サンサンコーナー
フェアorアンフェア PartⅡ
今の世の中フェアかといえば、必ずしもそうではないと思います
まず、人間は神がお造りになったものですが、肉体的に見ても如実にその違いが理解できるのがオリンピックではなかったかと思います。特に陸上競技において、短距離、長距離を問わず、日本人にとっては500年かかっても追いつけない差があるのではないかと思います。この体格、体力、バネ等々といずれをとっても黒人の凄さには勝てないと思います。日本人が陸上で健闘している姿を見ると本当に感心します。でも人間は体力だけで勝負している訳ではありません。そこに知力、その知力を駆使して技術を開発し、それを訓練、鍛練することによってその体力に対抗する事ができると思います。しかし体力に恵まれた人が、同様に技術を真似して訓練、鍛練してくるとまた負ける。そしてまた新しい技術を開発し対抗する。というのが全世界の流れで はないでしょうか。そしてこれが自然の流れだと思います。
しかしこの自然の流れに棹さす考え方が、今日本の教育界、いや日本人全体大多数の考え方としてあるのではないかと思います。
それはいじめ問題に対する処し方です。
先日痛ましいいじめによる中学生の自殺がありました。これに対する社会の対応です。
まず、おぞましい、聞くに堪えないいじめの実体です。いじめられた子供はさぞや辛かった事だと思います。いじめの実態を、その子供がどのように発信したのかは詳らかに解りかねますが、その発信されたサインを親、先生、教育委員会等まわりの大人たちが気付かなかったのか、気付いて見て見ぬふりをしたのか、いずれにせよ何の対策もしなかったのです。助けてもらえない事で絶望的な気持ちになり、社会にそれを訴えて自殺してしまいました。
この事によって社会は、その放置した(と思われる)先生、教育委員会をいじめの対象にしています。何故か親は被害者の側に立って、先生、教育委員会をいじめる先頭です。さらに、公平を期すという名目で「いじめ問題を考える会」という委員の人選にまで口を出す始末です。
私は、敢えて言わせてもらえれば、このいじめの問題の一番の責任は、その子の一番身近にいる親にこそあると思っています。その一番の親が正義を行うという名目の元、大きな声で他人を追及しているのを見ると、どこかおかしいと感じてしまいます。
親が子供の悩みを聞く、相談にのるというのは当たり前で、本当に親身になって子供の発信に気をつけていたのかと思います。日頃から親子の対話、子を育てる親の立場を、家庭の環境を、作っていたのかと疑います。もちろん子供の発達段階で親を避ける時期はありますが、少なくとも親が被害者側の先頭に立って誰かを責めるというのは違うように思います。こう思うのは私だけでしょうか。そしてそれに対する社会の対応は、親を気の毒に思って、それを正義の声として大きく取り上げています。何をか況や(言わんや)です。
また、社会のそれに対する対応の仕方もおかしいと思います。それはいじめを無くしようという動きです。
冒頭にも書きましたが、神はいろいろな人を造り賜うた訳です。そこに“弱い者いじめ”は常に発生しているのです。人間の歴史自身が弱いものいじめの歴史なのです。原始時代は体力のある人が体力の弱い人を支配し(これも一種のいじめでは)、人間が多くなれば、多数民族が少数民族を支配し、今日本は国力が弱くなってきたと見られて、竹島では韓国から、尖閣では中国からいじめられ、数えあげればキリがない程のいじめが繰り返されてきているのです。
これは人間の本性ではないかと私には思える程です。この「いじめを無くする委員会」が、まことしやかに作られ、活動し続けてきていますが、未だその効果はなく、より陰湿に、またより拡大しているように思います。
これは、間違った解釈をしているからだと思います。いじめは自然界では「弱肉強食」という言葉で表現されているように、自然の摂理なのです。摂理をなくしようという無謀な事をまことしやかにやろうとしているからなのではないかと思います。
いじめは無くす事ができない。ではどうしたら良いのか。
私はいじめにはどのように対応するのが良いのか?という事を、いじめられる本人に教え、先生や教育委員会がそれを指導していく事こそが本当の教育ではないかと思うのです。
いじめられたら親に相談、友達に相談して対策を練る、いじめられたらやり返す…?強い人の力を借りる、別の分野で強くなるよう努力する、体を鍛える(例えば空手を習う)と書いてくると、あっそうや私にもいじめられた経験があったんやと、ハッと気づくでしょう。そして命を懸けるのは、自殺の方ではなく、その対策、対処に懸けるのだという事を教える事こそが本当の教育ではないかと思えるのです。
世の中は決してフェアではないと思います。
アンフェアが充満しているのです。その中で、フェアな世の中を目指す事に、命を懸けた強い心を育てる事こそが人生にとって大切な事なのです。
調亮
2012.8.28 | 12:26