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リスクとヘッジPartⅥ 法律が罪をつくる

 最近賞味期限の改竄、使い回し、生産地の偽り表示等が新聞、テレビを賑わせています。
 その時の経営者の記者会見を見ていますと、まず最初は私は知らなかった、あれは社員が勝手にやった事だから私の責任ではないと言い逃れ、次にどうしても逃れられないと分かった時に「誠に申し訳ありませんでした」と平謝りに謝る。これがパターン化しているように思います。
 どうして同じような賞味期限の改竄等が行われるのか、私には理解できなかったのですが、最近ちょっと気付いた事があります。それは、その賞味期限の改竄によって誰も被害を受けていないという事です。その事によって、身体の調子が悪くなったとか、お腹が痛くなったとかの被害が殆んど無いということなのです。
 という事は、賞味期限というのは一体どういうものなのか、どういう基準で決められているのだろうか、又それは現実の世の中に合っているのだろうか?と、大きな疑問が湧いてきます。
 そしてその経営者は、実際にはまだまだ使えるという事が分かっているばっかりに、改竄、使い回しを日常的にやってきて、そして他社がマスコミで取り上げられるのを見ても「他山の石」とする事もできずに、ズルズルと暴露されるまで続けてきているのではないかと思います。
 では現状と合っていない賞味期限を法律で決めるという事は一体どういう事なのでしょう。自然界では人智の及ばない事がいっぱいあります。例えば物が腐るという事はとても素晴しい事です。日本の食文化も腐りにあると言っても過言ではない程で、漬物・お酒・納豆・味噌等々いろいろです。それは適度に腐らせ、適当な頃合いで食べるという食文化なのです。その腐りは保存状態によっても随分違い、風通しの良い冷たいところは腐りにくいし、暑くて湿気のある所はより腐り易いのです。だから同じ食べ物でも保存によって随分差が出てくるのです。
 それを一律に法律で規定しようとすると法律の施行者の立場に立てば、より安全な、よりリスクの少ない方を選択するのは当たり前のことです。だから絶対大丈夫な食べ物を期限切れでどんどん捨ててごみの山を築いている訳です。 それを勿体ないと思って使った人が罪になり、ごみの山を築いた人が正直な人になる訳です。でももうしばらくすると、ごみの山を築いた人が罪になり、勿体ないと使った人が正直者と言われる時代が来るかも?しれませんね。
 私は賞味期限は無くても生産日のみを表示し、何日で終わるというような期限はつけない方がより現実に見合っているように思います。これからの時代は食糧不足の時代に突入です。そんな時にまだ食べられる物を捨てるなんて・・・。悪法も法です。でも売る為には何でも有りという考え方はどうも経営者の資質の問題かもしれません。まして産地の誤魔化しなんて愚の骨頂です。
 法律は社会を運営する為に是非必要です。でも社会に馴染まない法律、時代に合わなくなった法律は常に改正していかなくては社会が澱んでしまいます。タイムリーな法、制定、改正こそが求められます。これは国民のレベルによって大きく左右されるのかもしれません。そして住みにくくなるか、住みやすくなるかはそれにかかっているのかもしれません。

調亮

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