サンサンコーナー
都市計画
ニッチ(小規模)に生きるべき?
昔私達の町には八百屋が4軒、魚屋が2軒、散髪屋・建具や・板金やがそれぞれ1軒ずつ、その他家業と呼ばれる零細な企業が目白押しでした。でも現在これらの家業・企業はどこへ行ったのでしょう。もうわが町には八百屋が2軒、散髪屋・畳や・電気店・酒屋が1軒。魚屋・建具や板金や等一切無しで、すっかりサラリーマンの町になっています。なぜこれらの家業が生き残っていないのでしょうか?そしてこれらが無くなる事によって、そこに住む住人は不便ではないのでしょうか?
昔の我が家の玄関戸は木製で近所の建具やさん製でしたし、外壁は近所の板金やさんでトタン張り、家は近所の大工さんでした。そしてその修繕は殆ど近所付き合いの中でできたものでした。
でも今はどうでしょう。外のホームセンターへ行って材料を揃えて、出張料時間いくらという具合で日程の都合もつけて、やっと出来上がるという具合です。全く不便そのものです。
私達は街づくりにおいても常に便利さを求めてきました。その便利さを求め続けた結果が、この不便な世の中になってきた訳です。
今私の町には八百屋が2軒あります。そのうちの我が家に近い1軒には私の90代の母が毎日買い物に出かけ、そこで会話を楽しみ、食事の用意をしています。自分の事は自分でやり、庭づくりを楽しみ、家の回りの草むしりや掃除もこなし、まるで健常者としての生活ができるのもこの八百屋さんのおかげと感謝しています。
今また大型店が小松にできつつあり、買い物は何でもそこで揃い安くて便利です。でもはたして、老人が買い物に行けるのでしょうか?まず、車でそこへ行かなければなりません。そこへ連れて行ってくれる足が必要です。その足は自分の足ではなく他人の足(車)です。その足のない人はどうするのでしょう。車を雇ったり(タクシー)、乗合わせて行くこともあるでしょう。そしてだだっ広い店内、迷子にならない方が不思議です。あらゆるものが老人に優しくないのです。
今や65歳以上の老人が3分の2もいるこの社会に、老人に優しくない社会を目指してどうするのでしょう。
私達は街づくりの中で効率を追い続け、効率を悪くする結果を招いているとしか思えないのです。元気な老人社会を目指すべきなのに、その老人から買い物という社会性を取り上げて、寝たきりや認知症の老人をどんどん作り出す、この社会はいったい何なのでしょう。今や定年が60歳なんてやっている時代ではないでしょう。元気な老人を引退させて病気の老人を作る政策というものは一体何なのでしょう。
私は街づくりの中心に元気に生活する老人を据えるべきだと思います。その為には家業が成り立つようなニッチ(隙間)産業こそが必要なのです。電球の取り換え、雨漏りの修繕、それらが全部近所でできる街づくり。年寄りが自分で買い物に行き、食事の用意をする。そして近所の人達と会話する、そんな地域ができれば元気な老人天国、元気な日本を作り出すことができるかもしれません。
地域は自分達の為にあるのです。住みやすい安全な楽しい会話にあふれた界隈を作ろうではありませんか。
都市研究家 調亮
2016.8.30 | 11:46