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サンサンコーナー

憧れのインド PartⅣ

さあいよいよ憧れの人ガンジーとの対面です。ガンジーは、英国の植民地支配に対し無抵抗主義を貫いて抵抗した人です。
どうしてインドにこのような人が生まれ出たのか、これが私の長年の疑問でした。今回ガンジー記念館で、この長年の疑問が解決するかもしれない、と淡い期待を抱いての訪問でした。
記念館は古い建物で、昔の小学校の木造校舎のようなイメージです。まず正面にガンジーが杖を持って歩く姿がドンと迫ってきます。この姿は私の書斎の本棚の上でインド象とガネーシャを従えている像と同じです。その写真の迫力は相変わらずすごいものです。
二階に上がりますとガンジーの生の声が英語とヒンズー語で聞けるようになっています。ガンジーの声はちょっとかん高くて、澄んだ知的な声で、私のイメージと一緒でした。
その記念館で、ガンジーの使っていたもの、ガンジーが作っていたもの、いろんな人々との交流の写真等を見て、感動して、売店でガンジーの英語の本を一冊求めました。私の英語の読解力では、読むのに何年かかることやら…?
でもなぜガンジーのような人がインドに育ったのか、私の疑問は解けそうにありません。
そしてガンジーのような無抵抗主義の人にさえも敵がいて、暗殺という形で世を去らなければならなかったという現実に、この世はとても複雑で、怪奇であり、絶対正しいという事などあり得ないのだという思いを強く感じました。
 この思いをつくづく感じてペナレスへ向かいました。早く行かないと混み合って、ガンジス河へ行けないというので、早朝まだ暗いうちに出発して、ガンジスの流れの中で日の出を拝みました。
異国の聖なる河でのご来光は、大気の埃のせいか弱々しい感じの太陽でした。何百年何千年、いや何万年という年月、変わらずに照っている太陽を見て、人間の小ささ、醜さを痛感させられたのは旅の感傷なのかもしれません。
その後は、手漕ぎのボートでガンジスの流れに逆らって、19才の男の子がひとりで我々全員を乗せて聖なる河の観光です。
河の中で、痩せた体にこの世でどれくらいのアカを身につけたのか、沐浴する人、その横で洗濯する人、その横には薪で火葬をする人、火葬を待つ死体らしきもの、火葬された後の灰の山。
でも薪で火葬される人は裕福な人で、貧乏な人は日本人のように重油で政府のお金で葬られるそうです。その灰は貧乏人も金持ちも皆平等にガンジスの流れの中に散骨されるようです。私は沐浴は避けて手だけを聖なる河に浸けて清めてまいりました。
 その沿岸は5階建てぐらいの建物が立ち並んでいますが、とても普通の人は買えないという事です。不動産業の本能が少し動きかけましたが、人の集まるところは不動産の価値を形成するという原理がこの聖地でも働いているようでとても面白く感じました。
 これでもうデリーへ戻って帰国です。

調亮

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