サンサンコーナー
本物を見分ける力
前号はいい物を見分ける力のお話をいたしました。大変多数の方のご意見やご賛同を賜り誠に有難うございました。あらためて多くの方々にこのサンサンコーナーをお読み戴き感謝するとともに、小松市を何とか良くしようと思っておいでの方のいかに多いかを知り大変心強く感じました。この思いを一つの方向に向けられれば大変な力になるのではと思います。
さて今回は、本物を見分ける力です。この本物を見分ける力は、とても難しいのです。何故ならその見分ける本人の力量が問われるからです。私は世間の評判というものをあまり気にしませんし、あてにしません。
何故なら世間の評判程あてにならない物は無いからです。それはその評判が、ある人の故意(悪意)によるものであるかもしれませんし、又その人のレベル(力量)で判断されているかも知れないからです。レベルの低い人から高い人を見た場合は、よく見えなかったり勘違いが多くなったりするからです。又、高い人から低い人を見るとよく見えるからです。だからその評判が、著しい時は全く反対の評価で、それが世間の評判となっている場合が多いからです。つまり世間の評判の悪い人の中にも、とてもすばらしい人がいる場合があるということです。
アインシュタインの子供の頃や司馬遼太郎の子供の頃の評判は、全くの落ちこぼれで、登校拒否、学校の先生からは全くダメの烙印を押されていたようです。しかしアインシュタインは、相対性理論を確立し、司馬さんは、皆さん小説を読んでよく御存知の如くです。
問題はここでダメを押した学校の先生の方です。彼らはアインシュタイン、司馬さんの能力があまりにも優れていて、彼らの常識からはみ出ていたばかりにダメの烙印を押してしまったのです。彼らは将来に良い師に出会ってその才能を開花させる訳ですが、このような事は世間では多々あることです。そしてその評価で、あたら素晴らしい才能の芽を摘んでしまったり、逆に才能が無いのに過信してしまって、社会の害毒となってしまうという事になったりするわけです。
そこで私達市民が、本物を見分ける力、いい物は良い、悪い物は悪いと見分ける力を身につけなければ社会は良くならないと思います。その為には常に世界に目を向けて広い視野を持ち、科学的な根拠に眼を配り、経済の論理に心を配り、自分の人生観を持って社会の為にどう貢献するかという事を常に考えて行動していかねばなりません。そうしないで本物を見分ける力というものを身に付ける事はとても難しいと言わねばなりません。
歩道の作り方一つをとっても、前回は比較するものがあったから理解しやすかったと思いますが議論としては、いやあれはあれで良いのだとか、いや縁石は無いほうがいいとか、色々ありました。しかし、マニュアルでこうなっていますからという議論はピントがずれているように思いました。何故ならマニュアルは市民がより安全で、より生活し易くあるべきというものであるはずなのに、以前に決めてしまったからその通りやるというのは、本物を見分ける力がどうしても欠けているように思えてなりません。
私達小松市民の街は、私達小松市民のレベルのものしかできないのです・・・?
調亮
2009.12.1 | 11:46