サンサンコーナー
グランドデザインを描けない日本人
今世界は急速にグローバル化が進んでいます。モバイル通信の進歩は言うに及ばず、それによる情報の一元化と言いますか、あらゆる情報が飛び交っていて、アメリカの情報が一瞬の内に日本に、日本の情報がヨーロッパにという具合に地球全体が非常に狭くなってきている感があります。
しかし、情報には受ける情報と発信する情報があり、その情報が正確なものか、不正確なものか、又その情報はどういう意図で発信されたのか、と言う事を常に判断する、判断できる状況を持たなければならないと思います。その為には、データー、発信者の状況、世界の状況を常に頭に入れておかなければなりません。
例えば尖閣諸島の問題です。島の所有者から依頼されて、石原氏が強硬な発言をする、それに国が過剰反応をして、それを個人から国が買い取る、ここまでは日本国内の問題です。その次からは国際問題です。日本が国有化した為に中国が強硬に所有権を主張する。そして民間人同志の島の訪問、占拠、挙句の果てに自衛隊の出動、中国軍の出動、レーダーで照準をあてたとかあてないとかの一触即発の状況が続いています。そして一番日本の弱点である、軍同士の争いに発展しています。
今の日本は、戦争をする力など殆ど無い状態で、唯一日米安全保障条約によってのみ守られている、というこの状況を理解しているのでしょうか?
さらに、アメリカが日本と中国との二国間問題に対して、命を懸けて日本を守ってくれるのでしょうか?日本人が日本を守ることに命を懸けるのを忌避しているのに、アメリカ人が命を懸けて日本を守るという事が安全保障条約という約束だけで守られると信ずる事がどうなのでしょうか?
対アメリカとの関係においてもそうです。お互いの国にメリットがなければ、条約を守るという信義はたやすく破られてきた、という過去の歴史から、私たちは学ばねばなりません。
そうしますと尖閣問題は、今の日本の立場としては、うやむやと、有るような無いような、もやっとした中に置いておいた方が良かったと思えるのです。それを「正義の声は大きく」と大きな声を上げたばかりに今のような大きな問題になり、泥沼化しているわけです。
正義と正義がぶつかり合うのが戦争です。
正義であると主張する者は必ず相手は不正義であると確信しているのです。しかし相手も正義であると思っているわけですから、これは泥沼化するのは当然です。やはり正義の声は小さく言うのが世の中うまくいくのです。
そういう意味で、この情報をこうすればこうなるというグランドデザインが描けてないばかりに、グチャグチャなデザインになってきているのです。こう発言したらこう相手が反応し、それに対してどう対応して、落としどころはここにしよう、そして損得はどれくらいか、その影響はどれくらいかというグランドデザインを描いている人が今の日本のトップにいるのでしょうか?甚だ疑問です。
平和にしようと言っていれば平和になるのではない。平和を守るグランドデザインを描き、実行していく中で初めて平和が実現されるのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
調 亮
2014.2.17 | 12:48