サンサンコーナー
都市計画に求められるものNo.3
前回、小松の四年制大学についてお話しましたが、あまりの反響のすごさに驚いている次第です。市民の皆さんの関心の高さに恐れ入るばかりです。私の意見に賛同して下さる人が殆どでしたが、中には少し言い過ぎではないか?もっと内容を調べて言うべきではないかとアドバイスをくれた友人もいました。なるほど私は殆ど小松の大学の実態を調べもせず、ただこの時期の大学新設、小松市という公共が大学を経営するという事に対して一般的な危惧を申し述べたつもりでした。本当は具体的な内容について調べるつもりはなく今の大学経営の難しさだけ述べるつもりだったのですが、これはキッチリ市役所から情報を貰って見直す必要が生じたようなので、改めての機会にこの紙面で述べたいと思います。
いつから私達日本人はこんなにゴミを出す民族になったのだろうか?
「もったいない」という言葉は日本にだけある言葉だとも言われています。おそらく世界各地でもこれと似た言葉はたくさんあると思いますが、日本人が物を大切にする民族であったという事は間違いのない事実だと思います。
以前から日本人にはあらゆる物に神が宿っているという考え方がありました。
「山川草木国土悉皆成仏」生きとし生きる物山や川、草や木、石ころや土にまで仏性が宿り、八百万の神がそれぞれ持ち場を持って守っているという事になれば、あだやおろそかには物を扱えませんよね!!
神や仏が宿っているのだから、物を大切に大事に使う。又それをゴミにしないで使い回し、再生し、使い尽くすという事が成された為に、殆どゴミになるものが無く、糞尿すら価値ある物として江戸近郊で取り引きされ、し尿と農作物とが交換されたものです。私達の子供の頃にも、小松弁で「かんしょ」と言いますか、その糞尿を溜めておき少し古くさせて、アクを抜いてから、畑等に施肥したものでした。今ではその糞尿は、飲料水としても使える水道水と共に下水道に流し、浄化してから海へと放出していますが、海の汚染の一因となっているのではないでしょうか。
又、建築物は最大の産業廃棄物で、今では家を壊す時は産業廃棄物として選別し処理しなければなりません。一昔前迄は移築できる物は殆ど移築し古材として使い、使えない材木は薪として使い、各家庭で燃料としてゴミになるものが無いという状況でした。それが今ではどうでしょう。家を壊すと殆どがゴミの山です。 ごみの山は谷を埋め尽くし、海を埋め立てて島を造るという具合になっています。埋める場所が無くなったらいったいどうするつもりなのでしょう。
燃やすゴミも又問題です。まず燃やすこと自体も問題なのですが、燃やすことによってダイオキシンを発生させ、大気を汚染しているのです。今や世の中汚染だらけ、二酸化炭素の増加により温暖化が進み、異常気象の集中豪雨、台風の異常発生、台地の砂漠化その他いろいろな悪影響が出始めています。これは世界中が消費社会へと突入し、車による油の消費を筆頭にあらゆる物の使い捨てが世界中にゴミの山を築かせています。
今私達現代人は賢くなったのでしょうか?科学が発展して教育を受けて昔の人より賢くなったのでしょうか?私は全然賢くなっていない、逆に退化していると言っても過言ではないと思います。
私は世界のこの風潮から地球を救うのは、昔日本人の持っていた「もったいない」山川草木国土悉皆成仏の考え方しか無いのではないかと思っています。
今私達日本人は贅沢な生活をし、時代を謳歌していますが、いつまでこのような時代が続くと思いますか?もう殆ど尽きかけている事に誰も気付かず、気楽な生活を送っています。私達はこれから原点に戻って「もったいない」生活をすべきだと思います。そんな日常に戻すよう精いっぱい努力して世界の範となるべきだと思います。地球市民を育てる事こそがこれからの課題です。
調 亮
2016.12.3 | 10:27