サンサンコーナー
世の中あべこべPartⅣ
たった今市会議員候補の選挙カーが、かしがましく自分の名前を連呼して通り過ぎていきます。この原稿が紙上に出る頃には決着がついています。
ここで私が思うのは、こんな自分の名前とお願いを連呼するだけの選挙をいつまでやっているのだろうという事です。外国の人から見ると、これはとても不思議な光景に見えるらしいのです。国会も、県会も、市会も、県知事も、市長も、すべての選挙が画一的で、候補者は何を主張しているのか、何を考えているのか、市をどうしたいのか、一切具体的な事が解らなくて、ただ名前だけを知らしめていく、そんな選挙運動でいいのかと思うのです。
我々が候補者の考え方や方針を知ろうとしても、殆ど意見らしい意見は述べられておらず、抽象的な心地良い言葉の羅列で何の具体性も感じられません。一般の市民がどう考え、どうして欲しいと思っているのか、そんな事を候補者が知る場所、機会というものはどこにあるのか?と思うと殆どありません。対話というか意見を交換する機会は殆どないに等しいと言っても過言ではないと言えます。
殆どの候補者決定は、地縁、血縁、知人、友人、そして同じ出身、町内という事によってなされているのが現状です。お粗末この上ないのです。この候補者は何を考え、どういう街づくりの勉強をし、この市をどう活性化させようとしているのか?政治家としての資質をどの程度持ち合わせているのか?そのような判断を下せる資料が何一つ無く、それを公開する場所もないのです。
昔は立会演説会場というものがあって、候補者が入れ代わり立ち代わり演説をしていって、優れた候補者か、内容がある候補者か、意欲を持った候補者か比較できました。今はそれすらなく、選挙民は顔を知っている、何回握手してくれた、何回訪問してくれた、町内に選挙カーが何回来た、とかのくだらない理由で候補者を選択している現状があるのです。これで選ばれたのでは、市の状況はかろうじての現状維持、これ以上良くなるなんて思うのはおこがましいことです。その上、首長の選挙で投票率が50%を切っているような選挙で当選して、市民の意志を負託しているといえるのでしょうか?投票しないのは否定の意志表示だと考えると、全く逆の考え方になるのでは?
今私達日本人は少子高齢化という未曽有の国難に向かって急速に突き進んでいます。社会構造の激変、経済の激変が今目の前に迫っているこの時期に100年一日の如き選挙で、何のアイディアもなく、何の気概もなく、未来の展望も感じられないこの選挙を繰り返す政治家、選挙民に未来はあるのでしょうか?
日本の将来は非常に危ういのではないでしょうか?
私達の子供、孫たちはこれからつらい生活に陥る可能性が非常に強いと思われます。そんな日本に、今こそ手を講じなければならないのに、今のような選挙で選んでいて良いのでしょか?ダメだと思います。良い人を選べる、そんなシステム作りこそが必要です。これからは連呼型だけの選挙をしている人には投票しないという選挙民の意志が必要です。候補者の人格、人となり、思想、見識で選べる、そんな選挙をしてほしいものです。
具体的には、小松市議の定数も有権者7,000人に対して1人という具合に自動的に増減できるシステムにし、その減った分で市議の報酬をアップし、素晴らしい人に市議になってもらいたいものです。
世の中あべこべ!こう感じる今日この頃です。
調 亮
2015.5.14 | 17:34