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グランドデザインを描けない日本人PartⅥ

 昔、と言ってもそんなに昔の事ではないのですが、江戸末期から明治維新の頃の事なので130年から160年ぐらい前の事です。

 日本の国論が「尊王攘夷」という言葉に統一されて、明治維新の革命の原動力となり、異なった意見等言おうものならすぐに暗殺されてしまうという物騒な世の中になっていました。

尊皇攘夷とは、天皇を尊い夷敵を打ち払うという意味で、夷とは外国と言う意味です。

 尊皇はよく解るのですが、外国人を打ち払うとは今から考えてみても穏やかではありません。何故攘夷なのかと言うと、孝明天皇が外国人嫌いであったという事と、日本人が島国根性で、外国人に対して慣れていないことによる恐怖心から、そのような尊皇攘夷運動となっていったと思われます。

その結果革命の推進藩である薩摩・長州は攘夷を実行し、完膚無きまでに英国その他にやられてしまいました。薩長は、外国特に英仏その他の国々の実力はとうの昔に理解していたにもかかわらず、それを正しく言ってしまうと一般の無知の日本人達(ほとんどの日本人)から誤解されると言う事で、そのまま尊皇攘夷の方針で明治維新をやり遂げてしまったのです。

 そして維新後には尊皇を前面に押し出し、攘夷にはほっかむりしてしまったのです。

明治維新の原動力であった尊皇攘夷に現実にそぐわない面があった事はとうの昔に気づいていたにもかかわらず、その間違いを正さずにほっかむりした事は、後の日本人に重大な影響を与えたと思います。

 ①為政者が、国民に嘘をつく体質を作ってしまった事

 ②尊皇が異常な尊皇になってしまって、第二次世界大戦へと繋がっていった事

 ③国民が大切な事を知らされずにいることに慣れてきている事

 ④日本人の特質なのかもしれませんが、ムードに流されると、正しい判断、冷静な判断ができなくなるという  体質になってしまったのかも?

 『民は知らしめず、依らしめず・・・!』

この事は、今の平成の時代になっても全く変わることが無いようです。正確な情報を与えられず、判断をゆだねられたように見せかけられ、ムードという一種の社会現象に身をゆだねる日本人の性格そのものとなっているような気がするのは私だけの思いでしょうか?

今日の日本人が、ムードに流され大きくぶれる原因はこんな所にもあるのかもしれません。

維新後150年・・・!もうそろそろムードに流されず、冷静な判断ができる、沈着な思考を持つ、そんな日本人でありたいと思います。

  調 亮

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