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リスクとヘッジ partⅢ

最近塩野七生著の「ローマ人の物語」を読んでいます。全15巻の長編ですが、とても読み応えがありおもしろいです。私は最初塩野七生さんをナナオさんで男だと思っていました。何故なら、女性にしては珍しい程歴史観にあふれ、分析力が鋭く、とても女性とは思えなかったのです。女性はどちらかというと直感力にすぐれ、情緒的になってしまうというので私の偏見であるかもしれませんが…。
 そのローマが千年の長きにわたって地中海を内海とする程の広大な領地を治めてこられたのは何故か?という疑問が私の中学時代からの疑問であったからです。この「ローマ人の物語」を読んで永年の謎は氷解しました。
 それは一言で言えば危機と管理のシステムができていた事、そしてそのシステムは陳腐化していくので常にメンテナンスすべきものであるととらえ、地道にそれを繰り返してきたところに大きな原因があることが解ったのです。まず政治システムは最初は王政、次に共和制、それから帝政へと移行しています。
 今の日本の民主主義的思考から言えば、何故王政から共和制に移り、共和制からどうして帝政に移ったのだろうかと疑問に思われるでしょう。元老院と市民集会から成っていた共和制は、今の日本の民主主義にとても似ているように思えます。このシステムがどうして帝政になったのでしょう、いや成らざるを得なかったのでしょう。
 それは広大になった領土の統括システムが共和制では、時間がかかり過ぎて実態にそぐわなくなってきたからでした。一例を上げれば、ライン河沿いのガリアのゴート族が侵入してきた時に、それに対応して将軍を決め、軍団を編成する為に元老院会議、市民会議を開き決議するではあまりにも時間がかかり過ぎ対応ができないからです。又極端な話、今の日銀総裁のように決まらない場合もありうる訳で、その間にガリアのゴート族はどんどんローマの国を荒らし回り、街々を破壊しつくして、住民は老いた者は皆殺しにされ若い者は奴隷としてガリアへ連れて行かれ、街という街は破壊されつくしてしまう状況であったからです。
 共和制のシステムのままではローマは滅びてしまう、とローマ市民は帝政というシステムにメンテナンスをした訳です。
 今の日本の状況は、執行部は人事も行えない。経済が米のサブプライムローンに端を発し大変な危機的状況にあるにも関わらず、(アメリカは次の手を打っているのに)日本は何の手も打てず議論だけというか、本格的な議論らしい議論もせずに徒に時のみを浪費しているという状況です。この状況は、ローマの蛮族の侵入という大変理解し易い状況とは違って、人々の目にはすぐに理解しにくく徐々に徐々にカウンターブローのように影響を与えて来るから始末が悪いのです。今の日本の政治は戦後の日本の生き方としては成功してきたと思いますがこれからの日本の進路の舵をとっていくにはあまりにも時代にあっていないのではないかと思われます。
 そういう意味で私達日本人は、真剣にメンテナンスを考える時期に来ているように思います。シーザーも言っています。「どれ程悪い事例とされている事でも、そもそもの動機は善意によるものであった」と。
 どのような物事も最初は善意によって成されたのであり、最初から悪意を持って成されたものなど無いと。
 そうなのです。今の日本のシステムも最初は良いと思って成されたのであり、そのシステムが時代に合わなくなってきたのであり、そのメンテナンスこそがリスクとヘッジなのです

調亮

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