サンサンコーナー
吾れ唯足るを知る
今年で私は齢66歳を数えます。
すごい歳になってきたものだと思います。
今までは不動産業界の中でも若手であると常に思ってきたのですが、周りを見回しますと私が一番年長の仲間になっている事にハッと気づかされます。 そういえば、幼年の頃には66歳ぐらいの人を見るとなんと年寄りだなあと思ったものです。私自身は若い若いと思っているのですが、周囲の見る目は明らかに違ってきているのが最近とみに感じられます。
神は、富める者も貧しき者も、知識人も知無き者にも、あらゆる人々に平等に加齢し、死を与えています。死は私たちにとっては逃れられない業なのです。死は人生を要領よく送っている人にも、一生懸命送っている人にも、怠惰に送っている人にも、平等にやってくる業なのです。
そう考えると、私たちの一生というものは一体何なのだろうという事を真剣に考えたくなります。自分の一生をストーリーとして考えてみるのも又一興かと思います。
金儲けに一生をかけるのも良し、子供に一生をかけるのも良し、街づくりに一生をかけるのも良し、研究に一生をかけるのも良し、その他色々な物事に、人は意識する、しないにかかわらず、多かれ少なかれ、一生をかけているのです。そしてそのパワーの源は心のハングリー、ではないかと思います。
ハングリーこそがパワーの源で、人生の推進力なのではないかと思います。
今経済的、社会的にある程度成功されている方々を拝見していると、殆どの方々はハングリーの中から望みを抱き、それに向かって人の何倍も努力された結果、今の成功へと導かれたのだと思います。
でもそれがどうした、と穿った見方をすれば、成功した人も成功しない人も、人々が思うほど大した差はないのではないかと、最近つくづく思います。若い時はもっともっとと向上心を持ってやっていたのですが、今この年齢になると、ちょうど良いが一番良いのではないかと思えるのです。過ぎたるは及ばざるが如しという諺もありますが、何でも豊富にあれば良いというものではなく、ちょうどというか、少し足りないくらいの方が一番良いのではないかと、最近は年のせいかそう思います。
昔、と言ってもそう昔ではありませんが、ある政党の標語に「もっともっと」というものがありました。自分の分を忘れて常に「もっともっと」と求め続けていますと、心の飢餓に襲われて地獄の様相を帯びてきます。
日本は、地震には見舞われましたが、世界でも稀にみるとても恵まれた国だと思います。
しかし、今の日本人はどうなのでしょう。「もっともっと」という飢餓地獄に陥り、政府に対して、他に対して、求め続けているように感ずるのは私だけでしょうか?
私たちは今世界を見つめ、分を知り、足るを知って行動することが求められているのではないでしょうか!!
今は物が足りないのではなく、物はあり余っているのに、心が足るを知らないばかりに、心が貧しくなってきているのではないでしょうか?武士は喰わねど高楊枝と江戸時代の浪人は言っていましたが、今の日本人に求められるのは、まさに足るを知り、本当の心の充足こそが必要なのではとつくづく感ずる今日この頃です。
調亮
2012.1.31 | 18:29