サンサンコーナー
いい物を見分ける力
昨年私の事務所の前の道路が改修され大変重宝をしております。半年以上の長きに渡って掘ったり埋めたりの工事期間があったのですが、仕上がりが実によくて非常に使い勝手が良く喜んでいます。
しかし今その道路に隣接した道路の改修を芦城公園の改修と合わせてやっているのですが、その道路には歩道の縁石ブロックが設置されているのです。私の事務所の前には一切縁石ブロックは無く、スッキリして非常に使い勝手が良いのですが、その道路にはグロテスクな縁石ブロックが施工され、各戸の入口は切り下げられ、デコボコしています。
この差は何なのかと言うと、私の事務所の前の道路は道幅が狭く、縁石ブロックをする基準には満たないためにそれをしていなくて、今施工している市役所前は道幅が広い為に縁石ブロックをしなければならないのだということだそうです。
皆様も一度見ていただければ如実にその違いはお解りだと思います。しかもその縁石ブロックをする事に地元の住民は私の知る限りにおいて誰一人賛同し、喜んではいないのです。にもかかわらずそれをしていくという不思議、つまり実際にそれを利用する人の思いとは別のところで施策がなされていくという事は今に始まった事では無く、これ迄もずっと続いてきた事なのです。そしてこれからもたぶん続いていくのでしょう。
私がここで言いたいのは、この市役所前の道路は八号線とか空港軽海線等のように幹線道路とは違って生活道路なのだという事です。
その生活道路をあのように厳密に車道と歩道に分ける必要があるのでしょうか。私は無いと思います。おそらくほとんどの市民はそう思っているのではないかと思います。逆に分ける事によって交通事故の可能性が高くなるのではないかと案じられます。
そうしますとこの縁石ブロックは一体何なのだろうと思います。誰も喜ばず、危険が増すとしたらこれは一体何だろうと思います。これは道路行政のマニュアルによって成されているに過ぎず、誰一人責任をとらず、市民が使いにくい道路が莫大な資金を使って出来上がっていくのです。
これはやはり小松市民のいい物を見分ける力、行政のいい物を見分ける力のレベルの低さにつながるのではないかと思います。
皆様、一度私の事務所の前の通りと今工事中の市役所前の通りを比較して、何が良い物か何が良くないかを比較して見るのも一興ではないかと思います。
一興というより、私は街づくりには一番この感覚こそが必要で、そして市民が行政に対してそれを発信して行く事こそが真の街づくりではないかと思います。やはり歩道の概念を市民で考え、作る必要があると思います。
真にいい物を見つけ、それを評価し、蓄積していってこそ住み良い町小松、元気の出る街小松ができていくのではないでしょうか…?
調亮
2009.12.1 | 11:46