サンサンコーナー
不動産のおはなし(1)
不動産業は生活産業
私は大学卒業後、仕事で独立したい夢をもち、会計事務所に勤め始めました。家は父が残してくれましたが、ほとんど財産もなく、徒手空挙で税理士免許を取得しようと考えたのです。それから、伊藤会計(現 村西会計
)で7年間お世話になり、税理士試験に挑戦したのですが、残念ながらはね返されました。これが最後の挑戦と、6月に退職し、6月、7月と1日16時間、猛勉強しました。5科目のうち2科目ぐらいは合格できるのではと思いましたが、1科目(簿記論)のみに終わりました。もうこれ以上は受験しても無理かと思った頃、元谷外志雄氏が代表を務める信金開発㈱(現アパ)から誘いがあり、入社しました。これが、不動産業に関わるきっかけです。
入社早々、不動産業のことは何もわからない私が、いきなり金沢支店長に抜擢されました。10年間、1日16時間、年10日程の休日で働き続けました。元谷外志雄代表には厳しく仕込まれ、毎日1時間ぐらい怒られて、朝8時から夜の12時ぐらいまで働きました。
私はその頃から不動産業は自分によく合い、天職のように感じ始めました。仕事が辛いということはなく、「仕事が楽しみならば人生は極楽だ。仕事が義務ならば人生は地獄だ!」という諺(ことわざ)に励まされ10年間無我夢中で働きました。
ちょうど勤続10年の頃に転機が訪れました。それは、私の同級生が脳梗塞になり、半身不随になったことでした。私もこのままでは必ず身体を壊すだろうと思い、非常に悩みました。このまま会社に残ろうか?それとも独立して一から出直そうかと迷いましたが、独立して夢を叶える方が勝り、そちらを選びました。私が38歳の時です。
不動産業は自分にとり天職ですから、アパを退職した時に身体からストレスがフーッと抜けるように一気に身が軽くなり、実際体重も82kgから76kgほどに減りました。
そして、「先義而後利者栄」損得より義を重んじる経営方針で、今年で42年になります。独立してからは以前の営業活動を反転させ、欲しいお客様に不動産を買ってもらう、買うというまで待つ方針に変更してまいりました。
何故かと言いますと、不動産はお客様の為にある、お客様に生活を楽しんでもらう為にある、その為にはお客様に喜んで買ってもらうことが必要なのです。賃貸業・管理業も同じです。不動産はお客様が人生を楽しむ手段なのです。ですから、お客様に納得してもらう、喜んでもらう、お客様に満足してもらうことが1番なのです。そういう意味で、「不動産業は生活産業」なのです。
お客様に満足な生活をしてもらう為にはいかにすべきか?どのようにアドバイスしていくか?コンサルタントしていくかを常に考えていかねばならないと思っています。店は、お客様の為にある。いかにお客様が入りやすいか、相談しやすいか、お客様に安心感と安らぎを与えているか、等を常に考えていかねばなりません。その為に清水不動産サービスは存在していると言っても過言ではないのです。
今後も不動産業を浸透させ、いかにして、石川県の南加賀地区の皆様にとり、より安心の暮らしの為に何が大切であるのか?
常に私は考え、社員と共に行動していかねばならないと思っています。
人生の師である 故 伊藤貞之先生、故 元谷外志雄会長に感謝と哀悼の意を表します
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2026.3.5 | 14:41
新年のご挨拶を申し上げます
本年は丙午(ひのえうま)で60年に1度巡る干支です。
昔の逸話で女性に関する迷信に、今はとらわれることもありません。
午(馬)は人と親しい家畜として何千年もつき合い、今では乗り物としては自動車に替わりました。午(馬)の能力は素晴らしく元気よく前進する象徴のようです。
モンゴル高原を闊歩してモンゴルの世界征服にも一役を買った程です。
また話は変わりますが、近年、夏は暑さが長引き異常に感じられます。
日本の良さは四方を海に囲まれ春夏秋冬の四季があり、立地と気候に育まれた日本人の気質が素晴らしいと思います。
我々はこの国の良さを再確認し、平和・平等・差別の無い社会を、世界に発信していきたいものです。
本年は日本人としての誇りを持ち、自信を取り戻す1年にしようではありませんか。
清水グループも創立42年を迎え、社員一同駿馬(しゅんめ)のごとく、飛躍の1年になるよう力を注ぎます。
お客様の為の店づくりに精進し、社会に貢献したいと思います。
本年も変わらぬご愛顧をよろしくお願いいたします。
ラブ小松!不動産遊民 清水不動産サービス
都市研究家 代表 清水 亮一
2026.1.8 | 14:23
「こうすれば…ああなる」
先日、高市首相の衆議院予算委員会での発言を聞きました。その中である党員が、台湾有事の際はどうするのかという主旨の質問を何度も繰り返したので、首相も日頃の言動の通り、「台湾有事は日本の存立危機事態になり得る」と明言しました。歴代首相は明言を避けてきましたが、今回高市首相が初めて明言したことで大騒ぎとなっています。
私はこのやり取りを聞いていて、公の場で国会議員たる人がなんと愚かな質問をしたものかと思いました。政治は明と暗に分けられ、この有事に対し旗色をはっきりさせることは、暗の部類に入り、どの国もそれをはっきりさせないで、うやむやにしておきたい部分だと思われます。その暗の部分を明の部分にさらけ出すように仕向けたことは、その政党の稚拙さを如実に表したものだと思ったのは私だけでしょうか。
友人関係でさえ、あの人を好きか嫌いかの旗色をハッキリせよと言われても、なかなかハッキリできないのに、国家同士でその仲をハッキリさせよというのはどう考えても拙い質問としか言えません。しかし、他の国の差し金で言わされていたとすれば、国賊であり、日本国民を代表する議員の資格はないと思われます。
これが表題の「こうすれば」になる訳です。では、「ああなる」はどうかと言えば、その反対立場の国から厳重な抗議がきて、国民の訪日を控えさせる、交流を途絶えさせるという反応になっています。「こうすれば…ああなる」ということが読めない場合は、無風の所に波風を立たせ、結果として何億という経済的損失、そして国家同士の争いへとつながるのです。私はこの日本人の外交音痴ぶりを露呈した結果ではないかと思います。
日本は四方を海に囲まれた島国です。この島国で生まれ育った日本人が、自分一人が正しければ良い、自分が正しければ相手も正しくなるという「根性良し」は島国根性そのものです。よって外交の未熟さが世界の先進国の中でも低レベルではないのかと心配になります。その上マスコミの対応といえば、相手国の反応のみを大々的に取り上げ、台湾の反応はほとんど報道されていません。最近のマスコミは偏って煽るだけで、事実を公平に扱っていないように感じます。公平な報道こそが求められます。
また、有事に対する高市首相の正直な回答にも残念さを感じます。正直であれば良いという正義感だけでは、国の将来の運営が出来ないのではないかと思われます。「こうすれば」「ああなる」ということが如実に表れています。戦争を止めよう!の訴えだけでは戦争がなくならないことは、今の世界が証明しています。我々は、「こうすれば…ああなる」を予測し、争いの種を先につんでおく、未来を想像することこそが大切だと思います。
軍事も外交の手段です。この外交の手段の装備をせよと言っている訳ではないのです。台湾有事の際に、具体的に我々日本国民は何をするのでしょうか?ただ言葉だけの日本人であってはいけないと思います。相手国は日本をなめ切っています。実際、現在の日本は何も装備しておらず、何もできないのです。そんな時に有事なんて、軽々しく口に出さないでほしいのです。
「こうすれば」「ああなる」 先を読んだ政治を。すべての発言をする時は慎重に。
政治家は、もっと勉強をしてください。
国民の暮らしを安心、安定させる事に心血を注いで欲しいと強く訴えます。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.12.4 | 11:41
何故、谷川俊太郎、何故、小松
谷川俊太郎さんをご存知でしょうか。教科書にも載っていて、名前は幾度か聞いていても歴史上の人物のように思え、遠い存在なのではないでしょうか。詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞など実に幅広い作品があります。
日本の文学と文化に多大な影響を与え続けた第一人者で、作品は英語、中国語など20数か国語に翻訳され、世界中の人々に親しまれています。2024年11月13日に老衰のため92歳で亡くなられました。
有名な谷川俊太郎さんですが、実に小松にはご縁のある方だったのです。きっかけは、1996年にALSで在宅療養をはじめられた西尾健弥さんが、好きな詩人の谷川俊太郎さんの詩の朗読を聞きたいと言われたことからです。榊原千秋さんが、じかにお手紙を書いて快諾頂き、1997年にホームコンサートが実現しました。
そのとき朗読された詩が「魂のいちばんおいしいところ」でした。その後、「生と死の文化を豊かにするコンサート」として、25年以上にわたり小松市内のお寺で10回を超えるコンサートを開催いたしました。西尾さんは、谷川俊太郎さんの詩に励まされ、私達は谷川俊太郎さんと、じかに接する機会に恵まれ、詩の世界、詩の哲学に触れることができました。また、ご子息であるピアニストの谷川賢作さん、詩人の覚和歌子さん、シンガーの小室等さん、木村弓さん、DiVaのまこりんと、実に多彩なゲストを毎回お迎えし、朗読や歌を聞くことができました。時には会食もご一緒することがあり、カラオケで谷川俊太郎作詞の「鉄腕アトム」の主題歌を大合唱したことは懐かしい思い出です。
谷川俊太郎さんはいつも物静かで、気さくでありながら畏怖の念を感じました。人の心の奥底まで見透かされそうな目と、発する言葉からです。圧倒的な力があり、人智の及ばないような雰囲気を醸し出されていました。流石に超一流の人物は違うなと感じました。これは詩を作り続けることによって、透徹した考えに達したからでしょう。その佇まいには、独特の雰囲気、輝きがありました。
詩の朗読が始まると、眼の前にパノラマのように宇宙が、自然が広がるのを感じました。谷川哲学の一端に触れ、自分らしく生きることを学んだように思います。
「ALSの仲間たち」の活動は、「いのちにやさしいまちづくり ぽぽぽねっと」に
なり、「NPO法人ホームホスピスこまつ」に引き継がれています。
小松の街づくりが、障がいを持った子どもから大人、病いと共に生きる人、高齢になっても安心して暮らすことを望む人達のためにも、生かされるよう願います。
私達の心の中で谷川俊太郎さんは生き続けています。
「ありがとう谷川俊太郎さん」としての、これまでの活動は、認定NPO法人取得が出来たことにもつながっています。認定NPO法人取得記念コンサートは、2025年11月3日に無事開催いたしました。今後、仲間たちと共に志を継いで広げられたらと思います。
さぁ小松市民よ、日本の、世界の谷川俊太郎を知ろう、学ぼう、楽しもう、偲ぼうと呼びかけます。
「魂のいちばんおいしいところ」
神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに
何ひとつ言葉はなくても
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる青空にひそむ
あのあてどないものに逆らって
そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.11.7 | 08:56
児童文学「モモ」を読んで
最近「モモ」という児童文学を心理学者、河合隼雄氏の著書の推薦で読みました。作者であるミヒャエル・エンデは、ドイツ人の児童文学作家で、「モモ」は1973年日本語訳され絵本にもなり、日本でも100万部以上が売れるベストセラーとなりました。主人公がモモという孤児の少女の物語で、その内容は人類に対する警鐘であり、私が常日頃疑問に思っていることが氷解するような内容でした。
私は最近時間の経過がものすごく早く感じるようになっています。79歳となった今、益々忙しくなったように思えます。それは何故か、効率化・時間の短縮化を目指して、どんどん世の中の変化を自分自身で早くしているのです。そんなに時を効率化しなければいけないのか。その効率化した時間の残りを有効に使っているのか。時間泥棒にその時間を盗まれていないのか。時はチクタクと進みます。時計は人間が生み出したものであり、その時計によって、人間は使われるようになってきたと思います。人類の歴史を振り返ってみると、縄文・弥生時代は悠久の時を刻み、自然の季節に従って人も動物も植物も生きてきたように思います。それが、人間が効率を求め、人間が勝利するように自然を支配し、自分の思い通りに動かし始めた途端、人間が時間に支配されるようになったと感じるのは私だけでしょうか。
それが昭和、平成、令和と年代を重ねるごとに慌ただしく感じられるのです。「人間50年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」の句も、今は100年となってきています。寿命は延びても、その豊かさは本当にその年月にあるのか。現在はないのではないか、と思われます。時々耳にするのが「時間を潰す」と言っている人の声です。私はこの「時間を潰す」と言う言葉が大嫌いです。なんで時間を潰すんや、もったいない、もっとする事が一杯あるやろと言うのが私の素直な気持ちです。余暇を楽しむという気持ちこそが大切なのではないのか。
人間は文化という効率とは反対のことを生み出しています。慌ただしい世の中で、人間は文化を育てています。この文化は、自然が刻む「時」ゆったりした「時」に人間が浸って居られる唯一の手法ではないかと思います。そういう意味で、あらゆる人間に平等に時は流れ、平等に死は訪れます。この貴重な時を潰して良いのか。いや有意義に使うべきです。暇を潰すのではなく、暇「時」を時間泥棒に奪われないで、時間を有効に使うというのは結局自分自身がどう考える事ではないか。
人は何歳迄生きられるかは分かりません。与えられた人生を有意義に生きられたらと思います。有意義に生きるには効率的となるのが良いのか。時間を自分の意思で支配する為にはどうすれば良いのか。などを改めて、「モモ」という児童文学を読み終え考えさせられました。「モモ」を一度、又は大人になって改めて読まれることをお勧めします。
やみにきらめくおまえの光、
どこからくるのか、わたしは知らない。
ちかいとも見え、とおいとも見える、
おまえの名をわたしは知らない。
たとえおまえがなんであれ、
ひかれ、ひかれ、小さな星よ!
(アイルランドの旧(ふる)い子どもの歌より)
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.10.1 | 09:15
ハザードを超える人生を歩もう
私は20年前に胃の3分の1を切除してから、食べ過ぎ、早食いが最も辛くなりました。過ぎたるは及ばざるが如し、調度良いが一番良くなってきたように思います。その調度良いとは、「量の問題、早さの問題、タイミングの問題、可も無く不可も無く、少し足りないぐらい」が調度よいです。物余り時代はいつまで続くのでしょうか。片寄りが多く、過多に摂取し身体を壊す、身体の為とサプリメントを飲む、薬の摂取が習慣化して過剰摂取となり、身体の不調を訴える者のなんと多いこと。何でも薬に頼る薬大好き国民の日本人、早期発見という名目で健康診断大好き国民の日本人。
しかし75歳以上の後期高齢者にとって健康診断は本当に必要なのでしょうか。具合が悪くなった場合や、身体に支障がある場合は必要ですが、何も症状がない場合の健康診断は必要かと疑問に思います。たとえ症状の出ていない病根が発見されたとしても、治療はする必要があるのか検討が必要でしょう。薬によって治る程度であれば治療すれば良いのですが、手術となると大ごとです。まして内視鏡ではなく、開腹、除去、切除となれば、身体に大きな負担がかかります。手術や副作用が強い治療は控え目にして、穏やかな治療で、病と共生する気持ちでいるぐらいが良いと思われます。髪が抜けるような抗がん剤治療は、がん細胞はなくなりますが、免疫力が低下して感染症にかかり、結果的に短命に終わる場合があるようです。生きる目標年齢が85歳ぐらいなら…?病気と共生した方がはるかにいいのではないかと思います。一病息災と言うように、持病が一つくらいある方が、無病の人よりも健康に注意し、かえって長生きできるのではないでしょうか。
ことわざに「言葉を慎めば禍なし 食事を節すれば病なし」ともあります。日本人は完璧を求めすぎる。この世の中に完璧などというものはあるのでしょうか?いやないであろう。日本人は潔癖性であるが故に完璧を求め、がんを完全に克服しようとするのか?完璧にがん細胞を切除しようとするのか?がんとどうして共生できないのか?若いとがんの進行は早いと言われていますが、高齢者はどうなのか?そんなに早いとは考えられないのですが、それならば、高齢者と若年者に対する治療法を変えるべきではないでしょうか。
人生100年、その100年を健康に生きられたら最高にしあわせです。その為には身体を常にいたわりながらも、ハザード(障害・障壁・危険因子)をもうけ、そのハザードを常に超える努力が必要だと最近つくづく思います。バリアフリーとは、高齢者や障害者などが社会生活を送る上で障壁となるものを除去し、誰もが快適に暮らせるようにすることです。しかし、その生活こそが、我々人間の能力を退化させる元凶かもしれないと思われます。我々は、ハザードがあればこそ、それに対応しようと努力するので、ハザードの無い人生は、無味乾燥なものとなるのではないかと思います。79歳、これからの人生を意味あるものにし、楽しみたいものです…。
また、話は変わります。
弊社はおかげさまで、8月19日に無事40周年を迎える事ができました。これもひとえに、地域のみなさまのおかげと心より感謝申し上げます。
総合不動産業として、お客様が不動産を活用して、本当の幸せになるためのサービスをさせて頂きます。経営理念は、「先義而後利者栄」(義を先にして利を後にするもの栄える)です。開業当初からの、誠実、迅速、安心を心がけまして社員一同頑張ります。
どうぞ幾久しくご愛顧賜りますようお願い申し上げます。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.9.4 | 11:12
人間は何と愚かなのだろう
世の中に良いと思われることは多数あると思われるのに、それを採用しない、無視する、見過ごすことがあります。
私は3年前にお酒を止めました。金沢の片町にある平らな道路で酒に酔っていて、つまずいて転び、その際に右額を3cm程切りました。それ迄は飲酒中によく居眠りをしていたのですが、酒の飲みすぎと食事の不摂生が原因だと後で聞かされました。何はともあれ、家族に言われて、その日から飲酒を止めました。もう、3年ぐらい経過していますが、実に体調が良いのです。「酒は酒毒」と言って、まことに体に悪いのですが、「酒は百薬の長」とも言われています。思い返しますと、酒を習慣的に飲み、止めることができなくなっているようでした。最近では、よく止められたね、少し寂しくないかと逆に聞かれます。私はお酒を止めるということに何の抵抗もなくスパッと止めることができたのですが、周囲の人からすると、その行動が不思議なようで、よく質問されます。私はズルズルと毎日毎日飲み続けることをやめて、特に慢性化、中毒化することだけは避けたい性格なので止めることが出来ました。その一度決めたら曲げない性格も友人たちから不思議がられます。しかし世の中の様々な話を聞くと、アルコールの飲み過ぎは実に弊害が多いように思います。ほとんどの飲酒者が身体を壊していると言っても過言ではないようです。
私はアルコールを止めてから、身体の中に一本筋が通ったようで、飲食中に居眠りすることもなくなり、意識がすっきりし、体調が良くなりました。何か身体がシャキッとした感じで、とても爽快です。ゴルフも少し飛距離が延び、スコアーもアベレージが良くなってきたように思えます。
アルコールを飲む人は血液、特に脳溢血(のういっけつ)、脳梗塞(のうこうそく)類の病を患い、その結果、短命の人が多いようです。また、老化の初期であり、人生の一番大切な時期(特に60歳から75歳ぐらい)に身体に変調をきたしているように思われます。この人生の最期を飾る一番大切な時を、我々はアルコールや煙草等の不摂生によって台無しにしているように思います。この時期こそが人生の仕上げなのではないかと思われます。
私達の一生は何の為にあるのでしょう。引退して子ども達に後を任せればそれで終わりなのでしょうか?私達はこの世に生きた証を示さなければいけないのではないでしょうか?その為には健康な身体と心こそが必要ではないかとつくづく感じます。子どもに迷惑をかけられないとサプリメントや薬に頼る人が多いように思われますが、私は食事・運動・睡眠の摂生こそ今求められているのではないかと思います。自分の人生は自分の意志で切り開きましょう。残された人生を社会とのつながりを積極的にして楽しみ、充実させて終わりたいものです。人生100年時代を健康に生きたいものです。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.7.31 | 09:23
正岡子規を読んで
只今、子規全集(講談社)全25巻中の第21巻782ページを読み終えました。毎朝10ページ程を読み、78日間。第1巻からですと約5年間を毎日非常に楽しく、面白く堪能させてもらっています。正岡子規は慶応3年(1867年)生まれ。現在の東京大学予備科に入学し、新聞記者になります。その人生は俳句の世界で実に充実しておりましたが、明治35年(1902年)36歳で子規庵の4畳半で永眠しました。
病床六尺から、世界観は日本全国、世界、宇宙へと広がっていったように思います。36歳と言えば、まだ若輩で、肉体も精神も成長の途上にある頃だと思います。生涯の間に、俳句を作り、俳諧の様態を改め、江戸時代の芭蕉、蕪村を研究してその作風の批判・批評をし、俳論をまとめ上げ、現代俳句の基礎を造り上げています。結核性脊髄カリエスを患い、体から膿が流れ出ようになっても、その痛みに耐え、読書をし、資料を集め研究し、文学論をまとめ、句会を開いては句を作り、句集を作り、夏目漱石を初めとして寺田寅彦、高浜虚子、河東碧梧桐などの友人達との情報交換、主に手紙、書簡のやりとりの頻繁さは私の想像を絶するものがありました。その手紙のやりとりの面白さ、豊かさはなんとも言えず、この交流によって人間として、お互いに成長していくのを、まざまざと見せられ、人間子規、人間漱石、人間寅彦等が育っていったのかとつくづく思わされます。
日本は現在、人生80年、90年の長寿社会に突入し、私は齢79歳になります。そして物価高とはいえ物はあふれた平和な時代を過ごしています。恵まれた人生を送る中で、私達は満足と言える人生を送っているのでしょうか。何の心配もなく、何もしないで老いるだけ、そんな無意味な人生を送ってはいないでしょうか。寿命は長くなってきましたが、その中身は充実しているのでしょうか?
子規から学べることは、人生の深さと中身の充実とは、その人生の長さではなく我々が何を考え、何を行動するかにかかっているかと思えます。ただ年老いるだけでなく、友人を沢山つくり、色々考え、そして行動する、これが人生を全うするということではないかと思います。政府から指示された通りではなく、人から強制されるのではなく、人まかせにせず、自分で考え、信念を持って行動する、それこそが自分自身の充実した人生を送る方法ではないかと思うのです。65歳、70歳で引退して、何か趣味等があればいいのですが、何もせず、何も考えず日々を過ごすのは、非常に気楽で苦労がないと思われるでしょう。ところがどっこい人生はそんなに甘いものじゃないのです。その反動が認知症、病気等となって出てきているように思われます。
与えられた命を生きるなら元気に楽しく生きましょう。せっかく与えられた寿命ですから…。
「死ぬものと誰も思わず花の春」子規の一句です
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.7.4 | 09:26
格差社会
飲みたい時に飲める新鮮な水と、食べたい時に食べられる食糧さえあれば、それ以上に求め文句を言うべきでない、というのが人生の本質と言えるのかもしれません。しかし、それ以上の欲を求めることによって人間同士の争いが起こるとしたら、なんと愚かなことでしょう。人間が仲良く生きていくにはどうすればいいのか?これは我々人間の永遠のテーマではないかと思います。
私達は、毎日働いて生活費を稼ぎ、少しでも節約して貯金をし、将来に備えます。少しでも余裕ができれば富を蓄える、この富がくせ者で、人間の不平等を促進するのかもしれません。だとすれば、今の日本の所得格差の拡大は、富の蓄積の格差の拡大につながり、将来の不平等につながるかもしれません。
今、世界を見れば、アメリカではアメリカン・ドリームと言われ、成功者と一般市民との貧富の差が、どんどん開いています。そして富が富を産み、不労所得がどんどん増え続け、トランプ大統領のような超富裕層が出現し、政治まで壟断しています。
片や、インドでは全国民の約3%の人が富の5割~7割を所有し、多くの人々が路上で生活したり、物乞いをしたりして生活しています。そして富裕層は貧しい人々に施しを与え、不満が爆発しないようにガス抜きをしているのです。富及び収入の差は、時が経てば経つ程増大し、格差がどんどん拡がっていくのです。
冨の拡大は、教育に広がり、資産家はより重厚な教育を受けることができ、知的資産もどんどん増大します。そして知的先進地域へ進出し、世界中の人々、特に社会を牛耳る世界に社交の輪を広げています。
冨の偏りは、格差へと繋がり、各地に身分の差を生じさせ、それが年月を経て、歴史化されると、どんどん格差が拡大し、平等は失われていくのです。
では平等な世界とはどのような世界なのでしょう。そもそも平等とはいったい何なのでしょうか。私たちは平等を頭の中では考えられるような気がします。しかし、現実的には収入や権利が均等にあれば平等なのでしょうか?例えば収入一つとっても平等にするのはとても難しいと思います。まず能力の差がある場合は、収入に差をつけるべきだと思います。また熱心さの違いがあれば収入の差にすべきです。長期間働く人と、そうでない人にも収入の差をつけるべきです。その差によって収入に差が出てきます。でも逆に差がないと平等ではないのです。
私たちは人生に対して意欲を持って歩むのと持たないで歩むのとでは、長い人生、たかだか100年未満の人生ですが、差が出てくるのです。
とすれば、これが千年、何千年と続くと、どんどん格差が広がっていくのです。これに拍車をかけるのが富の蓄積です。これは実にくせ者です。それは何故かというと、富が富を生むからです。特に不動産は富を生みます。世界の富裕層は必ず富を蓄積し、不動産を所有していると言っても過言ではないと思います。その上、賢い人はその富を使って子孫に教育を施します。この教育は人を育て、その人が資産を運用し、どんどん資産を増やしていき、より格差を増大させていきます。ということは、この格差というものは、我々人間にとってなくすことのできない必要悪なのでしょうか。そう考えると、日本社会は比較的平等な社会、身分格差に対して差別のない社会なのかもしれません。私たちは平等な社会を目指しますが、格差社会は、私たちの心の中にこそ芽生えるのかもしれません。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.6.5 | 09:13
学校が壊れるとは
数年前から、学校が壊れるということをよく耳にします。校舎が壊れているという意味ではなく、学校の教師が自信を失い、学生達が一生懸命勉強しなくなったというのが、学校が壊れるという表現になっているのではないかと思います。
その結果、学力は落ち、社会秩序を守れない子ども達で溢れているのが今の状況ではないでしょうか。その子ども達が、子どもを産み、育てると、世の中が壊れてくるのは当たり前のことだと思います。幼児の虐待、殺人、窃盗の増加、その他あらゆる犯罪が増加しているのではないかと想像できます。
安全な国、日本はどこへいったのでしょう。このままでは真面目に働く人が損をし、犯罪者が得をするという社会になっていくのではないかと危惧されます。
この原因はどこにあるのでしょうか。やはり教育方針にも、原因があったのではないかと思います。それは、個性を尊重する、伸ばすという教育です。では個性とは何か。広辞苑によれば、「個人に具わり、他の人とは違う、その個人にしかない性格、性質(individuality)」と意味づけられています。
この個性を教育によって伸ばす必要があるのでしょうか。私は、個性は伸ばす必要がなく、生まれつきその人その人が持っているもので、それを伸ばせば伸ばすほど社会性がなくなっていくという代物であると思っています。その結果、自己中心主義の我がまま人間が生まれ、犯罪に走るという今の日本社会につながっていると思います。
やはり人間は、集団生活をする動物であり、社会を形成して初めて生きられる動物なのです。その動物が人と人との繋がり、人と人との関わりの中で、生きていく為にどうしたら良いか、どう生きるべきかを教育すべきなのです。それこそが教育の本当に目指すべき方向だと思います。人間社会は歴史を積み重ね、その歴史とは失敗の積み重ね、そして、より良い人間社会を作る為に努力してきました。その結果が今の社会なのです。
しかし、個性重視の教育方針によって、社会が壊れているのです。戦後、敗戦による打撃と全体主義への反省からか、偏った教育方針が野放しになってしまったように思えます。個性重視の教育、それは教師が教えられる世界ではないのです。
例えば、現在ドジャースの大谷翔平選手は、普通の教師では教えるのに限界があります。何故なら彼の個性は能力、特に優れた身体能力であるからです。この大谷選手に普通の教師が教えられると思いますか?そのことが、教育現場で教師が悩んでいることなのです。
教育方針として打ち出さなければならないのは、人として最低限守らねばならない社会ルールを、どう守って生きていくべきかということなのです。それは教師があの大谷選手にでも教えられることなのです。ドジャースの大谷選手が人気なのは、強い個性の上に、人としてのルールを身に付けているからだと私は思います。
教育は、社会のルールを教え、そしてその上で、その人の能力をいかに伸ばすかを方針とすべきで、放っておいても出る個性を教育によって磨く必要はないのです。何故なら個性はその人、個人がそれぞれ持っているものだからです。
今の若者たちは、働く場所がないと言って、親の元から羽ばたかないのではなく、世の中に出ても一人の人間として成長しきれない人間を教育してきているからなのです。
教育は原点に戻り、社会のルールを教え、能力を磨く、そんな教育をするべきだと思います。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.5.14 | 15:08
