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サンサンコーナー

憧れのインド Part2

 翌日はデリー見学です。街は人、人で溢れ返っています。車あり、露天あり、牛あり、羊あり、何でもありで道路はごった返しています。あたりは車のクラクションがけたたましく鳴り響いています。交通ルールは『追い越す時にはクラクションを』という事で各車ともけたたましくクラクションを鳴らすのです。車は我れ先にと慌ただしく行くので、道路上のうるさい事この上なく、その上路上は込み合って大変です。交通マナーは大丈夫かいな、こんな所で運転はしたくないな、というのは我々同行者の偽らざる心境でした。
 広いインドでの移動中にちょっとした交通渋滞に巻き込まれました。それは大型バスと大型トラックが交差点で交差し切れなくて立ち往生、2㌔程の渋滞になってしまいました。日本人だと前の車が進むのを待っているのですが、インドの人達は待ち切れません。次から次へと隙間を目がけて入って行き、挙句の果てに対向車線にまでギッシリと車が埋まり、全く身動きできないくらいになってしまうのです。直接の原因であるバスとトラックの交差がうまくできても、対向車線に車がギッシリ入り込んでいる為にその渋滞がどんどん膨らんでしまい、銃を持った警察官か軍隊か?が出動してようやく渋滞が解消したのは3時間後ぐらいでした。
 私はインドの人達は賢くないなと思います。いくら少しでも前に行きたいとしても、反対車線に入り込んでいけば交通渋滞がますます増大していく事は自明の理なのに!これは日本の小学生の子供でも理解できることです。
少しでも前にという我儘さ、自分勝手さ、自分さえ良ければ他に迷惑をかけても良いという身勝手さがインドの人に充満してしまっている為に、このような渋滞が日常茶飯事に起きているだろうなと想像できます。 インド人のガイドによる「ここはインドです!」という言葉には「時間は遅れるのは当たり前ですという言外の意があるのも頷けました。
 私はこの交通渋滞を体験して、この自分さえ良ければというインドの人達の身勝手さは交通ばかりではなく、経済、政治等あらゆる日常生活に悪影響を及ぼしているのだろうと想像できます。それは弊害となって社会の風通しを悪くしているのでは、とつくづく感じます。これを正すのは教育だと思います。今日の日本で、他人を思いやる心、社会の風通しを良くしようという気持ちを持ち、社会が平穏になっているのは、有史以来特に江戸時代以降の教育が今日の日本を作っていると言っても過言ではないと思います。日本はいいなあとつくづく感じました。でも最近は…?
 私はインドで哲学が生まれ、宗教が生まれ、そのことに対して素晴らしいとインドを崇めていたのですが、その宗教が生まれ育った土壌は、人々の苛酷な生活と人々の競争といいますか揉み合いの中から生まれてきたのだなと痛感しました。インドでは宗教、哲学がどうしても必要なのだと思います。この哲学宗教で社会を構成していかねばどうにもならないのだ、というやり切れなさを感じました。これを教育によって正していくには500年以上かかるのでは?と思いました。
 次回は私の大好きなガンジーに会いに行き、ガンジーの声を聞きに行きます。

調亮

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