積み重ねていき、俳聖と言われるまで成長したのです。これは子規一人だけでは成長はとてもおぼつかず、仲間と語り合う、付き合う中で子規という人間が育っていったように思えます。
今、私たちは義務教育の中で、このような仲間と会話する機会があるのでしょうか。子規の仲間は非常にハイレベルで常にかんかんがくがくと議論し、激しい時は取っ組み合いになったことも一度や二度ではないようです。子規の友人関係が子規の俳論を築き上げたといっても過言ではないのでしょう。
私はここに人を育てる素養があるような気がします。記憶するだけの試験なんて意味があるのでしょうか、その記憶力で有名大学に入って意味があるのでしょうか。今、日本は壊れかかっていると思います。この大きな原因の一端はここにあるのかもしれません。相手に都合の悪いことは言わず、なあなあと流す日本流は、本質に全くせまることができず、ぼやけているように思えるのは私だけかもしれません。議論することに慣れていない日本人は、話し合いで解決しようとしますが、新しい結論に到達することは容易ではありません。
長寿は目出度く幸福ですが、子規の一生からは、長ければいいというものではなく、その一瞬、一瞬をどう生きたかではないかとさえ思われます。
今回は時鳥の鳴き声につられて子規を感じたままに綴ってみました。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2023.3.30 | 08:57
スティーブ・ジョブズの自伝からの学び
スティーブ・ジョブズ(1955年2月24日~2011年10月5日)の56年の人生は、凄まじい一生といって過言ではありません。まず、大学院生の私生児として生を受け、すぐに養子に出されました。里親に育てられ比較的穏やかに幸せに暮らしたそうです。その親から大学教育が必要と言われ、大学進学をします。しかし大学の教育についていかず、すぐに退学しています。大学に自分の学ぶべきものがなく、型にはまった教育なんて必要ないとの理由からでした。
そして、これ以後この考えは一貫していきます。自分の学びたいものを学び、人から押しつけられたことは一切しないで独自の道を拓いていったのです。しかし、さすがのジョブズも小学生時代は方向性が分からない状況に追い込まれ、犯罪に手を染める一歩手前だったそうです。そんな時、学校の先生に助けられ道を誤らなかったといいます。子どもの頃にそのような手助けを受けたことで、のちに感謝の気持ちを込めて、パソコンを学校に寄付しています。
育ての親はとても穏やかで、ジョブズにいい影響を与えていたようです。大学を中退して、自宅のガレージで5才年上のスティーブ・ウォズニアックと、たった二人で資本金1,000ドル(現在の日本円にして約130,000円)ほどの小さな会社を設立します。ウォズニアックは電子機器の天才、ジョブズはコーディネートの天才でお互いに協力しながら会社を大きくしていきます。その働き方は尋常ではなく、今の日本の労働基準監督署の労働条件でいうと常に違反していたと思います。私も若い頃は一日16時間労働で、一年の休みが10日もなく働いたものです。それが私たちの青春の10年だったのです。
ジョブズは、コンピュータ業界の先行に目を向け、その方向に進んでいくのです。コンピュータが海のものとも山のものともわからないまま、ジョブズ一流の感によって突き進んでいくわけです。その時の言葉に「コンピュータが感動を生むのではない、コンピュータで感動を起こすのだ」とあります。私も実にその通りだと思います。物が感動を起こすのではなく、その行為が感動を起こすのです。
そして、無から有を生じていく過程で、自分一人の力ではなく色々なスタッフを集め、その能力を高めるのです。スタッフの能力を高める才能は天才的です。様々な人々とのかかわりの中で商品を提供していき、全く世の中になかったような商品を次々と提供していきます。そこには、金儲けだけでなく、世の為になるという根本的な哲学を持ち続け、一切ぶれずに商品を提供し続けるのです。
それは日本の曹洞宗の僧侶、乙川弘文氏の禅による心の大切さの影響を大きく受けているらしいのです。次々と様々な商品や作品、マッキントッシュ、iPad、iTunes、ファインディングニモ、iPhoneなどを提供し、56才の生涯を閉じるのです。
実に短い生涯の中で、世界に影響を与え、人生とは何か?生きるとは何か?死とは何か?を常につきつめて生き続けた人生です。我々にとって、人生をどう生きるか、死をどう迎えるかは大きな問いですが、一つの示唆をされています。また、物を作り出す、お金儲けをするということに、常に囚われる場合もありますが、人生の選択肢の一つも提示してくれました。
今、私はiPhoneを使っていますが、手のひらサイズで小さく薄く、キーボードなく入力し、機能は無限にあり、動作も早く素晴らしく便利です。皆さんもスマホを使って感動を呼び起こしていると思います。
ジョブズは56年の生涯で、人の無知と保守性、そして人の能力を見分け教育することで、この世に存在しない商品を作り出したのです。「できるわけが無い」で大幅に改悪され、「つくれやしない」でまた大幅に改悪。これが自らの敗北をわざわざ招き寄せるとも言っています。
人の能力を見分ける力、良い人、良い物を見分ける特別に優れた能力をジョブズは保有していました。その人間性で凄まじい人生を駆け抜けたのです。少しでも見習えたらと思う次第です。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2023.2.28 | 16:50
蘇我馬子と現代世相
日本の古代6世紀から7世紀頃の一族で、朝鮮の方から日本へ移り住んだ一族に蘇我一族がいます。ちょうど聖徳太子と同時期に蘇我馬子(ソガノウマコ)という人物がいます。聖徳太子の伯父にあたり、古代日本を支配した大貴族で、自分と同じ一族出身の天皇を殺した人と言われ、すごい逆臣であったとも言われています。
聖徳太子といえば、「一に曰く和を以って貴しと成す」という日本の基本的な哲学の基となる十七条の憲法を自ら定め、実際に政治を行った人物です。どうも馬子は、聖徳太子と随分衝突したのではないかと思われ、馬子と推古天皇と聖徳太子の三つ巴で政治を行ったようなのです。
この中で実にわかり易いのが蘇我馬子で、自分の一族の保身を第一に考えて行動していたようです。推古天皇はその馬子にうまく乗っかっているような印象を受けます。この中で聖徳太子は日本の哲学を独自に推し進めようとしているのです。この三人の温度差は、その後に如実に現れていきます。
まず聖徳太子の一族は、蘇我馬子の孫の蘇我入鹿(ソガノイルカ)に滅亡させられています。聖徳太子自身も、その末路は実に不自然です。今古代に遡ることは出来ませんが、どうも馬子に殺されているような雰囲気があるのです。そのうえ蘇我一族は、後の天智天皇に族滅させられています。入鹿が聖徳太子の一族を族滅させた時、入鹿の父がこれで我が一族も滅びるであろうと予想しているのです。その予想通り蘇我一族も族滅させられています。
蘇我馬子は自分の一族をいかに繁栄させるかを考え、あらゆる対策をしていたことが目立ちますが、結果的に一族は滅びてしまいます。蘇我氏は天皇家と見まがう程の権力を奮っており、大化の改新は、ほとんど蘇我入鹿の政策を踏襲しているのではないかと言われています。
その政策は尋常ではなかったように伝わっています。一族を残そうとした蘇我氏が滅び、日本の哲学を推進した「和を以って貴しと成す」が残ったのです。
今、世界は軍事力優先で、軍事力で物事が解決できると考えられています。ロシア連邦が、2022年2月24日にウクライナへの軍事侵攻を開始しました。ロシアのプーチン大統領が、6、7世紀の聖徳太子の考えにも及ばないというのは、人というのはいつまでも進歩しないものだなぁと思います。科学技術は発展していますが、考え方というのは変わらないのです。
また、聖徳太子が古代の1,400年前よりこの哲学を日本に広めたことは、大変素晴らしいことです。蘇我馬子の自分の一族第一主義という考え方は、難しいものと思われます。それを歴史が証明しています。軍事力で解決しても何も残らないのかもしれません。
実利を求めた馬子より、空利を追求した聖徳太子の方が後世に影響を及ぼしているのは、皮肉としか言いようがないのではないでしょうか。子孫には財産よりも筋力を残す努力こそ求められるのもかもしれません。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2023.1.24 | 15:20