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資本財と消費財

資本財と消費財という言葉は耳慣れない言葉と思います。まず、消費財とは毎日我々が消費し、再生できる資財のことです。それに対して資本財とは、我々が消費をすると、再生できない資財のことです。例えば石油です。石油は再生できません。無限でなく有限で約50年後、石炭は約130年後に枯渇するといわれます。

しかしこの有限の資本財を、車の燃料として使い、冷暖房を使い、プラスチックを作る原料として消費しています。石油は日本ではほぼ産出できず、サウジアラビア等の中東地域に依存しています。この有限の石油はどんどん値上がりしています。過去に1リットル40円ぐらいだったのが、今では1リットル約180円となり、これからもどんどん上がり続けると思われます。OPEC(石油輸出国機構)も将来の不足を見越して生産制限し、値上げをして対応しています。その中で日本は一番弱い立場に追い込まれるでしょう。

大変な時代が遅かれ早かれやってくるのです。日本では現状の暮らしができなくなるのです。では代替エネルギーは出て来るでしょうか、なかなか難しいと思われます。代替エネルギーとして、太陽エネルギー、水素エネルギーがあります。まだ海のものとも山のものともつかないのが現況ですが、期待したいです。

さて、私たちは今の生活を続けられないとしたら、一体どんな生活をしなければならないのでしょう。それは、資本財の石油を消費しない生活、すなわち消費財を消費する生活が求められます。具体的に言うと、それは江戸時代の生活まで遡ります。油は油でも菜種油、人間が再生できる油を燃やす、暖房は炭をおこす、木を燃やす、山へ柴刈りに行って薪を拾ってきて燃やす、そんな生活こそが求められるのです。昔は、科学肥料ではなく人糞を肥料として使い売っていました。いつもお百姓さんが汲み取りにきて穀物を代金として納めていたのです。今は人糞を浄化して川へ流し、川を汚染しかねません。今更、決して戻れませんが、なんと先祖は工夫をしていたことでしょうか。

こう考えると、現代の生活は江戸時代と比較して実に無駄の多い生活ともいえます。その上、再生できない、継続するのが難しい、どこかで行き詰まる生活です。

明治以後、地球環境が汚染され、温暖化が進んでいます。私はこのままでは今の生活が続けられなくなるという不安感が心の奥底にあります。これは今の社会の底辺に漂っているようにも思えます。私たちは自信を持って生活をしていけるのか疑問です。

今迄の人間の生活は大量生産、大量消費が当たり前でした。このスケールで経済優先の社会が未来もやっていけるのか、人間が人間らしく生活出来るか。今の教育で、消費で、所得で継続できるのか?

教育は大量生産に合った教育で、人間性を全く無視し、自分で考える、自分で思索することに慣れていないスポイルされた人間を多く育てたのかもしれません。人間らしく生きていく為には、いかに仕事をするのか、生きがいを持って生きられるのかが重要であり、社会のシステムを根本的に変えていく必要があるのでしょう。今迄良かったことがまるで正反対の悪いことになるように、全く違う考え方が求められるのではないでしょうか。どんな社会を目指すべきか常に求め続けるべきだと思います。それは自然の摂理に従い循環型の社会、すなわちサステナブル(持続可能な)社会を目指すべきです。資本財の消費ではなく消費財の消費、循環型、社会の仕組みこそが我々が今考えるべきことなのでしょう。また、各国で起きている愚かな紛争はいち早くやめるべきです。

ラブ小松

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

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