サンサンコーナー
リスクとヘッジpartⅧ 競争の原理
日本の経済は戦後、競争の原理によって目覚ましく発展してきました。教育も競争の原理の導入により、100点満点の何点取ったから優秀である、という事で評価され東大を筆頭にランク付けされ、その大学の出身者は生涯にわたり優秀であると評価されます。ランクトップに位置づけられる東大出身者は、官僚になり政治家へと転身し、その次のランクの人は一流企業へ、その次の人はその次のランクの企業へ、そして下の方のランクの人は中小零細企業へと行き、日本国の経済の基礎を支えてきました。そしてこの競争の原理は今も脈々と引き継がれ、これからも続いていくでしょう。世界的に見てもこの競争の原理に各国が巻き込まれています。そして低開発国も遅ればせながらこの競争の原理に参加して世界中で凄まじい競争の原理が働いています。
世界中が、地球上の全ての国がこの競争の原理で動き出しますと、我々は非常に大きな影響を被る事になります。それは環境問題です。なぜかと言いますと、競争の原理に原因があるのです。その競争の原理は他よりもより速く、より良く、より安価に人々が求めている物を提供しなければなりません。その為により安価に資源を購入し、より安価な人的資源を使って製作し、より安く顧客のもとへ届けなければなりません。その為にその国、その企業はより優秀な人材を低コストで使い、より合理化し、無駄遣いを無くさねばなりません。その無駄遣いが問題なのです。
例えば銅の採掘を例に取れば、今まで銅は銅鉱石を掘り出し、それを溶鉱炉で溶かし取り出していました。その時にその鉱山は掘りっ放し、排水は垂れ流しでガスは発散しっ放しという具合でした。だから山は禿山、川は猛毒で魚も住めず、下流域の農作物は汚染という具合で、尾小屋銅山の近郊である小松の人々にとっては他人事ではない状況でした。
このような方法で銅が採掘されていたのですが、そのような垂れ流し、ガスの発散のしっ放しは許されない時代になってきたのです。
今は銅の生産は一切の公害を出さないで採掘しないと、その国で許可されなくなってきています。という事はその事が全てコストにはね返ってくるという事なのです。その為に競争の原理から外れてきているのです。その結果、金・プラチナ・鋼・銅etc.の金属マテリアルの高騰につながっている訳です。こうして見てきますとマテリアルの高騰は予想された事でもあります。私も銅を100tくらい買っておけばよかった…。でも私がここで言いたいのは、そんな事ではなく、世界を覆いつくしている競争の原理が環境という問題をかかえたことにより、少しずつ変化してきているのではないか、否、変化せざるを得ない状況に置かれ始めているように思われるのです。つまり競争の原理のリスクが出始めているように思われるのです。そしてこのリスクを回避しなければ人類の滅亡につながるのではと危惧されるのです。紙面が尽きてきたので続きは次回にまわしたいと思います。
調亮
2008.9.26 | 18:51