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リスクとヘッジ PartⅣ

 日本では、戦争が終り62年が経過しました。
 私達は62年の間も平和を享受してきた訳です。61歳の私にとって、とても素晴しい事であると同時にとても恵まれ幸せな事であったと思います。
 しかしこの62年という長期間の平和に慣れ親しんできた結果、この平和というものが当たり前、当然の状態であるという意識が頭をもたげ始めているように思われます。その傾向は私達より年下の人達、私達の子供世代により強く感じられます。その結果、平和というものは守るべきものではなく当たり前にあるものと勘違いし、いろいろ弊害が出てきているように思います。
 弊害の第一は自分の身を自分で守らなくなってしまうのではないか、危険に対してそれを避ける感性、いわゆる動物的勘がどんどん鈍くなり、喪失してしまうのではないかと思います。さらに自分で身を守る防御のことを必要ないと考え、防御しなくなるような気がします。だから最近の変質的な殺人事件をみても、実に脆く殺されているように思います。又殺人を犯す側も、殺人とはどういう事でどんな影響があり、そのあと自分はどういう状態になるかという事を深く考えないで犯しているように思います。
 弊害の第二としては、何もする事がない無気力人間を生み出しているのではないかということです。人は食えない時には食う為に働きますが、食えるようになると働く目的を失い、何の為に働いているのか解らなくなる。人生は何の為にあるのかという人生最大の悩みが大きくのしかかり、憂鬱に陥り心が病んでしまう人も出てきます。危険がいっぱいあり、生き延びる事が困難な時には考えもしなかった事が平和な時にそれが出てくるという事はどういう事なのでしょう。平和というものはそういうリスクを含んでいるのでしょうか?平和は与えられるものではなくて、作り守り続けていかなければならないものなのでしょうか?全ての人間が平和を望んでいるわけではなくて騒乱を好む(?)目指す(?)人間もいるのでしょうか?
 今日本人は戦後62年という長いというか短いというか、この年月に平和ボケしてしまって、世の中には良い人、平和を望む人しかいないと思い始めているのではないかと思えます。でも人類の歴史の中で何千年と平和を維持してきた国は無く、せいぜいが200年~300年が最長です。あとは殆んどが争いの歴史の繰り返しで、その点において徳川時代というのは日本の歴史の中で特殊な時代であったのかもしれません。しかしこの徳川時代でさえ、自分の国は自分で守ってきていたのです。
 今の日本人は、他人に自分の国を守ってもらう、変人からは警察に守ってもらう自力救済を禁じられた国なのです。この国が今、変人による無機質な無差別犯罪に侵され、薄気味悪く感じながらもどうする事もできないでいるのです。
 私は今、このリスクをヘッジする考え、国民が考える素養を持つ事、教育問題を真剣に考える時が来ているのではないかと思います。平和がリスクを生み出すなんて考えもしなかったのにリスクを生み出している。この現実を見ると、何をするにもリスクがあり、そのリスクを如何に最小限に留め、効果を最大に出すか真剣に考える時期に来ていると思います。何も行動しなければリスクは無いと思っていましたが、何もしない事が最大のリスクを被る時代になってきたのかもしれません。世の中にリスクの無い事なんてないのかもしれません・・・?

調亮

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