サンサンコーナー
民主政体について
今、世界では民主主義による政体が最も優れたものという事で、ほとんどの国で行われています。また民主体制でない国でも理想とし目指しているのが現状です。
民意による選挙は地方の首長選では1票でも相手を上回れば勝ち、国では上から順に得票の多い方が当選となり、投票率がどんなに低くても、極端な話50%を大きく割り込む投票率でもその選挙は有効となります。投票率30%台で民意を反映しているのかとなると疑問符をつけざるを得ません。
この民主政体はBC5世紀にアテネで始まったと言われています。その時頃のアテネの人口は5~6万人といわれ直接投票でした。
この頃の民主主義による政体は意見が色々と分かれ、その考え方の元、いくつかの派閥に分かれているのは、今の国会と同じ状態が生じているのです。既に2500年前に同じ状態が生じていたのです。
という事は、議会制民主主義であろうと、直接民主主義であろうと意見の違い、考え方の違い、哲学の違いを議論によりすり合わせるという事は、今の国会を見ていると至難の業であると思わざるを得ません。もっともっと民意というものが円熟してこなければ本当の議論を深めることはできないと思います。
これは民主主義発生の地ギリシャのアテネにおいてBC450年頃から同じ悩みがあったらしく、人間の性は古代より変わらないものだなとつくづく感じます。
あまり人数が多くなって各人の意見が出だすと、自分の意見に固執し、収集がつかなくなり、大衆の意見に迎合してしまい、結果的に衆愚政治に堕してしまうという結果になっているようです。
今、世界各国を見廻しても過半数以上の議席を確保している政権はほとんどなく、中国等の共産国家か独裁国家が一党独裁している以外はほとんど連立をしていかないと政治ができないという状況で、その状況は増々強まっているように思われます。
それは何故か?それは人は個人個人、一人一人の意見が一つの事に対しても全く違うことが多いからです。まず育った環境によって違うし、その人の利害によっても違う、また、この利害の違いは曲者で、相手の意見には賛成だが、利害が相反するという事になると全く反対になってしまう。例えば、行政改革の1つで議員の削減を取り上げても、まずほとんどの議員が反対し、国民の90%以上の人が議員はあんなにたくさん必要ないと思っているにもかかわらず、削減できないという現実があるわけです。
行政改革という改革には常に利害が絡んでくるわけです。この利害は意見の対立を生み、これに民主政体が絡み、複雑になっているわけです。
先日、実に解り易い選挙というか、国民投票がある国で行われました。それはEU継続か、離脱かという国民投票でした。結局EU離脱派が勝利したわけですが、国民投票のわずか数%、離脱派が上回ったからといって半数に近い人々が継続を希望しているのに、その政策はドラスティックに変更されています。
この政策論争も、国民投票に頼るというやり方自体にも、私は民主主義の限界というか行き詰まりを感じますが、この問題はまたの機会に述べることにし、民主主義の本論に入っていくことにします。次号に続く。
都市研究家・不動産遊民
調 亮
2017.9.28 | 14:44