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小松らしさとは

 小松らしさとは何かということで述べてきました。今回、小松人とは何か?ということについて私見を述べてみたいと思います。
 小松は南北に長く、八号線・JR北陸線に沿って伸びています。昔は粟津とは離れていたのですが、今はもうくっついてしまっているようです。そこに11万人弱の人々が暮らしています。繊維、鉄工を主としてそれに付随した商業が栄えています。
 繊維は京都との取引において都の風を習ってかどうか、お茶・お花等の芸事が盛んで、それに伴ったお菓子・日本料理・器である九谷等が盛んです。その上市民全体が裕福であると思います。住居も土地の広さは60坪以上の広さが当たり前ですし、建物も3LDK以上を求める贅沢さがそれを証明しているのではないかと思います。
 その為、味にうるさい人がとても多く、全国チェーンの食べ物屋が来てもあまり長続きしない傾向にありました。最近はそんなこともなくなって来ているかも知れません。その上最初はどっと押しかけ、押すな押すなの大盛況になるのですが、飽きてくると一気に行かなくなる。物珍しいものに興味を持つ反面飽きっぽい性格を持っています。これは政治の面にもよく表れ、首長が度々交替していますし政策面においても一貫性が失われる要因ともなっているかも知れません。
 人情味は豊かで、自宅でとれた野菜を毎日近所に配り歩くぐらいです。このような情の厚さがある反面、伸びようとする人の足引っ張るというか邪魔をするという、いけずな面もあります。それが飛び抜けて伸びてしまえば、今度は応援に変わる人の良さをも持っているのですが…?
 また、親方になりたがる性格が強いのか、良く言えば独立心が強いのかいろいろな小さな組織があり、ボランティア活動ひとつ取っても、あるわあるわもういっぱいです。これも統一性をもって組織立てればもっと効率よく効果を出せるのに、と思うのは私だけではないでしょう。でもその多彩さが小松の活力であったのかもしれません。最近は全国どこでもそうらしいのですが、そんな活動家達が減ってきていることが小松の活力を削ぐ、日本の活力を削ぐ大きな原因なのかも知れません。
 小松の都市計画は昭和50年頃に制定されました。これは都市計画と呼べるほどのレベルのものではないのですが、この都市計画に、新し物好きの市民が跳びつきこれをひたすら守ってきているのです。法律に対する従順さというか無知さ故に、町を破壊し市民のやる気を失わせ、外部からの移住を疎外していることに気づかないでこの都市計画を守り続けているのです。
 全体を見渡す眼を持たなくてミクロなところにばかり眼がいく市民性、全体のグランドデザインを描くことの下手さがというより、全く持ち合わせていないことの弊害が、今如実に現れてきているのではないかと思います。
 辛口の話になってこれからが佳境となってきたのですが、後は次回に譲りたいと思います。

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