サンサンコーナー
「都市計画は組織的街の破壊者である」
今日現在の小松の都市計画は、昭和50年代に作成されたものです。この当時の計画は、ここに工場があったから工業・準工業地域、ここに商店街があるから商業・近隣商業地域、ここは住居があるから住居地域等々と十幾つの地域に分類されています。それは将来の展望、将来の小松市のあるべき姿等誰も模索しないで作られたものです。
これは、11万人弱の人口しかいない小松市において、これ程の数の地域指定が必要かどうかも含めて検討しなければならないと思います。そもそも住居を西軽海団地・国府台団地と、市の主導で郊外へ郊外へと誘導しています。人口がそんなに増えない小松市においての大型団地づくりは、当然に中心市街地の住民を拡散させる結果しか招かないのは当然の帰結です。
このように街中から住居が郊外に消え、それにつれて小松工業・商業・市立高校・明峰高校等の高校の郊外移転、唯一小松高校だけが市街地に残されていますが、この事によって高校生の姿が街中から消えたのです。
今や三日市・八日市の商店街に人はいなくなり、商店として成り立たなくなってきています。その上小松警察署、県事務所、商工会議所等の機能が郊外へと移転しています。
今沖町周辺に大型店舗をつくり商店街を作り、まるで中心街を移転したかの様相を呈しています。今新しく造られた沖町の都市計画道路は、車の集中により今でも信号3回待ちをしないと305号線に出られない状態です。今後イオンが完成したらいったいどうなるのか?本当に楽しみ?です。
このように継ぎ接ぎだらけの都市計画はいったいどうしてできたのでしょう。
今から想像するに、まず行政が一般市民の意見を聞かず、聞いても誰もそんな見識を持っていなかったので、無駄とばかりに聞いたふりをして作り上げた代物ではないかと思われます。
都市計画がなぜ必要か?それは都市計画税が徴収でき、道路をつけたり橋を架けたりと土木工事が市の主導でできるという一点にその思いがあって、小松市をどのようにしようか、どうあるべきかという理念が何にもなく、とにかく国主導のマニュアル通りに作ったというのが本当のところではないかと思われます。でもそれは、市民にその力が無く、行政にもその力がなかったのですから仕方がない事だと思います。
しかし、40何年経過して、それを殆ど改正らしい改正もなく、継ぎ接ぎのままでこれを頑なに守り実行していく事に大問題、標題の「組織的破壊」があると指摘したいのです。
紙面が尽きたので以下次号に続けたいと思います。
調 亮
2016.3.30 | 15:10