サンサンコーナー
自分の物であって自分の物でない
人間60余年も生きてくると行動も物事に対する反応も考え方も変わってくるものです。60年の間、医者要らずで病院に行った事もなかったのに、60歳になった途端に入院手術を経験し、世の中の物事に対する考え方が随分と変わったように思います。良く言えば悟りの境地に近づいたと言えるのかも知れませんし、別の見方をすれば欲がなくなったのかも知れません。
最近つくづく感ずることは、今まで自分の物だと思っていた事が殆ど、否全部自分のものではなく、ただ預かっているだけ、命さえただ預かっているだけ、本当に生かされているだけなのだと言うことです。
今の世の中は欲望が渦巻いていて、どこかの政党の標語ではありませんが『もっと!もっと!』と全てが叫んでいるようです。景気が悪いから政府よ良くしてくれ、温暖化で環境が悪くなっているのに経済成長がどうのこうのと喧しい限りです。
今日本人の生活は物質的には昔の王族、貴族、殿様以上の生活を謳歌していると言っても過言ではありません。その上まだ『もっと!もっと!』と言っているのです。これでいいのでしょうか?
私はよく聞きます「あっちへ持っていくことはできんのやから」と。これは欲をしてもしょうがないということなのだと思うのですが、言葉と裏腹な行動をとっているように思います。
でも先程言いましたように、それは自分の物なのでしょうか、私は自分の手足、臓器、脳みそのような、体の一部すら、自分のものではないと思うのです。自分の意思で動いているように思っていますが、実は違ってまったく自分の意思とは違う意思が働いているように感じてならないのです。これは英語で言うところのSomething greatの大きな意思が働いているとしか思えません。
物を食べると食道を通って胃に入り、小腸、大腸を経て体外に排出されます。途中胃からは胃液、膵臓からすい液インスリン、肝臓から胆汁を出しその他いろいろの行程があって食物を消化吸収し易く分解していく訳です。これは普段何気なく行われているので、なんとなく自分がしているように錯覚しているのです。だから胃も腸も肝臓もその他のorgan(器官)も全て、自分のもので自分の意思によって動いていると思っているのです。でもそれは違っているのだという事が病気になると分かるのです。ガンはその働きを止めるのです。何故止めるのか分かりませんが止めるのです。それによって生命が奪われたり、機能が失われたりと、もう大変です。
この事は病気をすることによって気付かされるのです。そうしますと病気も悪くないな、と思ったりします。
という事で、我々はSomething greatの意思で生かされ動かされているとしか思えないのです。そうみると我々の「もっと!もっと!」の活動は何の意味を持って来るのでしょう。
幸せとは一体何なのでしょう。
人生とは一体何なのでしょう。
ゆっくりと時間をつくって考えて見るのも一興かもしれませんね。
調亮
2009.12.1 | 11:53